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白波周吉

「玄人君には内緒にしないと死ぬって、武本家だけじゃなくて白波でもですか?」


 髙の目の前で俺は素っ頓狂な声になっているのもかまわなかった。

 俺の前にいるのは、不可解な武本家についての説明を聞く為に会いたいと、ずっと考えていた白波周吉である。


 薄墨色の羽織袴姿で大きな巾着袋を携えて相模原東署に突然現れたこの男は、「孫の話がしたい。」と俺をもそこに呼び出した。俺は断るどころか仕事を放り投げて仕事着のまま駆けつけたのである。そして、社交辞令もそっちのけで、俺が開口一番に記憶喪失を無理に思い出させると彼が死ぬと言い張る武本家について尋ねると、彼は「その通りだ。」と答えたのである。


「その決まりごとは絶対なんだよ。私達はあの子が目覚めるのを待つだけでね。寂しいけれど、あの子を死なせるよりもいいからね、仕方がないよ。」


「当時の事を詳しく教えていただけませんか?」


「娘はあの子がプール事故の知らせを聞いて病院に向かう途中に事故で亡くなってね。可哀相に。あの子が目覚めても両親が傍にいないなんてね。はやと君は妻の死亡と息子の危篤を知った時は仕事で海外でしょ。私達が娘の葬式も玄人の世話も受け持つって言ったら武本の蔵人さんと病院で大ケンカになっちゃいましてね。咲子さんの仲裁がなければどうなっていたか。娘の死で私は武本家が潰れようがどうでもよくなっていたからね、玄人を新潟に連れ帰ってしまおうとね。」


 玄人と似ているようで似ていない顔の周吉は、年齢の割りに皺もなくつるっとした卵形の輪郭の、眉毛も薄い狐顔ではない公家顔だ。この年齢不詳の男は一重だが大きめの形の良い目を品よく細めて、しみじみと恐ろしい事を口にした。


「咲子さんから今の母親がいつの間にか病室にいたとお聞きしてましてね、どういう経緯だったのでしょうか?」


 玄人は今の母親を実の母親だと思い込んでいる。いくら記憶喪失でも途中から親が再婚すればわかるだろうと咲子に尋ねた解答がそれだったのだ。

 いつのまにか病室にいて、玄人に「母」と呼ばせていた女。


「彼女は夫も子供も亡くして入院していたんですよ。それで玄人が可哀想だって面倒を見てくれていたそうで。玄人は記憶喪失だったもので、いつのまにやら彼女の事をお母さんだと思い込んでしまってね。それで隼君が戻ってみれば彼女は大学時代の友人でしょ。彼女の亡夫は隼君の親友だ。隼君は妻と親友の死と息子が自分を覚えていない事を一時に知ったんですよ。呆然としていましたね。それを支えたのも詩織さんで。」


「それで再婚ですか。」


「まぁ、私はそれも許せないから玄人を連れ帰ろうとしたのですがね。あの子は私のことも落ち着くまでわからなかったからね、最後まで強く出られなくて。」


「やはり納得できませんよ。親の事を内緒にしているからか、あの子は両親からの愛を覚えていないって悩んでいますよ。それで孤独感が人一倍強いのでは?」


 珍しく髙が感情的に祖父に訴えるのは、泣きじゃくっていた玄人を思ってだろう。


「そうか、それじゃあ、咲子さんとその事も相談しなければねぇ。」


 俺は楊から聞いていた事を咲子に相談し、咲子と周吉は裏で話し合っていると咲子からは聞いていた。息子の財産を食い潰した妻の所業を知った隼は離婚へと動いているようだが、相手が強欲であればあるほどそれは無理な話の筈だ。


「君達が探ってくれた玄人の身の上の事もあるからね。隼君の離婚が成立して、玄人と一緒に生活をするようになったら変わるかな。」


 周吉の言葉に俺は反射的に返答してしまっていた。


「父親には可愛がられた記憶自体無いと申しておりますよ。そんな人に渡せませんね。それに玄人君は成人です。隼さんが離婚しても、玄人君が願う限り、彼を私の家に置いておきますから。」


 しかし、俺の返答に気分を害するどころか周吉は嬉しそうにククっと笑い、代わりに慌てた髙が自ら興味のあった話題を周吉に振ったのである。


「本当のお母さんてどんな方だったのですか?」


 すると周吉は袂から写真入れを取り出して、それを開いて見せてくれた。

 そこには赤ん坊を抱いた、若かりし頃の美しい武本咲子が写っている。


「これ、咲子さんですよ。」


 俺の言葉に隣の髙もうんうんと頷く。

 相手が写真を間違えたと引っ込めるかと思ったが、写真を差し出した本人こそが俺達に何を言っているの顔をして写真を指さした。


「うちの娘の沙々(ささ)ですよ。花房の咲子さんの母親が白波の人間ですからね。似ているんでしょう。そういえば花房の馨君も広ちゃんも育夫君も白波に近い顔だねぇ。珍しいですけどね、外に出た娘が白波の顔を産めるなんてね。あそことは合うのかなぁ。」


「え?」

「え?」


 咲子が白波の血を引いていることを驚くべきかその後の白波の言葉に驚くべきか、俺と髙が迷っている事をお構いなしに玄人の祖父は続ける。こういう所は玄人に似ていた。


「何ででしょうね。白波の顔は好きな方が多いみたいで、ウチは親戚だけは多いですね。でも、白波の娘を貰っても彼女達は同じ顔の娘を産まないんですよ。すると、三代目四代目くらいにまた娘を貰いに来ますね。白波で子供が生まれると沢山電話が来ますが、おめでとうの前に「女か?男か?」ですからね。ひどいですよねぇ。」


 やっぱり玄人の一族だ。普通じゃない。


「そうなのですか?」


 珍しく髙が衝撃を受けているらしく、周吉に呆然とした態で聞き返していた。


「橋場の善之助さんの母親も私の伯母にあたりますしね。うちは普通の家なのですがね、お酒を買いに来てうちの娘の顔を見て酒を買わずに求婚ってよくあるのですよね。普通の顔なんですけどね。」


 どうりで善之助が玄人を可愛がる上に、玄人の言葉を何でも信じるはずだ。


「いや、お綺麗ですよ。玄人君も可愛い顔をしていますからね。その顔で女の子に間違われて困った事もあるくらいですし。」


 髙の如才ない言葉に、お前の秘蔵っ子が完全に玄人にトチ狂っているしな、と俺は心の中で一人ごちた。


「あぁ。私の祖父の話じゃ、白ヘビ様の顔だそうですね。ご先祖が綺麗な娘と結婚して子供が生まれたら、私は神様だから一緒にいられないって子供を残して祠に帰っちゃったからと、祠をそのまま神社にしたのが白波神社の初めらしいですけどね。白波も白蛇のうねりの意味ですし。」


 ハハっと俺達は乾いた笑いで相槌を打っていた。

 神様話を普通に信じるようになった俺も俺だが、あの凄まじい雷地獄は、この俺だっても未だに夢に見るのだ。

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