貧富の差
数話で終わる予定ですが、もしよければお付き合いください。
その日、世界は変わってしまった。
体にため込んだ価値こそが、その人間の力に直結する世界へと変わってしまった。
その瞬間、富める者と富めない者の隔たりが絶対なものとなった。
富を持つものがすべてを得て、持たざる者は淘汰されるだけの世界。
勝ち組はいい世界だと口々に言い、負け組は世界をこんな風に変えてしまった神を呪った。
『もしあの時世界に神がいたのなら、それは間違いなく邪神だ』と。
人間たちはため込む、自分の価値を。
金持ちたちは効率よくため込むために宝石を口にするようになり、手に入れた力でまた新たな富を手に入れる。
高価なものほど効果は大きく、純金を100g食べようものならもうその時点でかつての人間たちはもう力では勝てなくなった。
また一定以上価値をため込んだ人間には異能が手に入るようになった。
これがまた、持つ者と持たざる者を引き離す原因となった。
そして人々は言った。
こんな風に自分の体を強化するためだけにお金を使うことを
『課金』
と・・・・・・
◇
世界がそんなことになってはや60年、貧民と富豪の差はもうすでに埋めがたいものとなっている。
そんな世界で、一人の人間が命を落とそうとしていた。
「ふふっ、命がなくなるのって案外何ともないものなのかもしれないわね。これも私が何もため込んでないからかしら?」
貧民街の家の、薄汚れたベッドの上で、息も絶え絶えだがそれを聞いている者に悟られないように必死に隠す声が聞こえる。
周りには一人の人間しかいない。
その一人とは今まさに終わりを告げようとしている人間の息子だった。
たった一人、その女性が愛した人との子供。
「母さん!!まだあきらめちゃだめだよ!!今からでも病院に行けば――――」
そうはいっているが本当はわかっている。
病院なんて言っても無駄だということは。自分たちは貧民、『持たざる者』だ。
金が、価値のあるものがすべての世の中で、それを持たないものなんて助けるだけ無駄だ。
それが25年ほど前に病院が出した結論だ。
そんな人間が死に瀕していても、助けてくれる病院なんてありはしない。
「無駄よ。私からはとるお金がないもの。門前払いがいいところだわ。それなら私はここで死ぬことを選ぶの。」
母親が諭すように、息子に向かって微笑みかける。
どう見ても無理しているのは明白だ。だが、それを何とかする力を持ったものはこの場にはいなかった。
「それにしても、あの人が死んでから8年、私も結構頑張ったものね。」
「母さん!!だめだ!!気をしっかり持って!!」
「ふふ、ひどい人。ここまで頑張ってきた私にまだ働かせるの?」
「そんな―――――いや、そうだ!!母さんはまだ僕と一緒に生きてもらわないと――――「無理よ。わかっているんでしょう?」」
冷たい言葉が
受け入れたくない現実を突きつける。
ここまでくれば誰だって理解できる。
もう、先はないのだと。
「最後に・・・・何か、してほしいことはある?」
だから少年は涙を呑んでそう言った。
母は報われない人間だった。自分を産んですぐに夫がこの世を去り、女手一つ、この過酷な世の中で自分を育て続けてくれたのだ。
わがままのひとつやふたつ、聞き入れてもらってしかるべきだ。
「じゃあ、最後に私を抱きしめてもらおうかしらね?」
聞くが早いか、少年は母を抱きしめた。
強く、強く。
母の体は細く、弱かった。
少年は知っている。
母が自分を食べさせるために、食事を削っていたことを。
何度もやめてくれと言った。だが、母は笑って
「そんなことをしていないわよ。」
というだけでそれを続けた。
少年は知っている。
母が少しでもいいものを食べさせてあげようと、身の丈に合わない仕事をしていたことを。
価値をため込んでいないからだ、そんな体で肉体労働をしても出来ることは限られているし、すぐに無理が出るのもわかっていた。
今こうやって、死にかけているのもそれが原因といっても差し支えないのだから。
