第四話 元英雄候補の流浪
元英雄候補イーガン・ロックエルが、本拠であった南部の小都市ミスダルを発ち、ツールス王国を旅しながらの冒険をはじめて、半年ちかく経った。
イーガンは、生活に困窮していた。
★☆☆☆★
旅立った当初、イーガンは王国中央にある王都テスタロンか、西部にあるツールス第二の都市モブドを目指すつもりだった。
かつての戦闘力はないとはいえ、大きな町ならば、イーガンが冒険者として暮らしていけるだけの仕事はあるだろうと考えていた。
急ぐ旅ではない。
最寄りの町々に寄り、しばらく滞在しては冒険ギルドで仕事を請け負い、路銀に余裕ができたら次の町を目指す。
そんな感じで生きている旅の冒険者は多いし、大きめの町にはそういう冒険者用の宿や店もある。
パーティーも組めるし、いざというときには助け合える。
だからとくに何の心配もせず、細かい計画も立てずに旅に出たのだ。大金を持って歩くわけにもいかないので、武闘大会の賞金も大半は実家の親に贈ってしまった。
しかしイーガンはすぐに、「英雄候補武闘大会四位」という実績の重みを思い知ることになった。
冒険者が集まる酒場に行けば、一人か二人は今年の武闘大会を見に行った者がいて、その多くがイーガンの顔を覚えていた。
「あんまり地味だから、かえって目立ってたぜアンタ!」
ガハハハと笑いながら肩を叩いてくる。
若い冒険者は敬語で話しかけてきて、防御魔術を教えてくれと頼んでくる。
冒険の話を聞かせてくれと、女性の冒険者が顔を寄せてくる。
ミスダルで起きたことを、もう一度繰り返すのかと思うと耐えられなかった。
イーガンは怪我で療養中だと言い訳をし、微笑みながら酒をおごり、曖昧に笑いながら立ち去ることになった。
冒険者ギルドでは、もっと悲惨だった。
冒険者証を見せれば、イーガンが英雄候補でなくなっていることは分かってしまう。
名前だけは有名なイーガンは、受付嬢の怪訝な顔を見せられ、ひそひそと噂する声を背中で聞かなくてはならなかった。
居合わせた者全員が、自分がどんな仕事を選ぶかを注目している。薬草の採取や低レベルの魔物退治など、とても選べなかった。
困惑と同情が怖かった。
ふたつの小さな町で続けてそんな経験をしたあと、イーガンは大きな町に行くことをあきらめ、冒険者がほとんどいないような田舎の村を回ることにした。
が、環境は厳しかった。そういう村には冒険者に向いた宿も冒険者用の商店もなく、なにより、冒険者が活躍するような仕事も数えるほどしかなかった。
四つほど村を回ったところで使っていた盾が破損し、テスタロンから南東に四日ほど行ったところにある農村で、もう一ヶ月ちかく足止めを食らっている。
村の鍛冶屋は素人同然で、農具とやかんの修理しかしたことがなかったが、路銀が厳しい状況では任せるしかなかった。
宿もないこの村で、イーガンは農家の二階を間借りして、盾の修理代を稼ぐためおもに農作業を手伝っている。
農家兼青果店に生まれ育ったイーガンにとっては手慣れた仕事で、一時期は頼りにされ人気者になりかけたが、それも過去のことになりつつあった。
(もう冬だからな……。農作業は少なくなるし、そうなれば俺は厄介者だ……。というか、こんな暮らしをするなら、実家に帰ったほうがマシだよな……。)
屋根裏に布団をしいて寝転がったまま、イーガンは、暗い目をして考え込んでいる。
(何やってんだろう、俺……。きついなあ……。生きてくのは、きつい……。冒険者をやってくのは、もう、あまりにもきつい……。)
何よりもきついのは、冒険者仲間からの視線ではなかった。
ツールス王国で、冒険者という職業にはふたつの目的がある、と、冒険者登録した者はギルド職員から最初に教えられる。
ひとつは、魔物を退治し、無辜の民衆の暮らしを守ること。
魔物は人を襲って殺すことで強くなってゆく。少しでも放置すると強力な魔物が生まれ町ごと滅びたりするので、日々魔物を狩る冒険者の存在は不可欠だ。
もうひとつが、強くなって「英雄」の称号を得ること。
「英雄」だけが、魔物の最高峰である「魔神」と戦うことができるとされている。全ての冒険者はそこに到達することを目指さなくてはいけません、と、冒険者になるとき全員が言われるのだ。
なのにいま、イーガンには、自分がもう強くならないということが、感覚でわかってしまっていた。
