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チンピラとは妖精の一種である  作者: 大穴山熊七郎
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第五話 元英雄候補の勧誘

 武闘大会以来八ヶ月ぶりにテスタロンの街門をくぐると、街はもう夕闇に包まれ、ちらちらと小雪が舞っていた。

 一週間後に新年を迎える首都の街路は、外套に身を包んだ人々でぎっしり埋まっている。

 だがその賑わいを観察する余裕など、イーガンには皆無だった。

 ろくに食事もせず木枯らしの吹く道を半日歩き続けたあと、街門通行のため数時間も立ちんぼうを続けていたのだ。

 英雄候補の頃は冒険者証を見せればすぐに通れていたが、ただの冒険者はじっと順番を待つしかなかった。

 身体は氷漬けの魚のようになっていて、急ぎ足の通行人にぶつからずに歩くことすら難しい状態だった。


(静かな横道に入ろう……。そして、できればどこかで強い酒か、あたたかいスープを……)


 イーガンは白い息を吐き、言うことをきかない身体を震わせながら、大通りをそれて横道に入ろうとした。

 角を曲がった瞬間、ガッ、と、毛だらけの重たいものがぶつかってきた。

 とっさに腰を落として踏ん張る。湿った石畳のうえを靴が滑り、ザリッと音がした。

 ぶつかってきた者はあっけなく離れ、路上にひっくり返った。


「あいたたたた! 気をつけろや! ああ痛え怪我したぜ怪我! どうしてくれんだよお!」


 油汚れが浮き出たドロドロの外套に身を包み、街路に尻もちをついて怒鳴っているのは、茶色いアゴヒゲをびっしりと生やした大きな男だった。

 血走った目は熱に浮かされたようにギョロギョロと動いている。


「慰謝料払えや! なあおい! 警備詰所に行ってもいいんだぜ! 払えや! 金だよ!」


 なおも力のかぎりわめく。

 周囲の人々はその常軌を逸した大声にぴたり、といったん止まったが、すぐに見て見ぬふりをして歩き始める。

 イーガンは固まっていた。驚きで、ではなく、感動で、だ。

 今日、街道を歩きながらずっと、自分がゴロツキになる夢想と戯れていた。

 それから数時間後に見事な実例が現れたことに、イーガンはひそかに感動していた。


(例の妖精のしわざかな? いや、英雄候補でない俺にもう妖精の導きはないか……。)


