雄弁は辞職、沈黙は現職。
「おい、ティス!どうした、ボケた顔して!」
南の拠点城に到着したウィルがティスの肩をばしっと音を立てて叩いた。彼はティスにとってはいい兄貴分である。
きれいに刈り込んだ顎鬚に肩までの髪を緩く縛っている。
「あ、さてはラピズと俺が交代したんで落ち込んでいるのか?」
叩かれてもうんともすんとも言わないおとなしいティスの顔を覗きこんでウィルがにっと笑った。
「そうじゃないって!まあ、それは一理あるかもしれないけど」
「おい!そりゃねえぜ!」
真っ赤な将校服はウィルのお気に入りである。
「まだ告白してないんだろ?」
「できるわけないでしょ」
「さっさとしちまえばいいのに」
先輩でありながらティスにとっては話し易く、異動してすぐに仲良くなったのも彼であった。それなので、ティスは好きな人がラピズであることをウィルには打ち明けていた。
「閣下はどこにいらっしゃるんだい?」
閣下という単語を聞いて一瞬びくっとしたティスだったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「閣下ならジルギス閣下と一緒に支度してから裏門に来られると思います。朝の支度はほぼお手伝いしましたので」
ふーん、と言いながらウィルは仕事のことを考えているようだった。
この時ティスの頭の中をぐるぐると回っていたのは今朝の出来事だった。
それは衝撃と言わずに何と言うのだろう。
ティスのすべてが吹っ飛んでしまうような大事だった。
直付の仕事をする為に部屋に行ったのに2人の将軍に挟まれて座る羽目になってしまった。
「結婚って…」
ティスが言葉を継げず絶句しているとガーシニアが笑い出した。
「そうなんだよ。まあ、その、いろいろあってさ。結婚してもう2800日くらいは経っているんだけどね、私が落ち着かなくて」
「2800日!って、じ、じゃあ、ここへ来る以前から?」
ますます訳が分からないティスにジルギスは苦笑混じりに言った。
「まさか、新しい就職先が同じ王国だとは思わなかったから…」
ガーシニアはペロッと舌を出した。
「北・南・東の将軍と初顔合わせの日に自分の配偶者がいるなんて想像しないだろ?びっくりした」
ジルギスがすぐに返す。
「そっくりそのままお返しするわ」
「え、え、で、でも…」
ティスがやたら口ごもった。
「王国規則違反だって言いたいんでしょう?」
ジルギスが席を立って着替えながら話し始める。
「将軍職は同じ王国内でその婚姻を認められない」
手早く将軍職の制服を身に付けると、髪を結いあげながらジルギスが言った。それから、 ガーシニアのナイトガウンを脱がせ始めた。
「私は元々将軍職希望じゃなかったわ。でもいつの間にかなってしまっていたし、3か国回った後、ここに落ち着いたのよ」
ガーシニアはジルギスが寝室の奥から出してベッドの上に並べた衣装に着替え始めた。
「私はずっとあちこち旅していてね。臨時職として将軍とか参謀とか、うん、まあ、いろいろやっていたなぁ。竜の洞窟を探したり、馬の買い付けとか、食堂の裏方もしていたことがある」
ジルギスがガーシニアの着替えを手伝い、見ながら直してあげていた。
「結婚してからあんまり一緒に暮らせなかった」
ガーシニアが少しだけジルギスを見ると、ジルギスは怒っている風でもなくそうね、と答えた。
「婚姻関係を公表する為には、どちらかが将軍職を辞職するか、どちらかがこの国を出て別の国で将軍職を続けるかの2択しかない」
ガーシニアは服に袖を通して貰い、襟元をぐっと締められた。
「他国で将軍職に付いたら、国を越えて会いに来ることはほぼ不可能だ。別の職業なら往来してもお咎めは無いが、将軍職は別だ。国王陛下直々に発行した通行許可証が必要だし、公として行かねばならん。お忍び禁止だからな」
ガーシニアは最後にマントを付けてきっちりした正装になった。
「じゃあ、いっそのことガーシニア将軍辞めちゃおうかな…」
豊かな銀髪をジルギスに梳いてきつく編み込んでもらいながらガーシニアは呟いた。
「ええっ!将軍職をお辞めになるんですかっ!!」
