山口君は生贄決定
五人の被害女性達は全て捜索願が出ていたために、解剖後に身元はすぐさま全員割れた。
先日の武本の小学校時代の同級生達の連続殺人により、楊達は被害者の中に武本の同級生がいるのではと不安に思っていたが、それが杞憂であった事に一同胸を撫で下ろした。
身元の判明に伴い被害者達の拉致現場も簡単に判明し、その拉致現場の現場検証と目撃情報によると、被害者達は全て車に跳ねられてからの拉致であると結論付けられたのである。共通しているのは二十代であるという点だけで、被害者同士にも共通点が無い事から無差別的な犯行であるとも考えられた。
「呪われた土地出身って事を除けばですけどね。」
被害者五人の曽祖父母は戦後にあの貯水池のある土地に流れて来て、戦後の農地解放によって地主となったのである。そして、十六年前の土地の汚染の発覚だ。
十六年の間に子世代孫世代は耕せもしない土地の事を忘れて、それぞれが別の場所に移り住んで生計を立てていたのである。
「不思議なのが、面識が無いはずの五人が、同時期に殺人者の行動範囲内と思われる所に一斉に移り住んでいるのですよね。彼女達の職種はそれぞれですけれど。」
山口は実際には殺害及び遺体遺棄現場である丘の方には足を運んだことが無い。彼は搬送された遺体の解剖に立会い、そこで遺体の額に全て赤印がついていたのが見えたのだと語った。そして、その初めて見た赤印を深く見ようとしての盲目騒ぎである。彼は回復してから佐藤と水野を連れ立って、被害者の身元を洗い直していたのである。
楊は部下の報告を静かに聞いてはいたが、その最後まで聞かずに会議用机に突っ伏してしまった。
「え、ちょっとかわさん。」
そして楊は突っ伏したまま、事件と部下に白旗を揚げた。
「やめよう。もうこれ以上ほじくるのは止めよう。被疑者不明で未解決事件で終わりにしようよ。神奈川県警はネットの世界では出来ない警察の代名詞になっているじゃん。大丈夫だよ。未解決事件が一つ二つ増えたぐらい。」
バシンっと強く机が叩かれ、その振動を上半身に受けた楊は渋々と顔を上げた。
楊の予想通り、今泉警部補が鬼の形相で楊を睨んでいた。
「被害者が可哀相じゃ無いんですか?他にも被害が出たらどうされるのです。」
「ちびがもう殺人は無いって言っていたじゃん。黒い道が壊れたからお終いだよって。」
「え、何それ知らない。」
叫んだのは水野である。
大きな目が垂れている事から癒し系のおっとりだと署内の男性には憧れの女性でもあるが、楊にしてみれば彼女はただのやんちゃ坊主である。連日の山口達との書類漁りでフラストレーションが溜まっているであろう事は一目でわかった。目を煌めかせて新たな話題にウズウズしている様子なのである。
「私も知りませんでした。情報不足では満足に動けないと思いませんか?」
水野の隣で妖精が楊を睨んでいた。
大きな目が少し釣った佐藤は、その美しい顔を無表情にしてただ楊を睨んでいるのである。楊は妖精の呪いで自分の寿命が削られていく感覚を味あわせられていた。
楊の助け舟になりそうな髙は、残念な事にここにはいない。
おそらく特定犯罪課の本当の主である彼は、楊よりも先に山口達から報告を受けているはずだ。髙は自分が全ての情報を受けて勝手に吟味してから、上司の楊に情報を上げるのである。楊はとんだ猿回しだと自嘲した。
「課長?」
部下の中で、常に楊に厳しい今泉だけが楊に同情の響きを持って声をかけてくれたとはと、楊は仄かな悲しさをもって部下達を眺め回した。
「あのね、これ以上掘り下げると、結局あの丘の骨やぐらに行き着くでしょう。何のために髙が古賀先生に事件性の無い異物だって言わせたと思っているの。今は殺人に時効が無いんだよ。君達はあんなものをライフワークにしたいの?」
佐藤は楊にきらりと目を光らせると、別のファイルを楊の方に差し出した。楊は佐藤の様子に訝しさを感じながらもそのファイルを開いて中を確かめる。
「あぁ、いいんじゃない?」
楊は佐藤に微笑んでファイルを彼女ではなく、楊を睨む今泉に手渡した。
「ほんと?いいの?かわさん?」
水野は水を得た魚のごとく生き生きとしだして、今や幼稚園児のように椅子に座った体を揺らせている。
「いいよ。巡査長の山口君が君達の直接指導に当たっての現場突入で、今ちゃんには本部との連携と現場指揮をお願いしようか。」
「え?」
今泉が驚いた顔でファイルから顔を上げた。
「今ちゃん、頼むよ。黙っててもこの二人はやくざ事務所に突入しちゃうからね。でも、無理矢理働かされている家出少女達を助けられるんならいいでしょう。」
佐藤が渡してきたファイルとは、被害者の一人の職場が、店の子達に売春行為も強要している違法風俗店であるという報告書である。
「いえ、こういうのは願ったりですが、私が今ちゃんですか?」
「あ、ごめん。イヤだった?それじゃあ、今泉さん、頼むよ。」
「今ちゃんでいいです。」
「はい。じゃあ、お願い、今ちゃん。」
ふっと微笑んだ今泉の柔らかい表情に、楊は今泉も打ち解けたかったのだと、その事実だけで最近のささくれ立った気持ちが緩んでいくようであった。
「僕は嫌ですよ。怪我が痛むのでパスします。」
「山口、どうして君はここで水を差すかなぁ。巡査長だろうが、新人教育頑張れよ。」
「そんなもん、なりたくないですよ。」
「ちびにお祝いされたくないのかよ。淳平君すごーいって。」
山口はあからさまにぐっと言葉を詰まらせて口をつぐんだ。
楊や髙の階級の昇格と違って階級の昇格でない巡査長という役職のため、山口の巡査長任命は復帰したその日に与えられたのである。巡査長とは巡査を指導できる立場なのであり、指導される立場の巡査二人は、期待に満ちた瞳を向けて無言で山口を脅迫していた。
その脅迫を受けている山口は最後の抵抗を試みようとしたのか、ただの脊髄反射であったのか、二人の若き巡査を指差して大声で叫んだ。
「この二人は違法風俗店に突入して、用心棒連中を殴り倒したいだけなんですよ!その後の始末なんて僕は嫌です!この間だって、この二人の大暴れは大変だったんですからね。」
しかし、民主主義の悲しさで、多数決の下に山口は今泉達に引き摺られて行った。