第二話 喪失
西陽が差し込む部屋は小さくて埃っぽく、テーブルも椅子もなかった。あるのは、観客誘導用に地面に置く木製の柵だけだ。
どう見ても、ここは物置だった。
王都武闘大会で四位になったばかりの男が、ツールス王国の大臣に呼び出されるにしては、ずいぶんな部屋だ。
腰掛ける場所もないので、部屋の真ん中にぼーっと立ったまま、イーガンは、さきほどまで行われていた王都武闘大会の表彰式を思い返していた。
「では、今回の優勝者! <雷神を継ぐもの>ことツールス王国第三王子、ズーバー殿下! 準決勝こそやや苦戦なさいましたが、あとは圧倒的な強さを発揮されました! 準優勝は、<北の大豪腕>ボンブル! この二人には文句なく、<準英雄>の称号が与えられます! そしてその他では、三位となった<幻の水霊使い>イーダ、さらに準々決勝で敗れましたが素質を認められた<薄幸の天才少女>アイ=レンが、優先英雄候補として、数々の特典を受けられることになります!」
イーガンは準決勝でズーバー王子と当たり、徹底したカウンター戦術で粘りに粘った。
最後は魔力が切れて左腕を斬られ敗北したが、勝ったズーバーのほうが地面にへたり込んで動けなくなり、決勝戦が一時間延期されたほどだ。
にも関わらず、表彰式にイーガンの名が出てくることは一度もなかった。
三位決定戦もなく、いつのまにか四位ということになっている。
負けた以上、それに文句を言う資格はないとイーガンは本心から思っていた。それに、四位の賞金は(思ってたより少なかったが)舞台袖でちゃんと貰っている。
ズーバーのすぐ横に並んで、表彰された者の喜びようを見守ったあとは、一度宿屋に戻ってから、酒場に繰り出して自分をねぎらう予定だった。
我ながら健闘したのだ。貰ったばかりの賞金で王都の酒を飲むだけ飲んだら、翌朝、満足して活動拠点のミスダルへ帰るつもりだ。
ミスダルにはたくさんの仕事とたくさんの人たち、そして、人生を共にしたい女性が待っている。
すでに一杯飲む気分になりながら会場を出ようとしたときに、大臣が呼んでいるという伝言が来て、指定された場所に来たらなぜか物置だった、というわけだ。
「やあやあ、待たせたね」
背後から若い男の声がして、イーガンは驚愕とともに振り向いた。
この狭い部屋には、間違いなく一瞬前までイーガンしかいなかったはずだ。
そこに立っていたのは、ふんわり波打つ金髪を頭に乗せ、上等な仕立ての服を着て薄ら笑いを浮かべている男と、その後ろに付き従う、ヴェールつきの帽子をかぶった黒いドレスの貴婦人ふうの女だった。
イーガンが声を出そうとしたとき、男はひょっ、と手のひらを前に出し、イーガンを制止する。
「言っとくけど僕は大臣じゃないから。大臣に頼んで呼び出してもらったけどね。僕、大臣より偉いから。正体は明かせないけど。うん、ごめんね、謎の色男ってことで納得してよ、ね?」
いきなりしゃべりまくる男に反応もできず、イーガンはあ然としている。
「でね、さっそくだけど、キミに一言いいたいわけ。ねえ、なんなのキミは?」
「……なんなの、とは?」
「なんでそんなに地味なの? 華ってもんが皆無なの? って言いたいわけだよ。なんなのあの準々決勝は? 相手は<薄幸の天才少女>アイ=レンだよ? まだ数人しか知らないけど前国王の隠し子だよ? 生まれてすぐ陰謀に巻き込まれて孤児院に捨てられて、そこで健気に暮らしているうち才能が開花して、ふとしたことから賢龍に気に入られて山に連れ去られて、そこで気難しい魔法使いとかと修行しながら力をつけてきた魔法剣の天才だよ? あの子の全身がドラマのかたまりなんだよ、わかる!? なんでそんな子にカウンター一発で勝っちゃうわけ? 空気読めよ!」
「お、おお……?」
怒涛のような語りに圧倒されて、曖昧に声を出すだけになってしまう。
アイ=レンが前国王の隠し子だなんて情報を、自分が知っていいのだろうか?
