第六話 元英雄候補の決断
アダが紹介してくれたのは、テスタロンの下町の外れにある、木賃宿と呼ぶのもためらわれるような朽ちた建物だった。
「……廃墟じゃないか」
イーガンがおもわず漏らす感想に
「いや違うぜ? ほら、屋根が残ってるじゃねえか」
アダは平然と答え、中に入ってゆく。
中は外見より広く、どうやらもとは集合住宅だったらしい。
玄関にあたる場所に老爺がひとり座っていて、後ろに藁の山がある。
半銀貨を払うと、一晩、抱えられるほどの藁を好きに使えるようになる。それを寝具にして好きなところに寝ろ、ということのようだ。
半銀貨……町だとパンが三~四個買えるくらいの金を払うと、もうイーガンの手持ちは銅貨三枚になった。明日の朝、パンをひとつ買ったらそれでおしまいだ。
軽く手を振りながらふらふらと酒場へ帰ってゆくアダを見送ったあと、イーガンはパサパサの藁を両手で抱え、真っ暗な建物の中を、一晩の寝床になる場所を探して歩き出した。
翌朝早く、雑草生い茂る宿の庭で日課になっている体操をしたあと、壁によりかかり、昨夜もらった青い封筒を開く。
中の手紙には、几帳面な筆致で、こんなことが書かれていた。
★☆☆☆★
「トラーシュ市は古くより、冒険者を暖かく受け入れる町、冒険の拠点となる町として知られてきました。
史上四人目の「英雄」となった「奇想天外」ことル・バースも、当市を拠点とした活躍で準英雄の地位を得ています。
しかしどんな優れた冒険者・英雄候補も、さまざまな事情で力が衰え、冒険を続けるのが難しくなることがあります。
ツールス王家はこのような、かつて世に尽くしながら苦境にある元冒険者たちを支援する意志を強く持っておられます。
我がトラーシュ市は冒険の町であると同時に、王家の意志を深く汲み取り、元冒険者の受け入れと仕事斡旋に、大きな力を割いている町でもあるのです。
当市は人口三千七百、けして規模の大きい都市ではないため、元冒険者を無制限に受け入れることは不可能です。
そのため各地に当市が信頼する元冒険者を派遣し、優れた人材を発見し推薦していただいています。
この手紙を受け取り読んでおられる貴殿は、推薦者から認められた人物ということになります。
当市としては、貴殿のトラーシュ移住を歓迎したいと考えています。
伝統を感じられる街並み。穏やかな気候。のんびりした人々の気質。そして、やりがいのある仕事。
激しい生活に疲れた冒険者の方々の第二の人生の舞台として、当市は良好な環境を提供できるものと確信しております。
もし移住の意志を固められたのであれば、ぜひ、この手紙を持参のうえトラーシュまでお越しください。
お待ちしております。
トラーシュ市副市長 セスタス・ナイトレイ」
★☆☆☆★
副市長の名の下に印章が押してあり、正式文書だと主張していた。
「なんだこりゃ……」
読み終えて、イーガンは小さく呟いた。
いきなりぶつかって因縁をつけてきたゴロツキが渡してきた手紙にしては、びっくりするほど生真面目でお役所的な文面。
文句のつけようのない提案であるように見える。が、違和感がある。どことなく、読んでいると気持ちがムズムズする。
「はあ……どうするかね……って、あたた……!」
腹がキリキリ痛みはじめた。
空腹が限度を超え、身体が警告を発しているのだ。
(アダと会うのは夜、か……。そこまで、どう生き延びるかが問題だな、こりゃ。……パンが買える場所を、玄関のじいさんに聞かないと……)
★☆☆☆★
昨夜の酒場の昨夜と同じカウンター席で、アダは昨夜と同じようなエールを同じようにぐびぐび呑んでいたが、隣にイーガンが座ると、かすかに片眉をあげてみせた。
「どうした? 石鹸の匂いがするな」
「ああ、小銭を稼ぎに、夕方まで下水道に入ってた。鼠と蜘蛛を何匹殺したか……。とりあえず下水の匂いは落としてきたよ」
知り合いの商人に頼み込み、ギルドを通さない臨時の仕事を紹介してもらったのだ。
「ハハ! 下水道管理ってやつか。若いのがやる定番の仕事だな。俺も駆け出しのころ、悲鳴をあげながらやったもんだ……」
「ああ。俺も六、七年ぶりだった。手順を身体が覚えてるのに、我ながら驚いたよ」
冒険者同士らしい会話をしていると、昨夜と同じ、ショットグラスに入った濃い蒸留酒が目の前に置かれた。
アダに向かって軽くグラスを掲げると、イーガンは一杯目を一息に飲み干した。
「……とりあえず、当面の旅費ぐらいは稼げた。一息つけたよ」
「ほう、半日仕事でそんなにか……。さすがじゃねえか」
「いまさら鼠退治で褒められてもなあ……」
イーガンの返しにハハハ、とまた笑ったあと、アダはこちらに身体を傾けた。
「旅費を稼いだってことは……受けるんだな?」
「その返事をするまえに、いくつか質問したいんだが、いいか?」
「ああ、どこまで答えられるかは質問次第だが、いいぜ」
アダは面白そうな顔をして、エールにちびちび口をつけている。
