第211話 家に穴が!
家で休暇を受けている間、私は紅茶を楽しんでいた。
窓から見える空は、雲一つない晴天。見ているだけで清々しい気分になる。
……サトルは私の出した指名依頼を受けてくれているだろうか。
ふと不安になる。
流石に魔獣となると面倒くさいから受けないかな?
くすりと笑みを漏らす。
サトルらしいけど、やっぱり受けてくれると思う。確信ではないが、そんな気がするのだ。
紅茶を一口飲む。独特な香りが口の中に広がり、鼻からスッと抜けていく。
ギルドマスターである私が動けないのなら、この大陸最高戦力のサトルに働いてもらうべし。つまり、今の状況を利用して自身の仕事を減らそうってわけだ。私だってセコイことくらい考える。
分厚い本を手に取って、ページをめくっていく。付箋が貼ってある場所に指を挟み、静かに開いた。
魔獣はイノシシ型が一番挙げられている例だ。今回は小型でよかったが……大型となると災害レベルだ。
けれども、小型といって侮ってはいけない。見た目に騙され殺される冒険者など数え切れないほどいる。機動性と、パワーを補う魔法能力。そして、手数の多さ。小型の方が知能も高い。
簡単に言えば、双方強いということ。
報告に上がっていた魔獣の容姿は、黒く翼があり、尾も生えている。小型なのはもちろんだ。
彼は、精霊と名乗った。
見た目は悪魔そのものだったが。
……悪魔、か。
大昔の話だが、一頭で大陸を滅ぼした魔獣がいるという伝説がある。その魔獣は自らのことを精霊と名乗ったらしい。
「そんなわけ、ないよね」
乾いた喉を潤すべく、紅茶を飲み干す。その時だ。
脳内で大きく警報が鳴らされた。危険や修羅場をいくつもくぐり抜けてきたミィトの勘。
本能的に机を蹴り、後ろに転がる。
途端に破壊音が響き、粉塵が舞った。
その中を突っ切り、一人の影が部屋の壁にぶち当たる。
「うっ……」
呻き声を漏らしたその人は、見覚えのある顔だった。
「サトル!?」
風魔法で遮られた視界を晴らし、すぐさま駆け寄る。
「が、はっ……」
血を吐き出すサトル。表情は苦痛に歪んでいた。
「ちょ、どうしたの!? サトル!? サトルってば!」
意味が分からない。私の心は混乱するばかりだ。
血が辺りを真っ赤に染め上げていく。私は専門の医師でもなんでもないが、重症だということは見て分かった。
「し、失礼っ」
上半身の服を脱がす。思わず言葉を失った。
胸のあたりが陥没している。これでは肋骨どころか、心臓までも潰れているかもしれない。
それでもサトルはかろうじて舌を噛み、意識を保っていた。
「さ、サトル! 頑張って! 今、シーファを呼んでくる!」
反応こそしなかったが、私は大きく開いた穴から外へ飛び出した。
「ミィト様! ご無事でしょうか!?」
兵が必死の形相で叫んでくるが、こう走っているのだから無事に決まっているだろう。
それに、言葉の裏には仕事に対する嫌悪が隠されていた。きっと、こう言いながらも「面倒臭い事件が起きた」程度にしか感じていない。
「私よりも、サトルを看病して! 中にいるから!」
兵は唖然としていた。そして、慌てた様子で家の中に入っていく。
「全く……死んでもらっては困ると言ったはずだが?」
私の耳はその言葉をキャッチした。
ズザザッとブレーキをかけ、振り返る。私の家に、先ほどはいなかった人影があった。間違いなく兵士のものではない。
急いで引き返す。兵は倒れていた。生気を感じられない顔色から、死んでいることは明らかだ。
「き、君は……!?」
氷の剣を作り、戦闘態勢をとる。
「名乗る義理はなかろう……と言っても、知っているであろう?」
「……死神っ!」
「今宵は戦いに来たのではない。サトルの危機を知り、駆けつけたまで」
「サトルの命を狙っているお前が何を言うと思えば」
「余が欲するのはサトルではない」
「へりくつを。結局サトルを殺すじゃない」
死神は鼻で笑った。
「どちらにせよ、余にはどうでもいい死だ」
それから肩をすくめる。
「そんな見逃してもいい死を助けてやるのは、複雑な心境だがな」
サトルへ歩を進める死神。私は即座に剣を振り抜いた。
高い金属音がして、私は目を丸くする。
振り抜いたときすら見えなかった。それほど死神の動作は素早かったのだ。
「ヤツとやりあって自信をなくしていたところだったが……人間相手には十分通じるな」
やりあった?
戦っていたのだろうか?
よく見ると、死神の所々露出している肌に血が伝っていた。弱っているのか。それで、このスピード。
勝てない。
導き出した答えに、下唇を噛んだ。
硬直した私をいいことに、死神は鎌を背に戻す。そして、サトルへと手を伸ばした。
「っ、やめて!」
淡い光がサトルを包む。
光が和らいだ先に見えるものに、私は驚愕した。
「う、嘘……。どうして、傷が……」
出血は止まっていた。陥没した胸も治っている。その他の細かな傷でさえ、完治していた。
ついでとばかりに兵にも魔法を行使する。
恐るべき回復力。死神は一息吐き、自身にも回復魔法を発動させる。
同じ光景が繰り返され、死神は当然というように全回復していた。
「なかなか骨が折れる」
それだけ呟くと、死神は術式を構築し始めた。
これは……転移?
人類で転移を使える者などいない。その点からも、この死神がイレギュラーだということが見て分かる。
「逃げないで!」
兵の方へと視線をよこす。無駄死にした彼のためにも、死神を倒さなければいけない。
「おっと。そうだったな」
しかし、死神は私の目の先にあるものを敏感に察知して、兵に手を伸ばす。相変わらず術式は組まれたままだ。
青白いナニカが兵の中へと入っていく。
「これでいいだろう?」
死神はふっと笑い、その姿を消した。
既に意識を失い、ぐったりと倒れているサトル。
本当に……回復しただけ?
私はこの考えを呪った。
あの死神がそんな無意味なことばかりをするはずがないと。
痛感することになる。




