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第37話 テック

 あまり滞在はしていないが、悟は愛おしそうにエルシャルト国を見た。これで振り返ったのは4度目だ。もうすでにエルシャルト国は遥か遠くにある。俺たちは馬車に乗っていた。もちろん御者はライズだ。


 あの時からシーファの様子がおかしくなることはなかったが、彼女は心の中から声が聞こえると不安に眉をひそめていた。シーファの意識が乗っ取られるのも時間の問題だ。早く、シーファを治せる医者を見つけなければ。


 焦る気持ちとは裏腹に、馬車はゆったりと進んでいた。もっと速さが出るのかどうか聞いてみたが、これ以上は無理らしい。あの時みたいに全力疾走はできるが、俺はもうあんなこと体験したくなかった。


「魔物だ!」


 ライズの叫び声。倒す時間も惜しく、俺が火球を爆発させると呆気なくそいつらは死んだ。どうやらゴブリンだったらしく、以前倒したことがあるので鑑定に変化の情報はこない。


 ライズは俺のことを見てすげえと声を漏らしていた。


 他にも魔物は襲いかかってきたが、適当にあしらっただけでどんどん死んでいく。それも全てゴブリンだ。ゴブリンは馬車を見ると無性に襲いかかろうとしてくるらしい。


「着いたぞ」


 そういう頃には、日が暮れていた。うたた寝し始めていた俺たちは目を開けて外を眺める。目の前には特徴的な大きな塔が立っていて、光の玉が空中に浮きほのかな明かりであたりを照らしている。


「それでは、俺はここで」


 馬車はガラガラと音を立てて帰っていく。ライズも大変だなぁ。


 正面の大きな門で門番にギルドカードを見せるように言われて黄緑路のカードを渡した。


「はい、どうぞ。ロット国を楽しんできてください」


 カードを受け取り中に入る。


「痛てっーー」


 手を見ると、真っ赤な血がぷくりと膨れ上がっていた。ギルドカードの端っこで指を切ってしまったらしい。今度から気をつけなければ。


 指を舐めてからギルドカードを念じて消す。俺たちは早速医者を探すことにした。


「すいません」


 ここはコミュニケーション力があるシーファに頼むぞ。


「有名な医者がいる場所を知っていますか?」

「おう、テックのことだな。知ってるぜ」

「本当ですか?出来れば、案内を頼みたいのですが……」

「なら、金だな」


 少しシーファが黙る。俺に助けを求めようと視線をこちらによこした。


「なんだ?情報を渡すのなら、金をくれなきゃーー」

「ちょっと、また他の冒険者と絡んで!」


 そこに来たのは茶髪の女性だった。男の顔が歪む。


「わ、悪かった。悪かったから!」


 女性は男の耳をつねったり蹴ったりしていた。俺の体がブルリと震える。ああ、シーファにあんなことされたら俺の精神が耐えられないな。


「こっちだ」


 男に案内されたどり着いたのが、一件の貧しい家だった。本当にここに医者がいるのかと心配になるほどの。


「この中にいるから、あとは頑張るんだな」

「ほら、言葉使い!」


 女性が拳を振り上げると、男はヒィィと間抜けな声を出した。


「お、応援してます!」


 そういうと男は風邪のように去って行った。女性がぺこりと頭を下げてその人の後を追っていく。


「風のような人たちだったな」

「はい」


 家のドアをノックすると、中から凛々しい男の声が聞こえた。


「入っていいよ」


 扉を開けると、そこには色々な色の(ポーション)が床に散乱している。所々に中身が漏れ出しているものもあった。その奥にまた、薬の調合を続けている男がいる。眠そうに垂れ下がった目を俺たちに向け、薬の調合を続けた。


「あのう……」


 声をかけるが男は反応しない。


「テックだよな?」


 その言葉には反応し、ゆっくりと男は顔を上げる。こいつがテックだということはわかった。


「そうだよ。ボクがテックだ。何の用できたのかな?見ての通り、薬の調合に忙しいんだ。変な用事だったら帰ってもらうよ」


 言い方は優しいものだが、雰囲気は面倒くさそうな感じだ。俺はシーファに促し、開けっ放しになっていた扉を閉める。そして、シーファはフードを脱いだ。


「獣人……!?何故ここに!」


 テックが戦闘態勢に入る。俺は必死に言葉を探した。


「その……シーファは仲間なんだ。何も危害を加えない。人間を恨んだりは……してる奴もいたがそいつらは悪事を働いている奴らだからぶっ殺した。だから、危険じゃない。そうでもなければ俺たちがのこのことここに来るわけがないだろ?」

「まあ、そうだけど……」

「彼女ーーシーファは医者に診てもらうためここにきたんだ」

「医者?それでボクに?」

「そう。シーファはさっき言った悪い組織に魔物と融合されて……」


 俺が言い終わる前に、シーファが純白の翼をあらわにした。


「……融合ねぇ。信じられない話じゃない。だってこんな種族、戦争前に獣人の医者をしていた僕も見たことがない。違う大陸にはいるかもしれないけど……」


 ん?違う大陸もあるのか?


「魔物に意識を乗っ取られてしまうのが怖いのです。そこで、治す方法を知るべくここまできました」

「成る程ね」

「何か、方法はないのか?」

「残念だけど、ボクにも分からない。さっきも言ったけどこんな種族見たことないからね。今からでも薬は作ろうとすれば頑張るけど何年後になるかわからない。魔物に意識を乗っ取られるのも、時間の問題なんだろう?」


 シーファが頷く。


「ずっと、魔物の声が心の中に響いているのです。人間が憎いって」

「分かった。じゃあ、これを貸してやろう」


 テックは周りの箱の中を調べ、とある腕輪を取り出した。


「これ、魔除けの効果があるんだ。つけたら何か変わるかもしれないよ」


 試しにシーファがつけてみると、彼女は驚いたような表情を示した。


「聞こえない、聞こえません!」


 嬉しそうに言ったものだから、俺はこの腕輪をいくらで売ってくれるか聞いた。


「いやいや。今回はボクも珍しいものを見せてくれたし、お互い様だよ。また困ったらここにおいで。あ、次からはお金取るからね」

「ありがとう」

「ありがとうございます!」


 礼を言う前にはもうテックは薬の調合に戻っていた。それも邪魔しないようにそっと外に出る。シーファは魔除けの腕輪をキラキラとした目つきで見ていた。


「気に入ったのか?」

「はい。これで、体を乗っ取られないで済みますね」


 それについては答えられない。声が聞こえなくなっただけで、完全に封印されたわけではないからだ。


「ああ、そうだな」


 今の俺には、そう言って彼女を安心させることしかできなかった。

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