この破戒僧め
良純和尚が最初に向かったのは、相模原市にある僕の友人の家だ。
僕を虐めていた同級生達に妹が乱暴されて自殺し、彼らをその復讐で殺していた兄が自殺したばかり、という不幸を味わっている僕の幼馴染である。
そんな境遇の人に邪魔なモルモットを押し付けようとする禅僧がいるとは、お釈迦様でもわかるまい。
「酷いですね。僧侶としてどうなんですか!そんな事を続けていたら、いかな僧侶でも阿弥陀如来様の救いなんてありませんよ!」
「残念ながら俺は釈迦一辺倒だよ。それにな、お前が週二で勉強見てやってんだろ?お前はモルモットと遊べるし、相手はお前が絶対来なくならないとの安心材料となるじゃねぇか。」
人でなしはいけしゃあしゃあと答えた。
僕は本気でその人でなしの回答に驚きだ。
僕が週二で勉強を見ているというのは、妹が自殺した時に自分の責任だと引き篭ってしまった彼女と僕は再会し、お互いに社会復帰しようという約束だからだ。
大学の講義の合間の火曜日の午後と金曜日の午前中に、僕は彼女の家庭教師をしている。
僕に出来るのは得意の英語ぐらいな所が情けないが、社会性と社交性の無い僕には社会科と国語は無理だ。
数学に関しては私立文系には教えられるが、それ以外には教えられない人間である。
僕は三科目試験で英語の点数だけで偏差値を稼いで来た人間で、根っからの理系ではないのだ。
一方、不登校で退学した時点で高三の晩夏だった彼女は、確実に夏の高卒認定試験はクリアするだろうからと現在は普通に大学入試に向けた試験勉強をしている。そんな彼女の高校時代は国立大を目指していたという、確実に僕よりも優秀な人なのだ。
僕って、駄目な人間だなぁ。
ピンポーン。
「あ。」
気づけば鬼の良純和尚は僕を放ってサクサクと一人で玄関に向かって行っており、既にインターフォンを押している。
僕は震える幼子を抱きしめなおすと、彼の後を慌てて追った。
「急に押しかけて小動物の押し売りはやめましょうよ。アンズちゃんが怯えて震えているじゃないですか!」
「お前は名前を付けちゃったのかよ。」
良純和尚が珍しく裏返った声を出し、唖然とした顔で僕を見下ろしてきたじゃないか。
そんな彼が再び口を開きかけたその時、僕達の後ろから若い女性の声がかかったのである。
「何かいるの?」
引き篭もっていた僕の幼馴染、早川萌である。
彼女はまだ太り気味ではあるが、ほんの二週間の運動でかなり体が締まり、生来の器量の良さでかなり可愛らしい風貌に戻っている。
身長が百五十二くらいで小さいから、まるでウズラのような可愛らしさだ。
頬を紅潮させている今は、巣立ったばかりの子雀のようでもある。
「走っていたの?萌ちゃんは頑張り屋だよね。この子はモルモットでね、今お母さんかお父さんを探しているところ。」
モルモットと聞いて、萌は「可愛いよね。」と目を輝かせたが、僕の腕の中の子を見て輝きが消えた。
「えっと、その、もるもっと?」
やはり、だ。
スキニーギニアピッグは稀少性から高価だが、毛のない豚のような外見の為か一般受けしないのだ。
生体の販売は現在ネットで出来ないどころかネットでの里親探しなど怖いと、それゆえにこの子は僕達に押し付けられたのである。
あの、マニアには可愛い子をあげたくない、とほざくモルモット妖怪浜田に。
「ぷいぷいぷいぷい。」
僕は泣き出した彼女を再びギュッと胸にかき抱いた。
たぶん、知らない環境が怖い上に、寒くて心細くなったからであろう。
「大丈夫だよ。アンズちゃん。お腹も空いたのかな。」
僕がアンズをあやす姿に萌は目を丸くして、良純和尚は大きなため息を僕の頭上に吹きかけた。
「今日は妹さんとお兄さんに、私が経を上げに来ただけですよ。」
早川家には一本大きな黒い道が通っている。
この道は昔地蔵が置いてあった場所から、あの、僕の同級生が浮かんだ貯水池に続いている。
あそこに萌の兄の秀が復讐相手の死体を捨てたのも、そこで萌の妹が自殺したのも、そして、萌と僕の共通の友人がそこで自殺をしたのにも関係があるはずだ。
「経を上げればその黒い道とやらは消えるのか?」
「消えませんが家の中から外れるので、早川家の不幸が終わります。たぶん水乞いか何かで旅の人などを生贄にした後に、地蔵があったという場所に遺体を埋めたのです。あの道は池で殺した生贄を地蔵の所に運ぶという祭りの繰り返してできたものですから、簡単に消せない気がします。」
僕の説明に良純和尚は不信顔だったが、いいよ、とは言ってくれた。
けれども、その経を上げて欲しいと彼に頼んだ日にモルモット妖怪が来訪して、その話は有耶無耶になったのである。
しかし、彼は僕の言葉を覚えていてくれたらしい。
彼の言葉に萌は運動とは違う頬の紅潮を見せ、そして、玄関ドアを勢いよく開けると、喜びの大声を家中に響き渡らせたのだ。
「お母さん!お父さん!お坊様がお兄ちゃんにお経をあげてくれるんだって!」
すると既に半泣き顔の早川の両親がのそりのそりと玄関へと現れて、僕達を嬉しそうに迎えたのである。
早川家は秀の起こした事件の為に自営の父親も契約先から切られた上、秀の葬式も出来ずに火葬だけだったという。
宗派は違うかもしれないが、誰にも経を上げてもらえなかった息子への良純和尚の申し出はありがたいことだろう。
二週間前に再会した彼らは痩せて死霊のような姿であったが、日々復活している萌同様に、玄関口に現れた彼らはふっくらとして生気を取り戻してきていた。
僧衣姿だった良純和尚は彼らに深々と頭を下げると、高僧のような面持ちで早川家に上がって仏壇に向かって行く。
本当は仏間に動物を入れてはいけないけれど、僕は良純和尚の後に続いて上がり込むと、アンズを抱いたまま仏間に向かった。
僕も秀君を弔いたいし、何しろこのアンズちゃんを一人になんか出来ないではないか!