奪還セヨ!ハイラル駐屯地 〜ハニ号作戦決行〜
1941年8月21日 午前6時50分 ハイラル駐屯地奪還部隊野営地
前回のハ一作戦で航空機合計78機を喪失した司令部は、一時的に奪還を見送っていたが、たった数日で又奪還を試みるようになった。大本営もそれを支援したのか、ほぼ毎日支援物資、航空機等(航空機は1日に2〜3機しか届けられていない)が送られてきていた。そして、人員、食料、弾薬等の兵站、航空機が揃った前日、遂に、ハニ号作戦が決行された。作戦はこうだ、まず制空隊(120機)が制空権を確保した後、爆撃隊(60機)が爆撃を行い、敵の飛行場等を潰した後、第190師団(激戦をなんなく生き残る精鋭の集まり)と第192師団(こちらはほぼ人外の集まり)が突撃し、駐屯地を奪還するという珍しく纏まった作戦である。
現場の指揮官は猛将「山口 佐助」
指揮官だと言うのに兵士に混じって一緒に突撃するという。変わり者。
(旧日本軍の現場の指揮官は後方でゆっくりと指揮を出していた。例外アリ)
彼が指揮官を担う作戦成功率は驚異の51%。そして、兵士の死亡率は48%とかなり低い。
指揮が上手いのはこれを見てすぐにわかるであろう。
今回の作戦には、前回のハ一作戦の唯一の生き残り、中島一家と、
あの激戦の中でなんと3機も敵機を撃墜したかなりの熟練戦闘機搭乗員
「加藤 宏之」
が参加していた。
それに猛将山口 佐助が参加しているのだからこの作戦は成功するだろうと他の兵士たちは思っていた。
1941年8月24日 午前5時23分 作戦決行3時間前
「今日が出撃の日か。」
加藤は、イギリスから輸入された紅茶を優雅に飲みながら、ふと呟く。
「やはり本場の紅茶は最高だな。うん」
加藤は、満州事変からの生き残りである。
当時は、旧式の九七式艦戦で中国の空を駆け回っていた。
中国空軍は初めの頃はかなり手強く、何人もの戦友が撃墜されていった。だが,時が経つにつれ急激に弱くなっていった。
熟練パイロット達がまた1人また1人となくなっていったからだろう。こっちは何しろ数で勝っている。いくら敵が100機以上撃墜した化け物だったとしても一度に数十機に襲われたらひとたまりもないだろう。
そのうち、敵はもはやただの的になった。
何しろちゃんと飛べていない。一度、爆撃機の直掩で敵飛行場までついていったことがあるが、何故か敵が上がってこなかった。敵飛行場を見てみると、なんと飛ぼうとした敵戦闘機が途中で体勢を崩し落ちると言うとんでもない光景を見た。そこまで中国空軍は落ちぶれてしまったのだった。
「今回の戦いは…腕がいい奴と戦いたいもんだ…フフ…」
加藤は、戦いに飢えていた。
〜一方、中島一家の部屋では〜
「おやっさん!いい加減起きて下さい!速く!貴方が言ったんでしょう!「明日は早朝から起きて今回の作戦の俺たちの動きを再確認するぞ。」って!」
「まだえぇやろ…、まだえぇ…」
「あーもう!おやっさんの寝起きの悪さにはもう懲り懲りだぁ!!」
すいません!午後に更新すると言っておいて更新ほったらかして誠に申し訳御座いません…今度から私の午後に更新します等は信じないで下さい。(迫真)