イーガンは実のところ、今でもそれなりに強い。
十年も魔物と戦い続けてきたのだ。亀甲の盾に頼る戦術が身体に染み付いていたせいで、ミスダルでは何度か不覚を取ったが、そこに気をつければ中堅冒険者として食っていけるだけの技量はあった。
だが魔物と戦うたび、自分のなかで成長の可能性が失われていることを、いやおうなく感じてしまう。
冒険者になって十年間ずっと感じてきた、戦いの経験が自分の中に蓄積されていく感覚がない。
失ったのは、防御魔術や英雄候補の名だけではなかった。
イーガンがあの若い男とヴェールの女に奪われていたのは、冒険者としての可能性だった。
旅しているうちイーガンはそれを、魂がギリギリ痛むような実感として感じるようになっていた。
(……強くなってく可能性がない貴方なんて価値がないって……)
エミリが泣きながら言った言葉が、イーガンの脳裏から離れない。
(もう頭下げて、故郷に帰って畑耕すか……。それとも、もういっそ、どこかの町のスラム街に潜り込んで、ゴロツキにでもなっちまうかな……。)
それもこれも、英雄候補なんてものになってしまったからだ、と、イーガンは苦々しく思い返す。
拒否権などなかった。
あれは二十五歳になったばかりの時だったが、ミスダル近郊の森で四人パーティーを組み大蜘蛛を倒した直後に、声がしたのだ。
<貴方の評価と能力が一定値を超えました。イーガン・ロックエル、ツールス王国は貴方を第三級英雄候補と認定します。>
機械のような声は、イーガンの脳裏に響き渡った。
仲間たちには声は聴こえなかったが、イーガンを何か後光のようなものが包むのは見えたらしい。
「英雄候補だ! ミスダルから英雄候補が出た!」
パーティーの仲間たちは帰還すると、冒険者ギルドに叫びながら入っていき、ギルドは何日も続くお祭り騒ぎになった。
連日、酒を浴びるように飲まされてふらふらになったイーガンに、薬と冷たい手ぬぐいを用意してくれたのがエミリだった……。
そこまで思い出すと、イーガンはわら布団のうえで頭を抱えこむ。
英雄候補になったからといって、イーガンに特別な能力が付与されるわけではなかった。
ただ、社会的地位は跳ね上がった。ミスダルの上層部の会議にもたびたび呼ばれるようになり、傭兵ギルドや警備隊からも一目置かれるようになった。
そしてもうひとつ、なぜか事件がたびたびイーガンに振りかかるようになった。
意外な場所で追い剥ぎを目撃したり、知り合いが失踪したり、謎の怪文書が舞い込んだり、イーガンしか倒せないような魔獣が現れたり。
比較的たんたんと冒険者をやってきたイーガンにしてみれば、突然、吟遊詩人の歌の中に放り込まれたような感じだった。
そのことをギルドのミスダル支部長に愚痴ると、ドワーフの支部長はカラカラと笑い、「昔から言うのじゃ、英雄候補は妖精が育てる、とな。運命をつかさどる妖精が、おまえを気に入っておるのじゃよ」と、古いことわざを教えてくれた。
そのことわざは本当だったのかもしれない、と、いまイーガンは本気で思っている。冒険者証から英雄候補の文字が消えて以来、派手な出来事はぱったりと起きなくなった。
妖精は自分を見捨てた。
あの、ヘラヘラと笑っていた若い男とヴェールの女が、妖精の加護も奪っていったのだろう。
暗鬱な物思いにふけったまま、イーガンは農家の二階で眠りに落ちていった。
★☆☆☆★
季節が真冬を迎える頃、イーガンは修理代をなんとか工面して鍛冶屋から盾を受け取り、ニヶ月近く居続けた村を離れた。
盾はちゃんと直っておらず、どこかの町で再修理に出す必要があったが、黙って金を払った。
故郷に帰るか、旅を続けるか。迷ったあげく、イーガンは首都テスタロンを目指すことにした。
テスタロンの知人から冬を乗り切るための最低限の金を借りて、暖かくなるまでどこかのスラム街でじっとしているつもりだった。結果、ゴロツキになってしまってもいい。構わない。
(……いやむしろ、ゴロツキになりたいよ。なれるもんなら、その日その日の酒とメシだけを求めて町を練り歩く、刹那的な生き方に堕ちてしまいたい……。路上で死ねれば、本望ってもんじゃないか……。)
寒風吹きすさぶ街道をうつむき歩きながら、イーガンの疲れた心は、そんなことを真剣に思い描くようになっていた。