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競べ馬 壱

咲き誇る花のように平家全盛の春、11歳の七子は宮中へお行儀見習いに上がることになりました。その日に、出会った美しい少年は、その後の七子の運命を大きく変える人のようですが・・・源平時代の青春ストーリーの始まりです。よろしくお願いいたします。

 春爛漫の賀茂の祭りの日、都の人々は、小松殿の公達の美美しい警護姿を一目見ようと、花盛りの川辺に押しかけていた。栄華の絶頂にある平家一門にあっても、入道相国平清盛公の直系の孫にあたる小松殿の公達は美男子揃いと評判で、中でも嫡男の権ノ少将平維盛(たいらのこれもり)は、後白河法皇御歳五十の賀に青海波を舞い、光の君の再来と囃された。その優雅な美貌を称えて、桜梅ノ少将とあだ名される。

 治承元年(1177年)春、小松ノ内大臣平重盛(しげもり)の館は大忙しで、誰も七子(ななこ)のことなど目もくれぬ。七子は長い廊下を歩いて対ノ屋の兄たちの部屋を訪れた。御簾を持ち上げて頭だけ突っ込んで見ると、いちばん上の兄・維盛が祭りの警護に向かうべく装束を整えている。二藍の直衣に花楓の衣を着て、二人の童子に手伝わせて太刀を佩いたり弓矢を背負ったりしている。その絵のような姿をうっとり眺めていると、兄も妹に気付いて、額にしわを寄せて七子を振り返った。

「よいか、七子、どんなことがあっても、おまえが相国の孫娘だということは秘密にしておくのだぞ。」

 七子は、この日から宮中に行儀見習いに上がることになっていた。七子は、十一歳になったばかり。

「それで、どなたが七子を内裏にお連れ下さるのですか?」

資盛(すけもり)にでも連れて行ってもらえ。あいつは暇だから。」

維盛がそう言った時、廊下の向うから乱暴な足音がやって来た。

「誰が暇だと?俺は人込みの整理に駆り出されてるんだ。兄上みたいにお飾りの警護と違うんだからさ。」

二番目の兄・資盛は、くすんだ青の直垂を着て三角に折れた侍烏帽子をかぶり、いかにも武家の男子らしく野暮ったいが、その顔は兄の維盛とそっくり。維盛十九歳資盛十七歳、七子も同じ母から生まれた兄妹だが、七子はなぜだか資盛兄が苦手だった。

知章(ともあきら)に連れて行ってもらえ。」

資盛は妹の傍らをすり抜けて、どうにも格好よく弓矢が背負えない兄の後ろに回って手伝ってやる。

 七子は、御簾をぽいと降ろして起ち上がる。結局誰も七子のことなど気にかけてないんだわ。もちろん、身分を隠して女童として宮中に入るんだもの、父君も母君も呆れて怒って駄目だとおっしゃった。遊び半分と思っておいでだから、支度もして下さらない。それにしても、知章はないでしょう。

「よう、七子。」

庭の築山の方から声が飛んで来る。それは確かに知章の、耳を傷めそうな大声だった。嫌だ、ほんとうに来たのね。七子は、聞こえなかったふりをして、廊下をさっと渡り切ろうとする。

 知章は七子の従弟にあたる少年で、七子の父・重盛の弟、三位ノ中将知盛(とももり)の嫡男。資盛の子分みたいになついてくる、七子より一つ年下の小生意気で乱暴な男の子だ。

「祭りに行くぞ。競べ馬を見て、それから内裏に連れて行ってやる。」

知章は、庭を斜めに走って来て、泥足のまま廊下に跳び上がった。まだ十歳の元服もしていない童子である。

「一人で行きます。結構です。」

七子は、知章が嫌いだ。

「どうやって行くんだ?馬にも乗れないくせに。」

子どもの声でそんなふうに言われて、七子は我慢ならずに振り返り、

「う、馬なんかで参りません。」

ぶん殴ってやろうかと拳を振り上げたことを、七子はすぐに後悔することになる。知章の後ろに、どこから現れたのか見たことのない少年が、隠れるようにそっと立っていた。長い髪を無造作に束ねただけの知章とは違って、その見知らぬ少年は、頭の高いところできちんと束ねた艶やかな髪を、黒い短冊みたいに背中にまっすぐ垂らしている。月草色の水干は季節はずれな色目なのに、その子の上品でどこか寂しげな様子によほど似合っていた。

「なんだよ、お互いに知らないのか?」

知章は、不躾な視線を七子に投げるものの、七子は後ろの美しい少年にただ見とれている。

 それが、後の無官太夫、平敦盛(あつもり)だった。


 知章は、父から譲り受けた見事な葦毛の馬に乗っていた。それを庭先に引き出しながら、

「資盛殿、敦盛に馬をお貸し下さい。」

と、御簾の内に怒鳴る。

「ほんとうに馬で行くつもりなの?」

「おう。七子は俺が乗せてやる。さっさと支度しろよ。」

 確かに馬は素敵かもしれないけど、知章に乗せてもらうなんて最低、と、七子は心から思う。しかし、ぐずぐずしていると、その不機嫌な顔を敦盛に見つけられ、

「知章は上手だよ。彼に乗せてもらうと、風になったみたいだよ。」

敦盛は、七子を見てそう言った。でも、その視線は七子を通り過ぎて、知章と葦毛が一つになった風を見ている。

「いつも私が乗せてもらうんだ。今日は、姫に譲るよ。」

少し寂しい笑顔を見せて、敦盛は七子を促す。その様子が心に引っかかる七子だったが、知章は知らん顔だ。


ようやく装束を整えた七子が、母君に挨拶してから館の門口に出て来ると、敦盛は借り受けた栗毛の馬にまたがって、幸せな興奮に頬を染めていた。手綱をゆるく握り背筋を伸ばした姿からは、立派に乗馬をこなせるように見えるのに、なぜいつも知章に乗せてもらうのかしら?不思議に思うと同時に、敦盛様の馬に乗りたいな、と思った七子だが、そこは仕方なく、知章にお尻を押されて葦毛の上に横乗りになる。年下のやんちゃな少年は七子の後ろに飛び乗り、肩越しに両腕を差し出して手綱を握る。

 敦盛は、草色の袴で鞍を締めつけて腰を上げ、月色の袖を翻して優雅に馬を操りながら、はつらつとした笑顔を知章に向けた。二頭の馬が相前後しながら響き合うように駆けると、敦盛と知章の間に風が巡っていることに七子は気付く。牛車か輿にしか乗ったことがなかった七子には、それは素敵な緊張だった。馬の扱いが上手かどうか、七子にはわからぬ。ただ、風の色も風の声も風の感触も、この日初めて知った。


これから、七子は宮中で様々な人と出会います。お楽しみに。

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