僕の家の神様
春日と別れた後の僕達は相模原東署にそのまま出向いた。
良純和尚は楊の顔を見るや、挨拶も無しに自分が知ったばかりの事をあいさつ代わりにするではないか!
「おい、白波酒造の一族が酒屋よりも神社歴の方が長いって知っていたか?何でも、神社を守るために神主一家をやっちまったらしい黒い一族らしいぞ。」
「ああ、それで黒い人って事でクロトくんかあ。」
良純和尚も楊も、僕という白波の人が目の前にいるのに!
僕達は楊のデスクを囲むようにパイプ椅子を寄せた。僕は楊の机の正面よりも廊下側の左側に椅子を置き、良純和尚は僕の右側、楊の正面まん前だ。
課長席の三角プレートには「ざんていか長」とやはり手書きされていて、透明アクリルにヒビまで入っている。
また、この小会議室の部屋のプレートが「特定犯罪対策か」と手書きされていたのも楊の悪戯だろう。
手の込んだ彼のお遊びなのだから、僕も彼に合わせるべきである。
間違っても「どうして課がひらがななの?」とか、「どうしてざんていか長なの?」とか彼に突っ込んではいけないのだ。
「で、ちびはそんな神社の子だったのかぁ。どうりで。」
「妙に納得しているが、こいつが曰くつきの神社の子だとどうかするのか?」
「もう。百目鬼ってさあ、見識あるようで世間知らずだよねぇ。普通にさ、神社系の人って言ったら、見えざるものを見ちゃう人達って思われるものじゃん。」
「くだらない。そんなんだったら、坊主の俺は何でも調伏できるって言うのか?」
「できますよ。」
思わず僕までも二人の会話に、それも初めてと言うほど自信を持って発言したのにもかかわらず、彼らは横目で僕をチラっと見るだけで、あからさまに話題を変えようとする素振りをしだした。
彼らのこういう時の呼吸はいつも見事と言う他ない。
「お前の部署は相変わらずお前の机だけなんだな。」
狭い部屋には楊の個人デスクと小型のキャビネットがあるだけで、後は楊の机から少し隙間を開けて、今は僕達の椅子でぎゅうぎゅうだが、僕達の後ろには折り畳みの細長い机が二台くっつけて置いてあるだけだ。
「だから、部下の個人デスクは刑事課にあるんだって。会議も出来る課長室って、広い部屋を与えられて良かったね、ぐらい言えよ。」
僕はなんとなく振り向いて会議用机に視線を向けた。
そこには山口の帆布鞄や、水野のお菓子しか入っていない紙袋、それから薄紅色の風呂敷包みの小型の箱はおそらく佐藤の野点セットだろう、等々が適当に放って置かれていた。
佐藤は煮詰まると抹茶を点て出すと水野に聞いていた通りかとぼんやりと考えつつ、そして個人ロッカーも個人デスクもあるはずなのにここに貴重品でもない適当な私物がある事に僕は衝撃を受け、後先を考えずに楊に尋ねてしまっていた。
「かわちゃんて、荷物番?」
ぱしん、と当たり前だが軽く頭を叩かれた。
楊は鼻の頭のすぐ上に皺を沢山寄せた変顔を僕に向けている。
「そのぼけはちがーう。」
「え?」
何の事だろうかと小首を傾げると、彼は軽く舌打ちをした。
「……それで、お前のじいちゃん家は何の神社だよ。」
「白ヘビ様です。農村地帯ですから水に関係した神様です。」
「蛇の神様というと、諏訪神社だっけ?甲賀三郎っての。」
「諏訪だとタケミナカタじゃないか?」
僕は甲賀三郎を知っている楊にこそ驚いたが、博識な和尚が言う通り諏訪神社の神はタケミナカタであるといえよう。
そして、諏訪には龍蛇信仰を生んだ甲賀三郎の有名な伝説がある。
甲賀三郎とは三男でありながら一族の当主となり、行方不明の妻を助け出す際に妬んだ兄達に地底に閉じ込められるのだが、彼は出口を探して地底を彷徨いながら地底の様々な国を旅し、地上にようやく帰還した時には体が蛇になってしまったという逸話を持つ神様であるのだ。
「違います。白波家が白波の始祖だと讃える女神さまで、完全な別物です。」
僕はそこまで答えて、僕を襲う大雨のイメージに僕は取り込まれてしまった。
大雨どころか、僕は誘拐されて暴行を受けた無味乾燥なだだっ広いシャワールームにいた。
僕は息を大きく吸いこんだ。
四方八方から僕にどんどんとシャワーの水、強すぎて体に穴が開きそうな痛い水が被せられて、逃げ場を失った僕は身を縮こませるしかない。
痛い、殴られる、痛い。
ほら、皮膚に穴が。
穴が開いていた。
いつのまにか皮膚から小さな穴がぼつぼつと穿たれていて、僕の体から血がシャワーのように溢れ出していたのだ。
どんどん、どんどん吹き出して、僕の血によってシャワールームの壁が真っ赤に塗りこまれ、世界は赤黒く染まっていく。
死んでしまう。
僕は死んでしまう!
声にもならない叫びをあげた。
真っ赤に染まった壁は外側にぱたりと倒れ、粉々になった。
壁が消えたそこは、緑あふれる神社のあるあの山だった。
僕は本殿を前にして、全裸の体から次々と赤い血を吹きだたせ――。
違う。
僕から溢れているのは、清浄となった透明な水、だ。
「おい!ちび!」
「クロ!」
がくがくとする衝撃に僕は白昼夢から覚めたが、楊に正面から左肩を掴まれて揺すられ、右側は良純和尚によって僕は引っ張られていた。
「大丈夫か?神様のお話はやめようか。」
本気で僕を心配して顔を青ざめさせている楊と、楊の言い分どころか今すぐ警察署から僕を連れ帰りたい顔つきの良純和尚を見比べているうちに、僕は頭の中がしっかりとしていった。
僕があの日の雨が怖かったのは、あの神様の怖さを思い出してしまったのからなのだと、ようやく僕は気が付いた。