清経 弐
少し間が開いてしまいました。
宮中に行儀見習いに出た七子のまわりで、さまざまな出来事が起こります。
たしかに、後白河院はこの資盛がたいそうお気に入りで、何かと秘書のように用を言いつけているらしい。七子には、そのような事情はわからぬが、先程の清経兄の繊細で不安げな様子と資盛兄の奔放で自信たっぷりなのと、兄弟でもずいぶん違うなあ、と興味深く感じていた。
「ああ、そうだ。知章が来ているぞ。」
御簾をくぐり際に思い出したように言い添えられた言葉は、七子をただ不愉快にした。しかし、
「関係ありません。」
と、言い終わらぬうちにその腹立たしい小僧っ子は、七子の部屋の廊下に駆け上がって来た。
「資盛殿、お手合わせ下さい。」
水干の袖を捲り、袴の裾を捲り、髪は結びもせずざんばら髪、そればかりか右手には抜き身の小太刀を握っている。七子はうんざりした。知章の後ろには、月船丸が従っている。袖も裾も同じように捲っているが、髪は清潔に束ねているし、両手で持っている太刀もこちらは鞘に収まっている。何よりも、その聡明な瞳と礼儀正しい物腰は、どちらが御曹司だかわからないと、七子は思った。
「今日はだめだ。まもなく仙洞御所へ行かなければ。着物を破ったら困るじゃないか。」
資盛に断られて、知章は仕方なく庭に飛び降り月船丸に向き合った。月船丸は促されるままに太刀の鞘を払い、あっと言う間に二人は白刃をきらめかして打ち合いを始めた。七子の部屋の真ん前で。七子が植えさせた都忘れの花群れを踏みつけて。
「きゃあ、兄君、やめさせて下さい。」
七子がうろたえて訴えるのに、資盛はおもしろそうに男の子たちを眺めて、右だ左だ脇が甘いのと叱咤する始末。知章の荒っぽい太刀風が、月船丸の頬や二の腕に小さな傷をつけるのを、七子は見ていられない。月船丸は立場上、防戦一方のように七子には見えていた。それがかわいそうに思えたのだ。
「知章っ、やめなさい!」
以前の七子姫にはとても出せなかった大声も、内裏の女童になら金切り声くらい上げられる。さすがの知章も、この叫び声には驚いたらしい。ちらりと七子を視界に入れた瞬間、不幸にも月船丸の繰り出した刃が知章の額を掠ってしまった。知章は退いた勢いで背中から後ろに転び、七子は自分の声を飲みこんだ。そして、棒立ちの月船丸は、太刀を持った手を震わしている。
「ばか、七子、危ないじゃないか!」
知章は跳び起きると、七子の方を振り向いた。前髪が半分くらい、ばっさり切れてなくなっている。怪我がなくて安心したせいか、七子はそのおかしな前髪を見て吹き出した。腹立たしさも手伝って、思いきり笑ってやりたくなったのだ。
知章は、指先で切れた前髪に触れ、いささか恥ずかしそうに、
「笑うな!何もおかしくない。」
ふてくされたような、笑顔を見せる。蒸し暑い季節にはめずらしく風が渡って来て、汗を涼しく乾かすように七子の心も和みかけた、その時、月船丸が二人の間に割って入って、握っていた小太刀を投げ捨てるや地面に跪き、
「申し訳ございません。」
と、彼にしてはよほど取り乱した様子で、
「知章様をお護りする役目の私が、お怪我を負わせてしまうところでございました。」
額を地面にこすりつけるほどに頭を下げて、
「どうぞお許し下さい。」
と、繰り返す月船丸の目には涙がいっぱいで、七子よりも知章こそが、その涙に衝撃を受けた。
「おい、月船・・・」
知章は月船丸の傍らにしゃがみ、彼のかたくなに下げた頭を上げさせようとする。怪我などささいなこと。ましてや、怪我などしていない。
途方に暮れる知章と、頭を下げ続ける月船丸を交互に見て、七子は思い出していた。いつか修理太夫殿の館で見た、月船丸の冷たい瞳。しかし、今、涙に光る彼の瞳には、思いのほか一途な純真ばかりが溢れている。
知章と月船丸、二人のやんちゃな少年を固く結びつけながら、同時にどうしようもなく隔てている、主従という絆。女の子である七子には、理解できないものだった。
さて、恋文はどうするのでしょう?