「手紙には副市長の名前で、力をなくした元冒険者の移住先になる、仕事も斡旋する、と書いてあった」
「ああ、それは正しいぜ」
「だがそれならなぜ、おまえさんみたいな推薦人とやらを、遠いテスタロンまで派遣して、力試しみたいなことしてるんだ? 昨日のあれは、あきらかに戦闘力を試してたろ。戦闘力を求めてるなら、元気のいい現役冒険者はいくらでもいる。盛りの過ぎた奴を集めてるのは違和感があるんだ。なぜだ?」
イーガンは、アダの話と手紙から感じた違和感を、一気にぶちまけた。
「……あんたはやっぱり、たいしたもんだな。違和感を見逃さない。若いが、経験を積んだ冒険者だ」
アダはそうため息をつくように言うと、ジョッキのエールを飲み干した。
イーガンは黙って、カウンターの向こうのバーテンダーに、自分とアダのぶんのおかわりをくれと合図をする。今夜は奢るつもりだ。
「まず、ひとつ誤解を解いとくぜ。手紙は見栄を張って、各地に推薦人が送られたって書いてたようだが、そりゃ誇張だな。推薦人は今んとこ、俺ひとりだよ」
「……なんだ、そうか……」
「ハハ、一時間あれば一周できるような田舎町だぜ。そんな大きな話なわけがねえよ……。で、俺がテスタロンにいるのは、ここが俺の故郷だからだ」
アダは顎髭をさすりながら、バーテンが差し出したエールジョッキを見もせずに掴んだ。
「昨日も言ったろ、後任を探してるって。俺はもう引退して、ここで余生を送るつもりなのさ。仕事をやめてトラーシュを出るときに、俺のかわりを探して送るぜと約束して出てきたんだ。元冒険者を集めてるわけじゃねえ。募集してるのは俺のかわりの一人だけだ」
「ああ、なるほど……。つまりあの手紙は、半分はお役所らしい誇大宣伝ってわけか……」
「ま、俺は中身は知らないが、文面考えたのは、たぶん秘書の娘っこだ。いろいろ張り切っちまったんだろ。ハハ!」
感じていた違和感があっけなく謎解きされて、イーガンは少しばかり脱力した。
「で、アダ、おまえさんはトラーシュでどんな仕事をしてたんだ?」
「…………」
そこで黙りこむのかよ! と、イーガンは心の中で叫ぶ。
「……それが、俺が答えられない質問、ってやつだ。トラーシュで聞いてくれ」
「いや、それがわからないと、さすがになあ……。犯罪行為をやらされるわけじゃないよな?」
「…………」
そこで黙秘かよ! と、イーガンはまた心の中で叫ぶ。
「……ひとつ言えるのは、トラーシュであんたには拒否権があるってことだ。俺と同じ仕事を強制はされない。嫌なら、農業や店の仕事を紹介してもらえるぜ。これは保証する」
それはたしかに慰めになる情報だったが、肝心かなめの仕事内容がわからないというのは、不安すぎた。
「やれやれ……。どうしたもんかな……」
「気に入らなきゃ、帰ってくればいい。どうだ、一度、トラーシュをのぞきに行っちゃくれねえか? 頼む……」
アダは急に低姿勢になり、何度も頭を下げながら、トラーシュ行きを承知してくれるよう頼んできた。
蒸留酒のグラスを重ねるうち、イーガンもしだいに行くだけ行ってみよう、という気持ちになり、ついにはアダの頼みに頷いて、喜ぶアダと何度も乾杯することになった。
★☆☆☆★
酒場から暗い路上に出ると、アダはそれまで大声で笑っていたのが嘘のように、大きな目を眠そうに細めて静かな口調になった。
「それじゃあな。トラーシュのみんなに俺のことを聞かれたら、よろしく言っといてくれ」
「ああ」
「はあ、肩の荷が下りたぜ。これで俺の役目は終わりだ。スラムでのんびり暮らせる」
「いやアダ、おまえさんほどの奴が、なにもスラムに行くことはないだろ……」
「言ったろ、故郷に帰るって。テスタロンのスラムが俺の故郷だよ。俺はもともとスラムのゴロツキで、強くなって英雄候補になって、英雄候補でなくなって、それから……」
ぐしゅん! とくしゃみをして、アダは鼻をすすった。
「五年かな、六年か……トラーシュでだんだん元に戻してもらって、いまやっと、もとの名もないゴロツキに戻るのさ」
「元に、戻してもらって……?」
「……ま、あんたにも、そのうちわかる。じゃあな」
アダはもうイーガンのほうを見ようとしなかった。酔いを感じさせない足取りで歩き出す。
「おい、スラムのどこに住む気なんだ? なにかあったら文句言いにいくからな。教えろよ!」
イーガンは、あっさりと去ってゆく背中にあわてて呼びかける。
せっかく知りあったこの無骨な大男と、縁が切れるのは惜しかった。
「また会えるといいが、無理じゃねえかな。アダって男は、たぶん、しばらくしたら消えてると思うぜ」
「……何を言ってるんだ? 酔ってるんだな? おい!」
なおも呼びかけるがアダはもう振り向かず、外套のポケットに手を突っ込んで、足早に歩み去っていった。
結局最後まで、イーガンの名も、素性も、知ろうとはしないままだった。
夜の中に消えてゆくその背中を、イーガンは呆然と見送った。