楊の家のある住宅地
楊の家は分譲による建売だ。
そして彼の所有権を主張できる土地は、建蔽率を考えて分割されたギリギリの大きさでしかない。いや、楊邸を含むこの住宅地の家々も皆そのような分譲のもので、家々の周囲にはどの家も権利が無い共有部分となる土地が私道や花壇や芝生とベンチのある空間などを作っている事から、この住宅地の一軒を購入することはマンションなどの一室を買うのに似ていると思う。
つまり、楊や僕が心配するダイダイの治療には、共有部分のものである以上僕も楊も手出しができないという、そんな縛りがあったのだ。
楊の住む住宅地、全ての家々を一つにまとめるようにしてぐるりと柵が囲っているのは、ここまでこの住宅地の住人達の共有の敷地だと、周囲に知らしめるための大事な境界線だったようだ。
良純さんが言うには、開発会社はこの土地の購入あたり、絶対に元の土地を完全に分割してはいけない、という契約を売主と交わしていたらしいのだ。
「それに従う開発会社って、すごく全うですね。」
「いや。四分割して売ろうとした時点で、社長が交通事故でおっ死んだそうだ。その遺体が首を刎ねられたかのような状態じゃあ、なあ?」
「うわ。あなたはそんな土地を最終的に手に入れようとしていましたよね!」
「俺はそのもともとの地主だった奴の意向を大事に、全部更地にしての一枚土地での販売を目論んでいた全うだろうが。」
さて話は戻るが、楊の住宅地に共有部分があると言うならば、そこを管理する取り決めがあるものなのだ。楊の住宅地には町内会は無いが、共有部分を管理する管理会社はあった。そして、マンションのように総会が無い上に理事長などの選出もいらない。つまり、警察というプライベートが潰される職業の人達がこの住宅地の家を買い漁ったのは、夢の一戸建てでありながら、マンションなどの集合住宅にありがちな24時間いつでも捨てられるゴミの収集ボックスがあったり、そのゴミ出しどころか周辺の掃除、家の前の芝生の刈りこみ、住環境を和やかにさせる共有部分の木々の植栽、等々が免除されている、本気で夢の住処だったからである。
「委任状で管理会社に全部任せちゃうって、怖くないのかね。ちゃんと総会やらで金の流れを追わなきゃ、あとで泣きを見るかもしれないのにね。」
「泣きそうなところがあったのですか?」
「今のところは珍しくお利口さんだ。楊の家の斜め左横の家、あそこはまだ空き家だろ?あそこの権利者は俺だからな、俺は委任状など書かなかった。今後も間抜けな警察官達の為に俺が目を光らせてなきゃと思うと、自分の高潔すぎるボランティア精神に涙が出るぜ。」
いやそれは自分の利益を守るためだけの行動ですよね!
そう良純和尚に言い返すべきかもしれないが、彼が懇意にしちゃった管理会社に話しを通してダイダイの木の治療を僕に任せてもらえるようになったのだから、これはただただ良純和尚に感謝するべきだ。
僕ははらはらと乾いた葉っぱを落とすダイダイを見上げた。
僕には、いや、木のお医者でも、ダイダイに殆ど何もできなかった。
「生命力にかけるしかないね。」
「そうですか。」
周辺の土の入れ替えと薬剤の中和剤、そして活力剤の注入の処置はした。今現在その作業の指揮をしている庭師は悔しさを声に滲ませていた。
「長い年月を生きてきた木に酷い事をする人間が増えていて、本当に悲しい事だし嫌になるよ。」
善之助の紹介してくれた春日俊樹は、僕のよく知っている庭師だった。
六十代後半で痩せて小柄だが頑丈そうな体に、顔は日に焼けて皺も多いが若々しく見える人だ。
けれども、春日植栽事業財団の偉い人だなんて人は判らないものだ。
彼は日本の山々の木々の健康に日々心を砕いて労力をかけている人だったのだ。
「橋場の山藤ビルの藤はビルを施工するときに君が残せって言ったでしょ。あれは山藤でね、あのビルに這うように伸ばしたら外観も運気も上がるいい木だったよね。山藤は上に向かうからねぇ。」
「あそこの庭園デザインは春日さんでしたか。」
「ただの藤じゃないみたいだからどうしようって、善ちゃんが相談に来たからさ。あれは面白い木だったねぇ。一株じゃなくて二株が一株のように生えていてさ。それで白と紫の花が咲くから開花時は見事だよねぇ。」
春日は僕の頭をよしよしと撫でた。
いい大人によしよしされる二十歳の僕ってなんだろうと思ったが、春日によしよしと頭を撫でられて思い出した。
神社の境内の木に登っている春日の姿を。