ティスは朝から何回驚けばいいのか分からない程、再び驚いた。
「そうしたら、私、あれをつけるわ」
ジルギスは意外にも機嫌よく返した。
「そうだろう?一回くらいしか付けたこと無かったろう?」
ガーシニアの見た目は身分相応の将軍になった。
2人が言っている物が婚姻の証であることは間違いなかった。
「いや、あの、ちょっと待って下さい!今、閣下に辞められたら困ります!それでなくてもガーシニア地方は将軍が定着しなくて、もう閣下で3人目なんですよ。私はその頃はずっとジルギス閣下にお仕えしていましたけど、ラピズは相当苦労したみたいです」
ティスの慌てぶりは半端無かった。それはそうだろう。そんなにそんなに主が変わっていたら下の者は身が持たない。
ジルギスがちらっとガーシニアに目配せをした。
「そうよね、ティスだって異動し立てなのに困るわよね。だったら…ティスがこの事を黙っていてくれたらまるく収まると思うんだけど。どう?」
ジルギスは自分好みの正装になったガーシニアを引っ張りよせ、その右頬にキスをした。ガーシニアの方は眉根を寄せてはいるが内心嬉しくて仕方ない。
(行ってらっしゃいのキスはやっぱりいいな)
「だ、大丈夫です!直付たる者、絶対に他言しません!」
ティスは興奮気味に叫ぶと、いちゃいちゃしている2人に気付く余裕も無く急に立ち上がった。
ガーシニアがお返しにジルギスを抱き締めようとして、その腕から逃げられ、こけた。
「ありがとう、ティス。この事はラピズにも言ってはだめよ。だって誰にも知られてはいけないのだから。もし秘密がばれたら、アルはクビよ。いいわね」
「おいおい。ヴィースがってこともあるだろう?」
ガーシニアが異論を唱えると、ティスは首を振った。
「ジルギス様は王国内で一番将軍職歴の長い御方。それに王国内唯一の竜使いですし、陛下や内政大臣からも絶大な信頼があります故、一番新参者の閣下がクビになる確率が高いのは明らかです」
ガーシニアは溜息をつき、ティスを振り返った。
「分かった。もしお前がバラしたら、私は将軍を辞めてまた旅に出るよ。今度は結界師でもやろう」
「そうね、確かにティスの言う通り、今、あなたに西の将軍職を辞められたら私達も困るわね」
ジルギスはベッドの脇に立ててあった剣立てから大剣を抜くと、その華奢な腰に巻き付けた。ガーシニアはその腰の細さを見て昨晩の感触を思い出しているところだった。
「前のガーシニア将軍はやりにくかったしねぇ。いつの間にか税率をごまかして私服をこやしていて、本当にとんでも無かったわ。あなたが来てやっと400日よ」
はい、とジルギスはガーシニアの腰に帯剣を巻き付けてやった。
「ねぇ、ちょっと!ぼうっとしてないで自分で剣くらい差したらどうなの。もう、本当に手が掛かるわね」
ティスが進み出て私が…と言いかけたのをガーシニアは止め、ジルギスに最後まで巻いて貰った。 それで大層ご満悦であった。
ジルギス閣下も言葉とは裏腹に世話を焼いているのは嫌ではないらしい。
ティスはこの時悟った。この2人の掛け合いはわざとやっているのだ。他人の自分が入れるわけはない。
直付は、自分で身支度出来る癖に何から何まで全部ジルギスにやってもらう甘ったれた西の将軍を見て、今更幻滅はしなかったが苦笑を禁じ得なかった。
傍目にも2人は大の仲良しであったし、過去に何か大戦で命懸けの名勝負をしたという噂も聞く。婚姻関係ではなくてもそのゴールデンコンビっぷりは充分納得はできる関係なのだ。
それなのに性格は正反対、でも考え方はよく似ていた。
仲がいいのか悪いのかさっぱりわからないけれど、いつもガーシニアの方が何となく劣勢らしいというのは周知の事実だ。
なぜ、ジルギスには強く言えないのか。ガーシニアの普段があれだけ堂々としているのに、口数の少ないジルギスにはやり込められている。そこだけは西と南の直付達最大の謎だったが、ティスだけは今、その謎が解けたのだった。
支度後、ガーシニアはウィルが来ているかどうか城の階下へ降りて行った。ジルギスは自分の臣下達に今日の指示を出しに行った。
