誰かの特別になること
ケージから出した温かい命、僕をひたすら愛してくれる存在に頬を当てた。
毛が無い彼女の背中はしっとりして、人と頬をくっつけ合っている錯覚を僕に与えて慰めた。
いや、さらに僕を追い込んだのかな。
「アンズちゃんは良い子だねぇ。でも僕に期待しちゃ駄目だよ。僕は君が死んだら泣くけれども、いつまで覚えていてあげれるか解らない。次の日には忘れるかもよ。化け物だから普通の愛情を持てないのかな。」
人を本当に愛せたのなら忘れないし、本当の真実を告げられるはずだ。
それなのに僕は人を騙し続けている。死んだ体に巣くう死霊のような僕なのだから、成長しない体も性的不能もお似合いで、僕の悩み事になりえるはずが無い。
「君は僕の身代わりになってはいけないよ。僕の蜘蛛達のように、悲しい存在になっては駄目だからね。」
膝の上に降ろしたアンズは僕の言葉はわからないのに、体を伸ばして僕の顔に顔を寄せようと頑張っている。愛おしさに僕が頬を寄せると、柔らかく温かい彼女のドクドクとした鼓動が感じられた。人間よりもとても早い、この早さが彼女達の寿命を決めるのだ。長生きの種でありながら彼女は一年も生きられない。それどころか、僕は悲しくなって目を瞑った。
「あぁ、君は自然に生まれた種じゃないものね。君の毛が生えない遺伝子は致死遺伝子なんだものね。でも、安心して。君が死んだらちゃんとお墓を作るよ、僕が忘れないように。本当の愛情を与えられない代わりに、君になんでもあげるよ。」
「それこそ愛情でしょう。愛情ではないの?」
声に吃驚して振り向いたら、僕の後ろには髙がなずなを連れて立っていた。
「僕は憎まれるのは嫌です。好きになってくれないならそこで終わりで良いです。いなくなって辛いなら全部忘れたいし、僕は忘れる事ができます。そして愛される事を手放したくないからと相手を騙します。昔の僕と違うのに同じ振りをして騙しているのですよ。そんなのは愛では無いでしょう?」
髙はなずなを抱きあげると、僕の脇に胡坐をかいた。
「誰だってそうだよ。憎まれるのは嫌に決まっているでしょう。それでも、好きな人に覚えていて欲しいって思うでしょう。だから、好きになってくれないなら憎ませる、だよ。誰かの特別になりたいだけだよ。」
「誰かを特別にするのも、憎まれるのも怖いです。それならば、特別はいらない。」
髙は微笑みながら僕の頭を軽くなで、軽い口調で僕に尋ねた。
「山口は特別じゃないの?かわさんや百目鬼さんは?」
山口は、本当はよくわからない。彼は本当に僕を好きなのか。僕を抱きしめるのは少年の頃の自分を抱きしめて慰めたいからじゃないのか?
「わかりません。僕は良純さんに出会えてからようやくこの世界に立っていられる。かわちゃんの存在だってそう。僕は彼らがいて初めて人になれるんです。でも、淳平君はその世界で初めて対等な関係を与えてくれた。そうですね、特別です。でも、それは僕の世界を保ちたいだけの利己的な気持ちでしょう。全部。自分勝手で自分本位だ。」
「良いんだよ。それで。僕達は利己的な生き物なんだよ。ただ、それだけじゃぁ寂しいから、人を好きになったり寄り添ったりしたいんだ。そして、それを手放したくないからと、そうだね、相手を騙すことだってあるよ。」
腕の中のアンズはいつの間にか眠っていた。明日には冷たくなる。そう思ったら可哀相で、こんなに寒がりな子が冷たくなるのは可哀相で、それでも僕はアンズを暖めるようにずっと抱きしめているしかできない。生き返らせるなんて無理なのだ。
「特別にしたら、失うのがこんなに辛いじゃないですか。玄人は十二歳の時に死んだのです。僕は本当の僕じゃないんですよ。本当は玄人のこの頭の中の記憶を読んで生きている化け物なんです。僕はプール事件で目覚めた時に全ての記憶を失っていて、両親の顔も愛も忘れて覚えていなかった。記憶を読んだ今では、今だからこそ両親への愛などない。父は記憶を失う前も僕を愛していなかった。すっぽりと母の記憶だけが無いのは違う僕だと知っている彼女に僕は愛されていないからだ。生きている実感だって僕は無い。それでも、それだからこそこれは確実だって僕はわかります。僕は三十までは生きれません。子供も作れない体です。それでも僕は。」
先が何も言えなくなった。髙が僕を抱きしめたのだ。
「いいから。もういいから。」
僕を子供のようにあやしてくれたが、僕は彼に言いたかった。言ったら僕の動きがいつか完全に停止した後に髙が苦しむと解っていたが、僕は彼に言いたかった。
それでも僕はせめてあなた方と同じ場所に逝きたい、と。




