全てを無に
「駄目だ!クロト!何をやっているんだ!」
「髙さん!この馬鹿を抑えるのを手伝ってくれ。クロに言われているんだ、絶対に邪魔させるなってね。全員死ぬからって。」
車を飛び出そうとする助手席の山口を後部座席から羽交い絞めをした。
運転席の髙も俺に従い彼を抑えたが、彼は俺に自分の不信を言葉にした。
「あの子が言った事を聞いて大丈夫なんですか?あの子はここで死のうなんて考えないでしょうか。」
「死ぬよりも酷いよ。クロトが死神になろうとしている。」
山口は両目から涙を流しながら、苦痛に塗れた声を絞り出した。
「お前には何が見えている。言うんだ。あいつは俺と一緒でね、嘘を吐けない縛りのある人間なんだよ。まだ死なないとクロが言ったなら大丈夫なはずだ。言え。とにかく俺達に見えない現状を解説しろ。」
「あの変な呪文で土地の悪意だけが、黒いものだけが地上に浮かんで。その後に、今は、クロトは全ての黒いものを体に纏ってしまった。あぁ、彼は真っ黒だ。」
俺の目には、祝詞を唱え終わってからは微動だにしない、静かな玄人の姿が見えるだけだ。
いや、暫くの後に、彼は先程の祝詞と違うものを唱え始めたのである。
もしかしてあいつは祝詞を全部暗誦できるのか?
英語以外の暗記科目が不得意なのは、余計な記憶で頭が一杯だからなのか?
「あぁ!」
そうこうしているうちに、再び山口が小さく叫んだ。
「どうした?」
髙が心配そうな声音で聞いたのも当たり前だ。
山口は目を見開いたままという、唖然としている顔で固まってしまったのである。
俺までも山口に叫んでいた。
「どうした!」
「……井戸の上に、いえ、井戸と同化した黒い大きな狐が浮かんでいる。それだけがクロトの前に残っています。でも、クロトは真っ黒なままだ。あぁ、クロト。」
そこで、車外に閃光が走り、車がぐらりと大きく揺れた。
「うわっ!」
「何だこれ!」
「急にカミナリ?クロト?」
ズガーン。
先程の閃光の轟が辺りに響き渡ると、それを開始の合図のように大量の青白い光が、それも、なめるように次々と雷の閃光がこの場に落ちて来たのだ。
まるでミサイルの砲撃を受けているかのごとく次々とだ。
ドンッ。ガガッ。ドドッ。ドンッ。
その度に車はガタガタと揺れる。
「ちょっと、髙さん。この軽で大丈夫ですか?」
「カミナリに軽も普通も関係ないでしょうよ。」
間抜けな言い合いをしながらも俺達は必死で山口を押さえ、反対に彼は俺たちを引き剥がそうと大暴れだ。
「クロトは!クロトは大丈夫?クロト!」
ガガガン。ドン。ドンッ。ガガッ。ドドッ。ドンッ。
しかし、青白い蜘蛛の巣のような光線が次々と雨のように降り注いで俺達を襲う中、玄人は何事もなく立っているのだ。
「クロは無事だ。見てみろ!こんな危険な状況を呼んだのはあいつなんだよ!」
ドゥン!
俺が山口を押さえつけて叫んだその時、爆発音と衝撃波で車が横転しそうなほどに大揺れした。
山口を一緒に押さえる髙が、珍しく呆けた顔で車外の、玄人がいる筈の方向を見つめているではないか。
俺もその視線を追って外を眺めると、あの忌まわしいオブジェは破壊されていたのである。
青白い世界の中、地上から真っ青な炎が天高く上がっているのだ。
恐らく、地上に噴出した天然ガスらしきものに雷で火が点いたのだろう。
オブジェの材料となっていた人骨が土中から煽られて姿を現しては、その青い大きな炎の中で次々と燃え盛り砕けて灰にと変わっていく。
「埋めるなって、あの子は破壊するつもりだったのか。全部、この地にあったものを無かった事にするって、この事だったのか。」
髙の呟く声は、唖然とした、けれども感嘆の響きをも含んでいた。
俺も玄人が成したこの有様に感じたことの無い怯え、違う、高揚感さえも感じていたのである。
あの忌まわしいオブジェが、小気味良く完全に破壊されているのだ。
「凄いな、あいつは。驚いたよ。」
ガガーン。
車は再び振動し始めた。
今度は閃光分の雷の音が辺りに響き渡ったのだ。
耳を塞ぐほどの大音響が次々と起こり、音に車が軋んで再びぐらぐらと揺れる。
しかし、音に敏感だったはずの玄人は、この地獄のような世界で一人静かに立っていた。
いや、静じゃない。玄人が叫びだしたのだ。
初めて聞いた、少年でも少女でも無い、よく通る清んだ声で玄人は叫んでいた。
「さぁ、良純さん。全て、全ての穢れをここから祓ってください。」
さぁ、俺の出番だ。