「閣下!おはようございます」
「ああ、ウィル、おはよう。すまないな、ラピズと交代して貰って」
さっきまでの将軍達の戯れは自分の幻覚などでは無いと考え込んでいたティスの思考を遮って2人の声が鳴り響いた。
「早速だが、ちょっと会議室へ来てくれないか。ジルギスも混ざって打ち合わせしちまおう!」
「はい」
ガーシニアはティスにここで良いと軽くウィンクして合図をすると、ウィルと会議室へ向かって行った。
ティスはその場に取り残されたが、返ってほっとした。それからぼんやりと城内へ向かって歩いているとばったりとバニラに会った。
「ああ、ティス。もう将軍閣下の支度は済んだ?あなたも朝食まだでしょう?一緒にどう?」
「バニラ!仕事は終わりました」
なんだか抜け殻みたいなティスにバニラは気付いていたが、敢えて知らないフリをした。こんな時に根堀葉掘り聞いてもまともな答えが来る筈はない。
「ティス、あんまり上の空で歩いていると転ぶわよ」
バニラの一言でティスははっと我に返った。
「あ、はい、すみません。気を付けます!」
くすくすと笑いながら金髪を揺らして、バニラはティスの腕を取ると食堂へ向けて歩いた。
ガーシニアとジルギスとウィルは会議室で軽く朝食を取りながら作戦を練った。
「この神領地の掛かっている部分を見ると、ほぼ我が国の領土だ。しかし、この一部分だけがお隣さんに掛かっている。これはうまく行けば話し合いでいけると思う」
ガーシニアが地図を広げて2人に説明する。
「お金で解決する気ね?」
ジルギスは出されたシュガーバターパンを千切って食べていて、ウィルはそのジルギスの手の動きに見惚れていた。
「そうだ。こんなちょっとしか掛かってないのに折半なんて出来る訳ないだろう?だったら少し金を払って資源はウチで貰えばいい。なあ?」
いきなりガーシニアは朝食でも地図でもなくジルギスばかり見ている自分の部下の頭を後ろから引っぱたいた。
「は、は、はいっ!」
ウィルはびっくりして返事をした。
「お前、ジルギスに見惚れていたな?言っておくが…」
ガーシニアは大袈裟に咳払いをしてウィルに言ってやった。
「お前の配偶者に言い付けるぞ!子供もいるだろう?」
「あの、それは、誰だって美人には見惚れますよ!お仕えしている将軍に似るって奴ですかね?」
言い訳にしては平凡な答えが返ってきて、ガーシニアはむくれ、ジルギスは苦笑した。
「ウィル、お隣さんの東の将軍に隠密で会ってくるんだ。こちらの意向を伝えてくれ。その結果次第で陛下に出てもらう。金の算段は資源の10分の1。資源は本日、再度確認に行くが多分、馬と泉だな。竜の巣ももしかしたらあるかもしれんが、これは秘密だ」
「御意。いつ出掛けますか?」
ジルギスに自分の皿を大嫌いな根菜類のサラダで山盛りにされ、仕方なく頬張るガーシニアは更に茹でた大エビを横から追加で突っ込まれ口が開けなかった。
「支度が出来たらすぐに行って欲しいわ。戦争になる火種は早くもみ消してしまいたいから」
代わりにジルギスが指示を出したことでウィルは嬉しそうに敬礼すると、残りの薄切りローストビーフをパンに乗せた。
ようやく口の中の大根やらニンジンやらエビを飲み込むと、ジルギスを振り返った。
「まったく、君の言う通りだ」
ジルギスの瑞々しい少女のような可愛らしさは非常に人気があるし、そのことはガーシニア自身も承知している。
しかし、誰であろうと自分の目の前でジルギスを見てデレデレされるのは面白くなかった。
朝食後、支度を整えにゲストルームへ戻ったウィルとは別に2人は庭園を散歩した。
「怒ってるの?」
ジルギスはガーシニアの手をマントの中に隠しながらそっと握った。
「そんな…怒ってないよ」
彼女の手の温もりが伝わってきて、ガーシニアはぶっきらぼうに答える。
「嘘」
ジルギスが指を絡めてくる。
この時点でガーシニアは鼓動が激しくなってくる。
おかしい。自分は結婚しているし、隣を歩いているのは紛れもなく自分の配偶者だ。それでも尚、彼女に対してはいつもドキドキが止められなかった。
