もえちゃん
「何?それ?」
僕の話を聞いた萌は、僕に同情するどころかくすくすと笑うだけだ。
「僕だってわからないよ。君は笑っていないで、目の前で友人だと思っていた男二人に出来るって言われる僕の気持ちを考えてよ。」
僕の返答に、萌は一層大きく笑うだけだ。
「でも、どんな人達なの?ごついの?むさいの?」
僕はそっとスマートフォン画像を彼女に見せた。
警察官の個人情報だけど、彼女は萌ちゃんだ。
「え、嘘!カッコイイ。二人とも素敵なのね。和尚様も王子様みたいだし。」
「良純さんは王子様じゃないよ。暗黒公爵様だね。魔王、でもいいね。」
彼女はバタンと転がり、朗らかな笑い声を部屋中に溢れさせ始めた。
「まぁ、なんのお話?お勉強でそんなに盛り上がることはないでしょう?」
萌の母、早川美鈴が僕達に茶菓子を持って来てくれたのである。
「だって、クロ君がお世話になっている和尚様のことを凶悪暗黒魔人みたいなこと言うんだもの。」
「そこまで言ってないでしょ。」
僕は苦笑しながら美鈴を見上げると、彼女は浮かない顔をしていた。
「何かありました?」
答えたのは母の方ではなく萌だった。
「お父さんが取引先から全て切られたでしょう。売れるか判らないけどこの家を売ってお母さんの実家の方の土地に皆で移ろうかってね。この家が売れたら、私達は心機一転!新天地にお引越しよ!」
「せっかく君と会えたのに。」
僕の考えなしに出た言葉で、せっかく明るく振舞ってくれていた萌を泣かせてしまった。
仰向けだった彼女はごろりと転がって、うつぶせの顔を伏せた姿のまま泣き出したのだ。
音を出さないように嗚咽を飲み込んでいるのか、萌の肩が何度も上下している。
僕は手を伸ばして、そっと彼女の背中に触れた。
「ごめんね。辛いのは萌ちゃん達なのにね。ほんとうにごめん。」
「いいのよ。ありがとう玄人君。あなたのお陰で私達家族がまた笑えるようになったのよ。まだしばらくはここにいるから、それまで変わらず遊びに来てね。」
「もちろんですよ。」
この悪い事を考えた事のない早川家の人達が、なぜこんな不幸に見舞われなければならなかったのか、僕はどうしても納得がいかない。
怒りさえ沸くのだ。
怒りは不条理なものに対して抱いていい感情だ。
これは正当で真っ当な感情だ。
「お父さんは何の仕事をされていたっけ?設計士?弁理士?士がつく事務所だったのは覚えているんだけど。ほら、僕は看板のある正面じゃなくて、裏の勝手口からばっかり萌ちゃん家に入っていたでしょう?」
僕の質問に萌は少し泣き止んだのか、伏せていた顔を上げた。
白目が真っ赤で痛々しいと、僕は泣かせてしまった罪悪感でズキンと胸が痛んだ。
「会計士よ。お兄ちゃんにクロ君が見つかると取られちゃうって、こっそり私の部屋に引っ張っていったのよね。それなのにクロ君はわざわざ、お邪魔しますって大きな声で挨拶するから、大きな声出さないでって、私はいつも大泣きをしたのよね。」
「僕の声が怖いのかと思っていた。」
「そんなわけ無いじゃない。馬鹿ね。」
萌がようやく僕を見返して微笑み、完全に涙目であったが、それだけで彼女の顔はぱぁっと華やいだ。
「やっぱり萌ちゃんは、とても綺麗だよね。」
完全に泣き止んだ彼女は、今度は真っ赤になった。
「え、えと、勉強よ!」
がばっと起き上がった彼女は幼い頃の命令口調で僕に号令をかけ、そして座り直してノートに向かいはじめた。
傍で娘を見守っていた母の視線を感じて振り返ると、彼女は僕を神様を見るような目で見つめていた。
柴崎が最期に僕に向けていた視線と一緒。
だから、それだけはやめて欲しい、な。