水族館の記憶
テレビ画面には見たことのある女性が、見たことのある画像の中で何度も生きて何度も死んでいた。テレビ中継中にバイクに刎ねられたのだ。
運転手で殺人者は彼女の元恋人で、別れ話に逆上して実行したという。
女性は楊宅のテレビで見たアナウンサーで、彼女の死はあの途切れた映像の続きだった。
「怖いねぇ。玄人はもう大丈夫なのかい?」
心配してくれる人は橋場家の次男である孝継だ。
彼の弟で三男の孝彦が僕の叔母の夫で、武本物産の家具職人である。
孝彦が父親の善之助そっくりの小柄の体に厳つい顔をしているのと対照的に、孝継は美人と名高い母親似で整った顔立ちと均整の取れた長身のハンサムだ。
やり手の彼はそんな雅な自分の外見を大いに使い、橋場建設グループの顔ともなってもいる。
「はい。こうして良純和尚様がいつもついて下さいますし、学校では神奈川県警の警備部の坂下さんが目を光らせてくれています。」
僕の台詞に隣の良純和尚は、猫を被った様子で孝継に粛々と頭を下げていた。
いや、二人のお遊びだ。
それを証拠に二人は目線を交わして喜んでいる。
大体、良純和尚が影で僕を煽り、孝継との親交を復活させたのだ。
「あ、どうぞお気楽に。和尚様には本当にお世話になっておりますからねぇ。」
「きゃう。」
孝継は僕を自分の方へ引っ張ると、僕の頭を父親が小学生の子供にするようにガシガシと撫ではじめた。
橋場の本宅が渋谷で僕の家が渋谷寄りの世田谷という事もあって、記憶を失う前の僕は彼に色々と可愛がって貰っていたのである。
僕は彼が可愛がっていた僕ではないが、彼は新しい関係を作ろうと僕を記憶の中の時のように積極的に可愛がってくれるようになった。
が、最初は嬉しかったのに、会う度に少しずつ辛くなってもきている。
僕は孝継を騙しているのだ。
新しい関係でも、僕が本当の武本玄人ではないのであれば、それは嘘の関係でしょう。
ピシっと世界が青く染まり、僕は水の中にた。
けれども今は怖くはない。
急に広がったこの水の世界が、あの水神が起こした幻影でも、十二歳の時に同級生達に沈められて殺されかけたプールの底の風景でもないと、僕には確信できるからだ。
これは水族館の水槽の中。
僕はウェットスーツを着せられ、同じようにスーツを着た男性に支えられ、水槽の中の魚達に餌を撒いている。
きらきらと輝く小魚たちに指先をくすぐられ、僕はボコボコと空気の泡を吐きながら喜んでいた。
そして更なる期待を込めて、もっともっとと餌を掴んだ手を遠くに伸ばす。
君達も大好きだけれど、僕はとても会いたい子がいるのだよ。
ホラ、向こうから僕の手の餌を目掛けて大好きな魚が向かってきた。
青くて不細工な、ナポレオンの帽子の形をした大きな魚。
僕は大好きな魚に触れることができた嬉しさに、僕を抱きかかえる男性に振り返った。
水中眼鏡の中で孝継は微笑み、それから僕にあっちを向けと指を差した。
僕はその指の方向に手を振ろうと振り向く。
お母さんが大好きな魚と一緒の僕を見ているはずだ。
白昼夢の冷めた僕は白昼夢と同じく孝継の腕の中にいて、目の前は孝継と歓談している良純和尚の姿である。
「孝継伯父さんは母と仲が良かったですよね。僕を連れ出す時に母が一緒の時も何度か。」
孝継は酷く驚いた?いや、狂気を宿したような瞳で僕を見返した。
「思い出した?」
「いえ、あの。いまは母と会うどころか話もしないな、と。すいません。くだらないこと。つい、水族館の事を思い出してしまって。ナポレオンフィッシュに餌付けをした、あの。」
場を壊してしまったと僕は孝継から離れて下を向き、そんな僕はぎゅっと孝継に手を握られた。
驚いて孝継を再び見上げると、彼は怒っているどころか優しい父親の顔で満面の笑みを浮かべている。
記憶の中で玄人が求めていた、大好きだった彼の微笑だ。
途端に騙しているという罪悪感が押し寄せて、僕の喉は石が詰まったかのようである。
「また、水族館に行こうか。」
「僕はあの日と違う子かもしれなくても?」
愛してくれますか?
僕は孝継の返答も待たずに、それどころか怖くて反応さえ知りたくないと手を彼の手から引き、彼から視線をそらしてしまった。
それが良かったのか、早川萌の父早川正が土下座をせんとばかりに、相手に頭を下げている姿が目に入ったのである。