「対するキミはなんなの? 青果店の三男でキャベツばっかり食べて育った普通の子供で、故郷の村で手が足りないから人数合わせで警備隊員になって、そこで防御魔術覚えたらたまたま才能があって、実家を兄ちゃんが継いだから家を出て冒険者になろうとしたら英雄候補になってました、って……ねえ、なにその地味過ぎる来歴? 二十八歳独身、これといった恋愛歴なし、いまだに実家から野菜送られてくる英雄候補とか何なのほんと?」
「はあ、よく知ってるなあ……」
どこで調べたのか知らないが、実に正確なイーガンのまとめだった。
ちなみに実家から野菜が送られてくるのは別にイーガンのためではない。余剰在庫が生まれたときにさっさと処分するためだ。だからイーガンが嫌いなマウリ瓜も構わず送られてくる。結婚して養子に行った次男のところにも大量に送られているはずだ。
「だからなんでそんな反応なんだよ! 性格まで華がなさすぎ! そんなことだから異名もつかないんだよ? 王都の武闘大会で準決勝にまで行ったのに<南方の戦士>とかどこにでもいそうな異名で呼ばれてるのはキミぐらいなもんだよ! 実況者も盛り上げようがなくて困ってたろ! 空気読めよ!」
男が唾をとばしながらいきりたつのを、イーガンはただ呆然と見ていた。
「なんとか言いなよ!」
「いや、まあ……事実だしな」
自分が地味であることは知っているし、それは自分ではどうしようもなかった。
「はあ……ダメだこりゃ。というわけで、キミは英雄にはなれないよ。可能性はない。僕がそう認定した。……でね、キミのその力自体はかなり上質で使えるから、ボクのほうで引き取ることにするよ。キミのせいでボクの構想も狂っちゃったし、まあ、罰って意味もあるよね。そういうこと。悪いけど納得して。納得しなくても、まあ関係ないけど」
「……は?」
英雄になれないと言われて心が痛まないわけではないが、そうだろうな、と納得する気持ちのほうが強い。
そもそもイーガンは実のところ、それほど英雄になりたいわけではなかった。仕事として冒険者を選択しただけだ。
しかし後半の、力を引き取る云々というのは、全く意味がわからない。
「マルト、お願い」
「……本当に、いいの? その人、強いんじゃないの?」
ずっと微動だにしなかったヴェールの婦人が、はじめて口を開いた。
低めの美しい声には、およそ感情らしきものがこめられていない。
「ああ、たしかに彼は強いよ。中級の防御魔術を極めに極めて、髪の毛一本ほどの精度で瞬時に制御できる。こんなことが出来た人間は、いままでいないと言っていいね。おそるべき才能と努力だよ」
「……へえ、褒めるのね」
「でも、彼は基本的にそれしかできないんだ。守れるのは自分自身だけ。狙えるのは受け流しからのカウンターだけ。発展性もなければ将来性もない。そうだろ、南方の戦士くん?」
「……そんなことは、ない! 将来性は、ある……」
イーガンの心の奥底で、沸騰するものがあった。男の長広舌のなかで、はじめてイーガンの心が動いた言葉だった。
亀甲の盾。その地味な魔術と、イーガンは長い長い時間を過ごしてきたのだ。
それを否定されるのだけは、我慢できなかった。
「……ないね。僕がそう決めた。マルト、やってくれ」
「…………」
マルトと呼ばれた婦人が、すっと近づいてきた。
両手を胸の前に出し、見えない球を抱えるような姿勢を取る。
「……ごめんね……」
ヴェールの下のつややかな薄い唇が、そう囁き、それから声が大きくなった。
「……天より与えられし力は天に還る。戦士に与えられし技は世界に還る。$%&##$%の書き換え、形式は%¥#%@$……」
女性の言葉の後半は、イーガンには全く意味がわからない、言葉ですらない音の羅列としか思えなかった。
「承認を受けてここに告ぐ、削除し還元せよ……$%&#¥#%……」
「!!!」
突然、身体が動かなくなる。腹部の底のほうに、なにか、急激なモヤモヤが生まれる感覚があり、イーガンは顔をしかめた。気持ち悪い。とにかく気持ち悪い。
婦人のふたつの掌の間に、薄緑色の光る気体のようなものが溜まってゆくのを、吐き気をこらえながら見ていることしかできない。
「……ねえ、思ったより……」
女の唇も、一瞬苦しそうに噛み締められ、そう言葉が漏れてくるが
「……マジで? へえ、でもいいや、取るだけ取っちゃってよ」
男は、波打つ前髪を軽く触りながら、軽い口調を崩さない。
「%¥#%@$%¥¥#%$。……いちおう、終わったわ」
女はかすかに息をきらしながら、両手で、ふっと丸めるような動きをする。
薄緑色の気体は凝集して、中で何かが渦巻く小さな球体になった。
イーガンの気持ち悪さも一瞬で消えるが、全身に粘っこい汗がへばりついて、力が入らない。
「これで大部分は取れたはず。でも、記憶はそのままよ?」
「まあ、それはしょうがないね。こんな処置、特例も特例だ」
「貴方の個人的感情で、ずいぶんな特例を作ったわね」
「個人的感情? まあ否定はしないけど、それだけじゃないよ。この力はすぐにでも必要なんだ」
意味のわからないやり取りのあと、男がすっと手を下から出して、女の掌の間にある球体をすくい上げ、イーガンのほうに向き直った。
「はい、申し訳ないけどキミは今から、英雄候補じゃなくなりました。この力、有効に使わせてもらうよ。ムダにはしないからさ」
「え?」
「うん、それじゃこれで! キミならどんな仕事でも幸せになれるよ、うん! 気を落とさず頑張りなよ! じゃあね!」
「…………」
男は薄笑いしながらひらひらと手を振り、ベールの女がわずかに頭を下げた。
そして、二人は一瞬で、物置から消え失せた。
イーガンはまだ肩で息をしながら、いままで二人が立っていた空間を見つめた。
ようやく息が整ってくると、他に誰もいない狭い物置を見回す。
いま起きたことの何もかもが異様すぎて、白昼夢を見ていたようにしか思えない。
(……ともかく、帰ろう。理解不能だが、ともかく帰ろう。宿屋へ。そしてミスダルへ。)
そう考えて、歩き始めたときに気がついた。
自分の中から、何かが失われていた。
失われたものの色や形を、はっきり言うことはできない。
だが、たしかに自分は、ここに来る前の自分とは決定的に違っている。
イーガンは、西陽の光で埃が舞うのが見える小部屋の中で、ひとり、眼を裂けそうなぐらい見開いた。
「はっ! はっ! はっ!」
右腕を出し、何度も気合を発し、亀甲の術を顕現させようとする。
が、何も起きなかった。
イーガンが十数年かけて磨いてきたものは、失われていた。ぐにゃりと視界が歪んだ。
「おおおおおおおおおおお……!」
自分の喉から獣のようなおめき声が溢れてくるのを、イーガンはどうしても抑えることができなかった。
第三話「元英雄候補の出立」は、本日18時投稿予定です。