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チンピラとは妖精の一種である  作者: 大穴山熊七郎
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第三話 元英雄候補の出立

 ツールス王国南部の小都市、ミスダル。

 夏のはじめのある朝、無骨な石造りの街門をくぐって、一人の男が町を出ていこうとしていた。

 名はイーガン・ロックエル。三ヶ月前には、英雄候補武闘大会で戦っていた冒険者だ。


「もう行くのか」


 イーガンが差し出した冒険者証……冒険者ギルドが発行する身分証を形だけあらためながら、街門の門番はつぶやいた。

 イーガンがミスダルで活動するようになって十年近く経つ。この門番とも何度か酒を飲んだ仲だった。


「ああ。今まで世話になったな、ありがとう」


「いや……。イーガン、おまえには申し訳ないと思ってる。俺だけじゃなく、おそらく、町のものはみんな……」


 いかつい門番の顔が、わずかに歪んだ。


「今まで、おまえの働きでこの町がどれだけ助けられたか。なのに、おまえが……今のようになったら……」


「……気にしてないさ。俺が町の人たちの立場でも、扱いに困るだろうと思うよ」


「おまえがそういう奴だから、なおさら、俺たちの申し訳なさは消えないんだ。人がいいのも大概にしろよ?」


 門番は冗談めかした口調でそう言ったが、顔はまったく笑っておらず、イーガンのほうがくしゃりと顔を歪めてみせた。


「そう言われてもなあ……。生まれつきさ。苦情はサウダフのおふくろに言ってくれ」


 門番に笑いかけたあと、イーガンは振り返って、ミスダルの小さく田舎っぽい街並みを眺めた。

 故郷のサウダフ村のすぐ北にあるこの町で、イーガンは冒険者登録をし、修行をし、冒険者として成長してきた。

 英雄候補になり、この町を代表するような形で声援を背に王都に旅立ち……そして、力を奪われ、英雄候補でなくなって帰ってきた。

 第二の故郷ともいえるこのミスダルで、普通の冒険者として再出発できればいいとイーガンは考えていたが、それが甘い考えだったことを、少しずつ思い知っていった。


 ミスダルの人たちは、手ぶらで帰ってきたイーガンを暖かく迎えた。

 が、イーガンが亀甲の盾を使えなくなり、中堅冒険者レベルの実力しかなくなっていることは、じわじわとミスダル中に広まっていった。

 決定的だったのは、近くの森を巡回中に咬蛇というよくいる蛇の魔物に集団で襲われ、惨敗して町に担ぎ込まれたことだった。

 負傷そのものは回復魔術ですぐ治ったが、見舞いに来たギルドの者たちや近所の人たちはみな目を泳がせ、どういう態度をとっていいのかわからないという顔をしていた。

 かつて英雄候補として頼りにされ、イーガンもその信頼に応えていたことが、イーガンと周囲の人たちの関係を難しくしていた。

 ちょっとしたぎこちなさ、端々に見える同情と困惑、そしてわずかにまじる失望と軽侮。

 澱のように溜まってゆく割り切れないものを、ついにイーガンは飲み下せなくなった。

 ミスダルを去ろう、と決心してから一週間。挨拶回りと連絡を済ませて、今日、ようやく旅立つことができる。

 いくら嫌がっても送りつけられ続けてきた実家からのマウリ瓜は、これからは全部次男のところへ行くだろう。


「じゃ、行くよ」


 門番に手を振って歩き出そうとする。


「……見送りがいる。挨拶してけよ。ほら」


 街門詰所の中から、肩をすぼめうつむいたまま、まっすぐな栗色の髪を胸あたりまで伸ばした若い女性が出てきた。

 冒険者ギルドの受付嬢、エミリ。

 四年前にミスダルに来て、ギルドでは事務員の花形として人気がある。

 彼女とは、何度も何度も食事をし、相談事をし、酒を飲み……そして、何度かキスをした。

 王都の武闘大会から帰ったら、もう少し、関係を進展させるつもりでいた女性だ。


「……エミリ。君が見送りに来てくれるとは思わなかったな」


 思わず、正直な感想が口からこぼれ出た。

 亀甲の盾を失ったことを話してから、日を追うごとにエミリの態度は冷たくなり、ここ一ヶ月は会話さえ途絶えていた。

 実のところ、イーガンに旅立ちを決心させた最大の理由のひとつだった。


「……ごめんなさい……」


 蚊が鳴くような小さな声で、エミリは言った。


「……ごめんなさい。どうしようもなかったの。頭ではわかっていたの。貴方の良さは人柄で、力なんて少し失ったからってそれが何だ、って。必死でそう思おうとしたの。でも、できなかった。私の中から何かが消えちゃってた。強くない貴方なんて、強くなってく可能性がない貴方なんて価値がないって、心の中で誰かが囁いてるみたいだった……。私はひどい。最低なの。ごめんなさい……こんな女でごめんなさい……!」


 突然、エミリはしゃがみ込むと顔を覆ってしまった。

 吠えるような泣き声が覆った手のあいだから漏れ、イーガンは金縛りにあったように立ちすくんだ。

 門番が見るからにオロオロしはじめ、険しい顔になってエミリの肩を揺すった。


「おい! おい、こんなとこで大泣きすんな! イーガンが旅立とうってのに、縁起でもない泣き方しやがって……おい!」


 だが、エミリの号泣はやまず、あたりに響き渡っている。

 イーガンはエミリに近づいて、肩にそっと触れた。


「……自分を責めないでいい。当たり前のことだ。エミリ、どうか俺のことは忘れて、幸せになってくれ」


 なんて陳腐な、型通りの言葉だろう、と、言いながらイーガンは思った。

 だがそれ以外に、言えることを何も思いつかなかった。


「……ごめんなさい……ごべんださい……!」


 エミリが、涙がぽたぽた滴るような声で叫んだ。

 泣き声はいっそう大きくなり、自分の慰めが逆効果だったことをイーガンは知った。

 ……どうしよう、これ?

 イーガンが目で問いかけると、門番は心底困ったというふうに口をすぼめた。それから、軽く顎を横に振ってみせた。

 もういいから、おまえは行け、という合図だった。

 うなずいて、最後にもう一度、エミリの肩に軽く触れると、イーガンは城門を出て、街道を歩き始めた。


 しばらく歩いてから、晴れた空を見上げ、イーガンは一度立ち止まった。

 もう、エミリの泣き声は聞こえない。


(泣き止んでくれただろうか?)


 イーガンはそう考えた。

 すると、たったいま別れてきたばかりの、エミリに関する記憶が、鮮やかに蘇ってきた。

 濃い匂いのする栗色の髪、柔らかい身体の曲線、強気な中にも気配りのある張った声、そして、しっとりした唇の感触。夢見ていた、彼女との未来。


(本気で好きだったんだけどな……。)


 じわっと視界が滲むのを感じ、イーガンは自分が思ったより惨めな気持ちでいるのに気づいた。

 じっと空を見上げて、気持ちが整うのを待つ。


「ふられたものは、しょうがないな! 行こう行こう!」


 誰もいない街道の真ん中で、ひとり声を張り上げたあと、イーガンは早足で歩き始めた。

次回「元英雄候補の流浪」は3日後ぐらいの予定です。

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