第52話 ミィト
塔の中が静まりかえる。ミィトは何か言おうと口を開いたが、すぐに額を押さえて考え込んでしまった。
「私も知っているよ……。でも、その人の話っていうのはやはり見かけたのかな?ムラヤマカズキを」
「話が早くて助かる。そんなところだ」
すると、ミィトはふっとため息をついた。
「私も、彼と会ったことがあるんだ」
俺は驚いたように眉をひそめる。
「私は、果ての大地に行ったことがあった」
「果ての大地に?俺たちは、あそこに行った者は誰も生還してないって聞いたぞ?」
「そうデマを流すように伝えたの。だから、これはここだけの話」
俺とシーファが頷いたのを確認すると、ミィトは昔のことを語り始めた。
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その日は晴天だった。幼く孤児だった私は、ロット国の外へ出かけていた。森林の向こうへと行き、やがて迷い、何日もの空腹や喉の渇きに耐えているうちに、何もない場所が見えた。森との境界線は大きな峡谷でできていて、その先は森とは全く違う世界と言っていいほどの変わりようだ。私は興味をそそられ、向こうへ渡る橋を探したが、どこにもそんなものはなかった。
「もしかして、あっちに行きたいのかい?」
そこで声をかけてくれたのが転生者ーーカズキだった。
「あっちに、何もない。私、行きたい」
その時の言葉はカタコトだった。多重人格というスキルもなく、ただの平凡な少女だ。
「そうか、そうか。あっちに行きたいか」
彼は私の髪の毛をわしゃわしゃと撫で、口笛を吹いた。すると、大きな龍が峡谷から姿をあらわす。私は驚いて、声が出なくなっていた。
「さあ、乗れ」
恐る恐る乗ってみたが、龍は暴れたりしなかった。私を見て目を細め、どこか嬉しそうな表情をしている。すっかり私は、龍が好きになった。
「行け」
彼の命令で龍は動く。大きな翼をはためかせて、峡谷をひとっ飛びで超えた。
「すごい!君、名前」
「名前?僕はね、ムラヤマカズキっていうんだよ」
「貴族……?」
「……そんなところかな」
龍から降り、広がった光景に私は目を奪われる。
地平線の彼方まで、何もなかった。魔物1匹すらいないし、植物だって街だって人間だっていない。ここは無の世界なのだと、私は思う。
「うっ……」
お腹がすいた。それに、もう喉の渇きも限界だ。
「これ、食べる?」
カズキから差し出されたパンと、水。私はお礼を言うのも忘れて、その全てを一瞬で平らげた。その時だ。体の中に異変を感じたのは。
『スキル鑑定を獲得しました』
『スキル多重人格を獲得しました』
『スキル成長を獲得しました』
次々に溢れる情報。耳を押さえても女性の機械音は止まらず、直接脳の中に響いていることが分かった。
「すごいだろう?僕の最高傑作、人にスキルを与える食べ物だ」
得意げにカズキは続ける。
「君にはいい実験台になってもらうよ。どう人をさらって実験台にしようかと思ったけど、まさか人間自らのこのこやってくるとはね。これも、運命の出会いっていうやつかな」
優しい表情は一変、カズキは邪悪な笑みを見せる。横では龍が、唾を垂らして私を見ていた。その目は、先ほどと同じ嬉しそうな目。この龍は、私を食べたかったのだと今更ながら痛感する。
「さあて、その強さを見せてもらおうかな〜♪」
カズキが陽気に言って、龍はこちらへと突進をかましてきた。この人たちは、私を殺す気なのか?それとも、生かすつもり?実験台とは何をするの?
驚くほど早く脳が動く。
私は龍の攻撃を冷静によけると、峡谷を飛び越えるべくジャンプをした。これが本来ならば、呆気なく谷底に落ちて死んでいただろう。
しかし、今の彼女は違った。生きるか死ぬか、そのタイミングでのジャンプは決死の覚悟と言っていい。それほど正常な判断ができなかったのもある。だが、彼女の判断は間違っていなかった。
人間離れした跳脚力で、峡谷を飛び越えたのだ。最初は自分自身でも驚いていたが、すぐに我に返ってその場から逃げ出した。不思議とカズキは追ってこない。無我夢中に走っていると、ロット国に無事たどり着いた。
「ううっ……みんな、助けて」
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「誰も、信じてくれなかった」
しみじみといった感じでミィトは言う。
「そんなわけないでしょ、 って。みんな、一万年前に姿を消した転生者なんて覚えていない。いや、記憶から消えているの。それが、どれだけマズイことか……」
「マズイ?マズイってどういう意味ですか?」
シーファは深く追求する。
「あいつの存在を忘れているのなら、もしカズキが国に攻撃をしてきても、誰が敵なのかはすぐ判断できないでしょ?だから、一万年前の戦争の時の恐ろしさを知ってくれれば……。敵はすぐに判別できる」
「そんなに相手はここを攻めたがっているのですか?」
「ううん。これは、私の例え話。カズキという人物を他の人にもっと広めるというね」
ウインクをするミィト。やはり、昨日とは比べ物にならないくらい変わっている。
「多重人格を付けられたってことは、カズキには何かもくろみがあると思うんだが、何か変わったところとかはないのか?」
「いや、それはないんだ。ただ、一部のステータスが向上するだけでデメリットはないの。逆に、メリットだらけって感じ」
そこは嬉しそうに言うミィト。俺は最後にこう聞く。
「ミィト的には、カズキをどうしたいんだ?」
笑っていたミィトの表情が硬直した。自分を殺そうとしたかもしれない人物だが、それと引き換えに強い力をもらった。それは、自分にとって敵なのか味方なのか、はっきりさせなければいけない。
「カズキを……」
少し顔を伏せていたが、すぐに元気になった。
「私はカズキに会って、お礼をしてーー」
彼女の目は死んだように黒く濁る。
「殺します」




