バードにストライク
鯰江がこの可愛らしい女性と楊が知り合いだったことに驚きながら親友を見返すと、楊は彼女に対して気さくそうに顔を綻ばせて、おどけるように軽く肩を竦めるという気安い振る舞いをして見せたではないか。
「うん。でも池じゃなく隣の土地だし、昔の事件だから心配しないで。モエちゃんは何時もこの時間に走っているの?頑張り屋だねえ。」
「はい。二年以上も引き篭もっていたのですから、一日も早く社会復帰しないとです!」
「あの怠け者の幼馴染とは思えない!」
「かわちゃんたら、ひどい物言いですよ。」
楊が彼女に楽しそうに話しかけている内に、彼女も楊に対してにっこりと花開いた本来の笑顔を見せたのである。
鯰江が表情の変化で華々しく輝いたモエに呆けていると、どしんと背中に軽い衝撃を楊から受けてしまった。
「この大男。地震のなまず、え?先生って言うの。東大出の大学の先生。」
「すごーい!」
「教授じゃないよ。ただの講師の先生だよ。ねぇ、地震のなまず、え?先生。」
「でも凄いですよ。大学で教鞭に立てるって。」
モエの賞賛の声と表情に鯰江の胸の奥で小鳥が羽ばたきだし、隣の楊が親友であったと鯰江に再認識させる言葉を再びモエにかけた。
「彼は数学どころか実は社会科も得意なんだよ。ちびは社会科駄目でしょう。彼にも家庭教師をしてもらうってどうだい?」
「いいんですか?大学の先生に、そんな。」
「いいよ。歴史は大好きなんだ。木曜の午後でよければ。」
「あたしはいつでも大丈夫です!ありがとうございます!えと、住所は。」
「ちびに教えさせるから大丈夫だよ。鯰江の大ちゃんとちびもお友達。さぁ、帰った。」
「はい。お邪魔しました。」
モエは二人にぺこりと頭を上げると、再び駆け出して行ってしまった。
鳥のように軽やかで踊るような足元である。
トトトトと、鯰江の心を弾ませるような。
「かわちゃん。午後も使えるように古賀先生に掛け合うよ。」
「さんきゅーう。大ちゃん。」
忘れ去られた十六年前の殺人事件の遺体の捜索など、この早い時間でなくとも、そして今日でなくとも構わないはずである。
鯰江は楊を盗み見て、彼はモエの存在を知った上で自分をこの時間に連れ出したのかとふと考えた。
楊は無邪気な顔を装って、意識的に人を誘導して動かしているのか?と。
鯰江の内心を知ったかのように、楊は横目の上目遣いでチラリと鯰江に視線を寄越し、鯰江はその視線にびくりとした。
「何?かわちゃん。」
「あの子はね、妹が二年前にあの池で自殺してね。自殺というよりも殺人だね。それでお兄ちゃんが自殺の原因の奴等に復讐して自殺してさ。あの子はさぁ、そんなにも不幸なのに前に行こうとする良い子なんだよ。でもさ、そんな身の上だからね、君が面倒なら近付かないであげて。君は今期こそは準教授に選ばれたいのでしょう。」
「自分で家庭教師にって、彼女に僕を紹介しておいて。」
「ちゃんと大学の先生だって俺は言ったじゃん。忙しいで済ませられるでしょうよ。」
「行くよ。」
「そう?」
「当たり前でしょう。僕は彼女がどんな身の上だって行くよ。風評は関係ない。」
鯰江は楊に対して、君の受けた風評だって僕は関係なかったでしょう、という意志を込めてその宣言をしたつもりだったが、楊は大きく舌打をして鯰江の気持ちをぺしゃんこにしただけだった。
「かわちゃん?」
「手ぇ出すなよ。絶対に理性を手放すな。あの子は世界に飛び出そうと頑張っている最中なんだからな。モエがお前の好みドンピシャなのを忘れていたよ。」
「えぇ!僕に釘を差しただけ?そんなに信用ない?」
思いがけず声に憤りが篭ってしまったが、鯰江は何をしても楊から信頼も友情も得られないのだと悲しい気持ちの方が勝っていた。
だがすぐにチッと舌打ちの音が聞こえ、楊がすまんと鯰江に呟いた。
「かわちゃん?」
「大ちゃん悪い。あたっちゃった。俺は最近さぁ、周りにろくでもないのしかいないからね。事件もろくでもないのばっかり引いちゃうしさ。あぁ、もう。仕事を辞めたいよ。」
「わざわざ古い遺体を発見している君が?」
楊はハハっと高らかに笑い声を上げた。
それも少々やけっぱちに聞こえる声音で、だ。
「やっちまったんだよ。俺はやっちゃったの。あの風車が電気ケーブルもない上物だけだって確認しておきたかっただけなのによ。ケーブルが繋がって風力発電機として生きている上に、死体までもあるんだもんなぁ。やっちゃったよ。最低。」
そう鯰江に答えると、彼は作業場に向き直り大声で叫んだ。
「鑑識さん。その風力発電機、地主から破壊と撤去の許可が出ているから、邪魔だったらガンガン壊しちゃって!撤去してくれるなら撤去処分費用も全部警察に支払ってくれるって太っ腹だ!思い切りよくやって頂戴!」
鯰江は遺体が埋まっている土の上に立つ三機の錆びた建造物を眺めた。
「かわちゃんは風力発電機が嫌いだものね。」
「設備利用率が二十パーセント程度のガラクタなんて、この日本にはいらないものなんだよ。この野鳥溢れる日本にはね。」
あの三機の機械の下に、いくつもの雀の死骸が落ちていた事も鯰江は思い出した。
「君が僕を朝一に呼び出したのは、機械よりも僕の車目当てかい?電気ケーブルが無いって確認したら僕の車であの風車を引き倒すつもりだったね。」
大型機械を大学から運んで来た鯰江の自家用車は大きく、馬力はかなりのものである。
「朝一に風車を壊せば今朝から死ぬ雀がいないからって?この、鳥馬鹿男。」
発掘作業よりも嬉々として風力発電機を解体し始めた鑑識を満足そうに眺めていた楊は、憤慨している親友に視線を移して彼を横目で見ながら歌う様に呟いた。
「大ちゃんこそ、雀ちゃんがだーい好きじゃない。」