「嘘じゃない。ウィルは君みたいな女性がタイプだから。別に怒っているわけじゃない」
絡め合った指は解けそうにないばかりか一層強くガーシニアの指を締め上げたので、言葉とは裏腹にガーシニアはヴィースへの想いが強くなる。今すぐどうにかしたい衝動に駆られる。
「アル、近い内に両親の所へ行きたいんだけど」
あまりにも唐突な話題転換にガーシニアは返答に詰まった。
「うん、そう…え?何?ご両親の所?」
びっくりしてガーシニアは立ち止まった。両脇から伸びた変わり薔薇の蕾が微妙に触れた将軍のマントに朝露を零した。
「そうよ。だって、子供のこともあるでしょう?少しだけ親の所に顔出ししたいの」
仕事の話などすっ飛んで、思いっきり自分達の話になり、ガーシニアは戸惑った。
「近い内かぁ。いつぐらいならいいの?」
ジルギスはガーシニアの手を取って自分の腰に回した。
「今度のお休みがいいんだけど」
いつ抱いても細いジルギスの腰のラインは、ガーシニアにとって国境を跨ぐのと同じだった。しかし体の線が細いだけではなく、しなやかに柔らかく強靭な筋力のあるジルギスが、ガーシニアの思う通りにならないのはいつものことだった。
抱き寄せられるところまではいいとして、ガーシニアのダイレクトキスはお預けである。
その癖、返事は聞き逃さない。
「行けそう?」
少し背の高いガーシニアの方が屈んで、ジルギスの耳元に小さな声で「大丈夫」と答える。
ジルギスは嬉しそうに微笑むと、顔を近づけた配偶者の唇では無くその耳を引っ張り、
「約束よ」
と囁くとガーシニアの耳朶を少し噛んでやる。
「いて」
右の耳朶にじんわりと変な感覚を残しつつ、普通にキスが良かったなぁとぼやくガーシニアに「誰かに見られたらどうするの?」と釘を刺す。
では、この互いのマントを隠れ蓑にして抱き合うのは大丈夫なのか、という疑問はガーシニアにいつもあったが、ジルギスには言えなかった。
どうせ「大丈夫に決まっているでしょ、その為のマントよ」などと言い出されるのがオチである。
そう思ったらガーシニアはジルギスを抱き締めたまま、素早くその唇に口づけた。怒られても良かった。
しかし何故かこういう時、ジルギスはガーシニアに対して嫌がる素振りは見せなかった。寧ろ待っていたかのように自分の腕を彼女の首に回す。
2人が唇を離すタイミングは鮮やかだ。少しも狂わない。付き合って初めてキスをした日から一度も間違えたことは無かった。
途端にガーシニアは小さくなって謝る。
「ごめん」
ジルギスの翡翠の瞳が燃える。
「今の良かったわ」
ジルギスから合格点をもらうと、ガーシニアは子供が母親に褒められた様に嬉しくなった。しかも心の底からくすぐったかった。
顔を赤らめて言葉が出ないガーシニアは、急に城へ向かって歩き出した。いつものあれだ。
(まったく照れ屋さんで困るわ)
ジルギスは含み笑いをしながらおとなしく後から付いて行った。
神領地の再確認作業はかなり手間取った。
まず領地に入るのに竜の結界を解かなくてはいけなかったが、これはジルギスにしかできなかった。
「ヴィース、結界を解けるか?」
「多分。やってみないとわからないけれど」
ジルギスは剣を抜いて結界を叩き、固さを確認する。実はジルギスだけが竜を操ることの出来る血筋の娘だ。竜の結界を解くには経験だけではなく、特殊な能力が必要だった。
残念ながらさすがのガーシニアも竜の結界は解けない。
昨日来た時に調査して置いた結界の少し弱い部分まで回り込む。ジルギスは手をかざして気を集中し、結界を貼るのと同じ要領でそこに自分の結界を押し当てるように貼った。竜の結界の継ぎ目にひびが入り、音も無く割れた。割れると同時に結界は効力を失って消えた。
「お見事!」
一部始終を見ていたガーシニアがジルギスの業に唸ると、ジルギスは「そんなことないわ」と普通に照れた。ガーシニアはこういう何でもない時のジルギスの表情に心臓がきゅんとした。今が仕事中じゃなかったら、きっと抱き付いてしまったかもしれないが、そこは我慢できた。
(閣下)
思考に何かが割り込んで来た。
(ウィルか?)