少年は母を抱きしめた。
少しずつ、体から力が抜けていく母を腕の中で感じ取り、その分自分は力を込めた。
母が育ててくれた自分の体、その力を少しでも母に渡そうと思って。
無論、そんなことができるわけではない。
価値をため込み、異能を手にしたものにならできるかもしれないが少年にはできない。
「ふふ、力強いわね。ありがとう。」
消え入りそうな声だ。
「母さん、母さん。待って、いかないで!!」
こらえていた涙が、一気にあふれてきた。
嗚咽交じりの声。
その声で何とも母を呼ぶ。
呼び続けていれば、応え続けてくれると信じて。
だが、現実は非情だった。
「私ね。あなたのお父さんにこうして力強くギュッてしてもらうのが好きだったのよ。最後にもう一度味わえて幸せだったわ。」
腕の中の母はそれを最後に動かなくなった。
認めたくはないがそれは事実だ。
「母さん、母さん・・・・・・母さん、、、、」
少年がそのまま動かなくなった母を抱きしめていつまで泣いていたか、正確なことを知るものはいなかった。
ただ、気づいたときには少年は家の床で泥のように眠っていた。
それから数日経った。
母の死を知った近隣住民が葬儀を上げ、母の死体は火葬された。
火葬場で、鉄の扉が閉まった時、少年は無意識に涙を流していた。
その時、隣の家のおじさんが1つの封筒を少年に渡した。
おじさんはそれを渡すときただ一言、
「お母さんからの手紙だよ。」
とだけ言っていた。
母は自分が死んだとき、どうすればいいかがわからなくなった少年のためにあらかじめ隣のおじさんに遺書としてそれを預けていたのだ。
死期が近いとは感じていたのだろう。
少年は一も二もなくそれを開いた。
封筒は母からの贈り物だ。破くでもなく、丁寧に開けて中の手紙を取り出す。
そこにはこれからの生活でどうすればいいかが書かれていた。
頼れる人、近づいてはいけない場所。
食べ物の入手法そして最後に、母が自分のために残してくれたものの隠し場所。
それを読んだ少年が取った行動は家に向かって走ることだった。
母は家の床下、机の下にある板を剥がしたところにあるものを隠してあると書いてあった。
ここまで厳重に隠しているのだ。よほど大切なものなのだろう。
何があるかは書かれていなかった。
ただ、これを使えとしか。
確認せずにはいられなかった。だってそれが最後の贈り物なのだから。
少年は机の下の床を見る。
そこには一枚だけ少しだけ出っ張っている。
今まで全く気付かなかった。知っていて注意して見てようやく発見できるくらい周りのものと変わらないものだった。
少年はその床板に指をひっかけて引っ張る。
するとそれは驚くほど簡単に剥がれた。
もしかしたら自分に剥がすことはできない。そう思っていたのは杞憂だったみたいだ。
床下には一つの小箱、少年はそれを取り出し―――そしてあける。
中にはたった一つの宝石。
少年は知らないがその名を『ヘマタイト』という。
石言葉は―――身代わり・生命力・秘めた思い。
母が残した最後の言葉。
自分の代わりに、ずっと生きながらえてくれという、最後の場面では決して口にすることができなかった思いを継いだ石だ。
そんな思いが伝わったか伝わらなかったかは定かではない。
だが、少年はその宝石を丸呑みした。
きっと60年以上も前の人が見たら正気を疑う行動だ。
だが、変わってしまったこの世界では宝石は呑むもの。
もうすでに愛でるものではなくなっている。
「うっ、うっ、母さん。受け取ったよ。ありがとう。」
少年は再び涙を流す。
そして空になった小箱を見つめていた。
――――――特殊技能『時の小部屋』が開錠されました。
その時、少年の頭の中にだけ声が響いた。
少年はその一瞬で、それがどういうものなのかを理解した。
そして決意する。
「母さん。僕、頑張るよ。母さんを殺したやつらに負けないように、ずっとずっと強くなるんだ。」
少年は涙をぬぐい、生まれてから10年間過ごした家を後にした。