「なんとか言えやこらあ! あー痛え! 骨折れてるぜこれ! どうしてくれんだよ! ああ!?」


 大男の声はますます大きくなる。


「すまん。金はない。ほぼ無一文だ」


 イーガンは落ち着き払った声で答えた。

 男はむくりと立ち上がると、顔をぐいと近づけてくる。


「ああ!? じゃあ目玉でも内臓でも売れや! なめてんじゃねえぞ、こら!」


 男の拳がブン、と音を立てて動き、イーガンの脇腹に突き刺さろうとする。

 着ている軽い革鎧はみぞおちの部分が補強されている。イーガンは当たる寸前にごくわずかに身体をひねって、固くて厚い革の部分で受けた。

 男が一瞬顔をしかめる。

 イーガンは男をじっと観察していた。ただよう油と垢の匂い。だが、そこに酒の匂いがしないことを確かめて、イーガンはほぼ確信した。


「……何か狙いがあるのか?」


 近づいてきた男の顔に向かって低く囁いた。男の落ち着きなく動いていた目が、一瞬ぴたりと止まり、イーガンの目を覗き込んだ。静かな、見透かすような目だった。


「……ちょっと付き合ってくれ……」


 聞こえるか聞こえないほどのつぶやきのあと、男はイーガンの襟首をぐいと掴む。


「へへへ! 誰もいないとこでお話しようや! おう、何見てんだおまえら! 見世物じゃねえぞ!」


 周囲に立ち止まって見ている人などいないのに、そう吠えると、イーガンの襟を引きずって横道へ入ってゆく。イーガンは逆らわずに、その動きに合わせてついていった。



★☆☆☆★



 男がイーガンを連れ込んだのは、いかにも隠れ家という風情の暗い酒場だった。

 客は数人しかいないのに、煙草の煙が立ちこめている。

 イーガンは透明な蒸留酒を小さなグラスからクッと一息に煽り、一瞬目を閉じると、はあああ、と心底から息をついた。


「正直言って、生き返った。まさか、ゴロツキに酒を奢ってもらうことになるとはなあ……」


「いい呑みっぷりだ。ここに来るまでに、きつい目にあってきたみてえだな?」


 カウンターで隣に座る大男は、からかうようにそう言いながら、濃い色のエールをゆっくりと口に運んでいる。

 粗暴さと知性が交互に見え隠れするような、不思議な印象をイーガンは男に抱いた。


「大げさに言うほどじゃないんだが、なんせ金がなくてな」


「あんたほど鍛えてる男が、か。おかしな話だぜ……」


 探りあいのようなやりとりが続く。

 イーガンはちょっと黙り、軽く肩をすくめてみせてから言った。


「この一杯の恩、金以外で返せるなら努力はするよ。言ってみてくれ」


 イーガンの言葉に、大男はエールのジョッキをとんと置き、こちらに上半身を向けてくる。

 充血した目がイーガンを観察していた。


「じゃあまず、一つ聞かせてくれ。……あんた、元英雄候補か?」


「……ああ。その通りだ。……なんでわかった?」


「まあ、なんとなく雰囲気でな。当たってよかったぜ」


 髭の下の口がにいっと笑みの形を作った。苦々しい、歪んだ笑顔だった。


「俺も、元英雄候補だ」


「……!」


 イーガンは驚きでぽかんと口を開ける。


「アダ・ストロエルス。俺の名だ」


「<人間砲弾>アダか! 東部では知られた名だったな……」


 最強クラスの格闘家として、十年ぐらい前まで冒険者の間では尊敬の対象となっていた名だった。

 だが……さきほどの体当たりも拳打も、弱くなったイーガンですら受け止められるものだった。手加減していたのか、あるいは……


「……そんな目で見るな。手加減なんぞほとんどしてねえよ。あれが、いまの俺の実力だ」


「……やはり、奪われたのか?」


「…………なんだと?」


 アダの目がいっそう大きく開かれ、イーガンの身体をさっと舐めるように見やった。

 しまった、とイーガンは臍を噛む気持ちになった。

 あの闘技場の物置での出来事は、簡単に話していいことではない気がした。

 慌てた気配を察したのか、アダの目はイーガンから外れ、手がジョッキの持ち手を握り直す。


「……俺の場合は怪我が原因だ。とくに膝がな……。いつのまにか英雄候補の名は外れてて、もう戻ってこなかった」


「……そうか」


「心配しなくても、あんたが候補から外れた事情は聞かねえよ。それはどうでもいいんだ。……問題は、元英雄候補や弱くなった元冒険者は、たいてい苦しい思いをするってことだ」


 アダはエールをぐい、と飲み干すと、カウンターの向こうにいた影のようなバーテンダーに、黙って指を立てた。

 そちらもですか、というふうに、バーテンダーの顔がイーガンを向く。アダはイーガンのほうを見ずに、小さくうなずいてみせる。

 蒸留酒一杯の恩が、蒸留酒二杯の恩になった、と考えながら、イーガンはすっと差し出されたショットグラスを受け取った。


「……あんたはどうだ?」


 アダがまた顔を寄せてきて、こちらを覗き込むように見た。

 油の匂い、古いゴムのような匂い、疲れた男の匂い。

 俺の同類の匂いだ、と思いながら、イーガンはまた一息にグラスを煽った。


「……聞くまでもないだろ。この有様だよ」


 喉を通ってゆく熱く滑らかな刺激。アルコールがもたらす急激な多幸感に引きずり込まれそうになりながら、ようやくイーガンはそう答える。

 つらいのは、俺だけではなかった。そうわかっただけで、ひとつ重荷が下りた気がする。


「……そうか。まあ、幸せそうには見えねえから、ぶつかってみたわけだがな……」


 アダは小声でいい、こう続けた。


「なら、安息の地がある。俺はそこから来た」


「……なに?」


「……いや、安息の地は言い過ぎか。あやしい宗教みてえだな、これじゃ……」


 ぶつぶつと呟くと、照れ隠しのようにエールをごくごくと喉に通す。

 一方、うさんくさい雰囲気を感じて、イーガンは急に落ち着きをなくした。


「……ちっ、まいったな……。俺はゴロツキだぜ、こういうのには向かねえんだ……」


 アダは一気にエールを飲み干し、乱暴なしぐさでバーテンダーにおかわりを要求すると、来たジョッキをまたごくごくと半分ほど飲み、泡を手のひらで拭きながら、ふう、と息をついた。


「簡単にいうとな、俺は後任を探してるんだ。俺のかわりに、トラーシュで仕事をしてくれる奴をな」


「……トラーシュ」


「ああ。東部の国境近くにある、小さな町だ」


「……トラーシュ……お、おお、カブの産地か!」


 良質のカブが穫れる土地として、青果店育ちのイーガンには聞き覚えのある地名だった。


「おう、よく知ってるな……。それ以外もけっこう名産があってな、田舎町だがな。悪くはねえよ。住みやすい場所だ」


 アダの目が細められ、かすかな笑いの気配が漂った。


「で、トラーシュは町ぐるみで、元英雄候補、というか、むかし強かったのにいま困ってる冒険者に仕事を提供してるのさ。……へへ、なかなか面白い暮らしができるぜ」


「へえ……」


 もちろん、この会ったばかりのアダというゴロツキを全面的に信用などできない。

 が、少なくとも興味を惹かれる話だった。


「もう少し、詳しいことが聞きたいんだが」


「……ま、俺が説明するより、これを読んでくれ。町の責任者から預かってきてる」


 アダが懐から取り出したのは、高級そうな青い封筒だった。


「これを読んでもしやる気になったら、明日の夜、またこの酒場に来てくれ」


「……わかった」


 イーガンは封筒を受け取り外套のポケットにしまった。


「じゃあ、俺はもう少しここで飲んで……どうした?」


「いや……な」


 イーガンは、もごもご口ごもりながら答えた。


「……できれば、今夜の宿の相談に乗ってくれないか……。格安の木賃宿か何かを……。うん、金がなくてな……」


「お、おう……」


 まさか木賃宿一泊分の金もないとは思わなかったのだろう、アダが呆れたような顔で見てくるのに、イーガンは情けない半笑いで応えた。

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