月船 弐
敦盛、知章、月船丸、男の子たちにも何やら事情がありそうな?
あくる日、七子が内裏の外に出ると、待っていたのは昨夜の少年、月船丸だった。知章の葦毛を引いて1人で待っている。月船丸は知章よりは1つ年上、乳兄弟とはいえ身分の低い侍の子なので立ち場としては知章の従者、つまり家来ということになる。
桜を届けに来た時とは別人のように、朽ち葉色の水干の襟を開けて袖もまくっている。意志の強そうな眉に冷たささえたたえて、とても大人びて見える。
「敦盛様は、どんなご様子なの?」
七子がおずおず尋ねると、月船丸は氷がとけるみたいに笑みを見せて、
「なに、たいしたことございません。」
そして、七子を葦毛の背中に抱え乗せると、
「今、我が御曹司と・・・」
言葉に詰まったか、特に言うことがなかったか、月船丸はそのまま黙る。手綱を持ち直すと葦毛に一鞭くれて駆け出す。
七子はその時、敦盛のことで頭がいっぱいだったから、月船丸の微妙な心の動きにまで気を留める余裕はなかった。いや、今、知章と敦盛が何をしているかさえ、興味がなかったのだ。
七子は、修理大夫平経盛卿の館には初めて訪れた。経盛は相国清盛のすぐ下の弟、七子には大叔父にあたる。なので、その子である敦盛は、従弟の知章ほどは近い血縁ではない。
月船丸が先に立って廊下を進むと、途中で嫡男の経正と出くわした。敦盛より十五も年上の、優しいおもざしの公達である。
「これは、小松殿の姫が、敦盛の見舞いにお越し下さったのか?」
七子は恥ずかしくて顔を伏せる。経正は、
「なに、いつもの咳の病がちと出たらしい。姫の顔を見れば心地も良くなろうぞ。」
と、冷やかすような笑顔を見せて行ってしまう。七子はほっとした。
廊下を進むと、奥の部屋から知章の声が響いて来た。何やら遊び戯れているようで、笑ったり叫んだり床をどんどん蹴る音にまぎれて、敦盛の声も聞こえる。月船丸が御簾越しに、
「七子様をお連れしました。」
と、声をかけると、中から知章の声が、
「おう、七子、入って来いよ。」
敦盛さまのお家なのに、なんで知章が仕切ってるの?と、七子はなんだか腹立たしく思ったが、敦盛にふくれっ面を見せるわけにも行かぬから、黙って御簾をくぐる。
敦盛は、髪も結ばず背中にたらし、白い着物に袴姿で、床もたしかにのべてあるが、さんざんふざけて踏み散らかしたのか、被き物もくしゃくしゃになっている。
「双六をしていたんだ。知章がずるいことばかりするんで喧嘩になっちゃった。」
「奇襲は立派な兵法だぞ。」
知章が相変わらずの大声で言い返す。敦盛はむしろ頬を染めて、何やらずいぶんはしゃいでいる様子だ。
「なんだ、心配したんだから。」
七子は、ふてくされて見せるが、どうしてだか敦盛と知章が一緒にいると楽しい気分になってしまう。想像以上に通い合った二人の心が、七子までも安心させるようだった。
「姫がお越しなので、貝合わせでもしようよ。」
敦盛は、やりかけの双六の盤を押しのけ、部屋の隅から美しい箱を持って来た。皆で、色とりどりの絵が描かれた貝を並べる。
「当たり前だけど、貝合わせに奇襲はないからね。」
敦盛の冗談に、七子はけらけら笑ったが、その時、七子の目の端に、廊下で片ひざ立てて控えている月船丸の姿が飛び込んで来た。伏し目加減の無表情な横顔。姿勢を正してじっと待っている。七子たちが遊んでいるのに、月船丸はただそこに控えているだけ。同じ年頃の、ほんの童子なのに。
「七子の番だぞ。」
知章に突つかれて、七子は貝を探す。もう一度、ちらと月船丸の方を見る。そこだけが氷のように冷たく感じられ、七子は少し気持ちが鈍るのだった。
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