ご神木の治療に来た先生と桃の記憶
「春日さんは母の実家の方にもいらしてましたよね。あそこは古い木ばっかりですけど、本当に日本全国いらしているんだなって。」
「何を言っているの?白波さんとこの神社って樹齢三百以上のご神木だらけでしょ。あんなに小さい神社なのに凄い木に囲まれているのは珍しいからね。」
あぁ、そういえばそうだったな。
でも、神社も山の天辺に近い所だから、沢山の古い木があるのは当たり前って言えば当たり前で気にした事はなかった、と思い出す。
「神様用の桃畑もあって、あそこは面白い神社で大好きだよ。」
「ありがとうございます。鬼を祓う聖なる木だからと植樹されているのですが、桃は虫がつきやすくて寿命も短いから管理が大変だって、祖父がぼやいていましたね。」
「そうか、鬼を祓う桃か。採れた桃を全部桃缶にして一族の子供達のおやつにしちゃうのは微笑ましいけれど、植栽の時に出た枝を初孫に売りつけるのが不思議だったんだよね。」
「桃の枝を何に使うのですか?」
「さぁ。あそこは不思議なしきたりが多い神社ですからね、私にはわかりませんねぇ。」
良純和尚の不思議がる声も、わからないと答える春日も当り前だろう。
僕こそなぜ桃の木の枝をまゆゆが欲しがるのか知らないのだ。
彼は白波の人間ではないのに。
「え、まゆゆ?」
「どうした?クロ。」
僕を呼び掛けた良純和尚に、彼と同じぐらいの身長に葉山の様な体つきの、白波の独特の祖父の目元とは全く違う彫りの深い目元をした男性の影が重なった。
僕は頭に浮かんだ青年の面差しを思い出し、そこで、今まで影がかかっていた二人組の記憶から、ざぁっと音を立てる様にして彼等を隠していたその影が打ち払われていったのである。
このクリアになっていく感覚は、まるで、ようやく地上に帰還できた甲賀三郎のようだ、とも僕は思ってしまった。
「クロ?腹が痛むのか?」
僕は両手で自分の腹部を押さえていた。
白波の神様が僕の動物達を食べてしまうからって、思い出す前に体の方が勝手に動いていたようだ。
心配する声音の良純和尚を見上げて首を横に振ると、彼は、桃缶が食べたくなったか、と僕を揶揄い出した。
春日は僕達に笑い出し、しみじみと、白波神社の秘密を語りだしたのである。
「白波の桃缶は子供だけのものだものねぇ。神社を手伝わないと貰えない、子供だけのお駄賃でしたっけ。そしてお駄賃で貰った桃缶を白波酒造のお店に持っていくと、ひと缶五百円で交換できるんだよね。」
僕はうんうんと頭を上下させたが、良純和尚は呆れた声を出した。
「なんですか、それは。ふつうにお金をあげればいいじゃないですか。」
「いいの。僕は桃缶の方が好きですもの。」
彼らは「僕らしい」と大声で笑いあうが、ため込んだ桃缶を武本物産に手渡すと、武本家の祖父からひと缶につき千五百円が振り込まれたのだ。
僕が母から死守している四十万円の郵便貯金は、そうやって僕が自分で稼いできたものだ。
「あ、やっぱり昔の僕の方が優秀だ。」
「どうした?」
「だって、僕は白波だったらひと缶五百円の桃缶を、武本には千五百円で売ってました。」
「そうそう、あの缶は二千円だったんだよね。」
「えぇ!」
僕は思わず大きな驚いた声を出していたが、春日はそんな僕に大笑いだ。
「知らなかったの?あれは二千円だよ。子供達が持ち込んだ桃缶を二千円で売っていたんだよ。周吉さんが、うちは普通の家ですから、幼い頃から働くという事を学んで欲しいってね。仕入れと納入を学ばせていたのかな。」
祖父の白波周吉の顔が浮かんだ。
僕が忘れていた二人組を老けさせたような、一重だが大きなアーモンドアイを持った、狐顔でない公家顔の男だ。
僕はいつも彼に手をつながれて、山のてっぺんにある神社を往復した。
白蛇様はとても怖い神様で、きっと僕を食べてしまうから。
「白波酒造の経営者一族でありながら、普通の家、ですか。」
良純和尚の声ではっと意識が彼らに戻り、良純和尚の不思議がる白波家の口癖について、春日がそうそうと、嬉しそうに相槌を打っていた。
「うちは普通の家ですからがあそこの口癖なのは、もともと神社の神様の為にお酒を造って神主をしていた一族だったのが、明治時代の政府に神職を奪われたから普通の家になったという事かららしいのですよ。」
「奪われたのですか?でも今も神社を守っておられるんですよね。」
「資格はないけれど、一族総出で宮司のようなことをされていますね。」
春日と良純和尚は僕に意見を求めるかのように、同時に僕に視線を動かした。
「あの、新しい看板を持ってきた神主一家が亡くなって、次に来た神主が夜逃げしちゃってから誰も神主になる人がいないから、ええと、神社を守るために神主のまねごとをしているって、おじいちゃんが。」
春日は僕の説明に、あぁ、そうだと、嬉しそうに笑い声をあげたが、良純和尚は笑うどころか少々顔を歪めて呆れたような表情を浮かべていた。
「どうしたのですか?良純さん。」
「いや。死んだ神主一家も、逃げた神主も、白波の仕業かなってね。」
僕は良純和尚を突き飛ばしていた。
僕に彼が突き飛ばされることは無いが、そんな感じで僕が両腕で彼を何度も強く押したってだけだ。
「ちがいます。そんな、黒い家じゃないです。うちは、ふつうの、家です。」
すると、良純和尚どころか春日までも、これか、と吹き出すではないか。
二人はその後はかなり意気投合して、別れ際には良純和尚の物件へ回せる庭師の相談に何時でも乗るとまで春日が胸を叩いた事には純粋に驚きだ。