(そうです、閣下。ちょっとまずいことになりまして)
ジルギスがガーシニアを見て怪訝な顔をしているので、手で合図する。伝令が来ている。
(どうした?)
(申し訳ないのですが、こちらに来て下さい。場所はそこから北東方面の竜の巣窟3です)
(分かった)
竜の結界が切れたので、引き連れて来た1個小隊を中へ侵入させて調査を開始していたジルギスがガーシニアに聞いた。
「ウィルね?何かあった?」
ガーシニアは首を振った。
「詳しくは分からん。とにかく現場に行ってみる。隠密が居る場所に他の直付を連れて行けないから、ティスを頼む。それと、これも」
そういうとガーシニアは将軍職のマントを外してジルギスに渡した。
「気を付けて行って来て。こちらは任せて」
「うん。もし、私から伝令が入らなかったら、先に城へ戻ってくれ。時間通りに頼む」
「分かったわ」
仕事上でのガーシニアとジルギスはあくまでも将軍だ。地方の統治権を預かる身だ。判断を誤れば国の損害に繋がる。多くは語らなくても互いの気持ちは分かっている。それが結婚した者同士というものだろう。いやこの2人に限ってはそういうことを越えた絆なのかもしれない。
ガーシニアはジルギスをちらっと見て、その一瞬に2人の目がしっかりと合い、それぞれの仕事に戻った。
ジルギスはガーシニアのマントを仕舞って、ティスと共に神領地の奥へ行き、ガーシニアは1人愛馬に跨って竜の巣窟3を目指した。
神領地内に竜の寝床があるかどうかティスを連れて確認作業に出ていたジルギスは上機嫌だった。
「ティス、懐かしいわね。あなたとこうして2人で歩いていると一緒に働いていた時のことを思い出すわ」
「はい」
ティスはジルギスとガーシニアの関係を知ってしまってから不思議な気持ちだった。自分の尊敬していたジルギスの相手がまさかの自分が御仕えするあの閣下だなんて。誰が想像できるだろうか。いや、寧ろお似合いと言えばお似合いかもしれない。
「ところで、アルは夜寝る時に添い寝役を直付に頼むそうね」
ティスは何と返事して良いものか、ジルギスを振り返ったが、返事をした。
「はい、そのような晩もあります」
悪い事をしている訳では無いのにむやみに鼓動が激しくなった。
「それで、」
ジルギスはティスを見た。
「ティス、あなたももちろんアルと寝たことがある、ということね」
「あ、それは、その仕事ですから!」
「寝ているだけ?あの人、それ以上のこと…」
まで言い掛けたジルギスの言葉に反応してティスは慌てた。
「無いです!何もないです!閣下は人がいるだけですぐに寝てしまわれますし、朝寝坊で起こさないと起きません」
「そうだとは思ったけど、一応、確認は必要でしょ?」
ジルギスは愉快だと言わんばかりに小さく笑った。
「ごめんなさい。ティスを脅かすつもりなんて無かったわ。さ、仕事してしまいましょう」
ティスは思った。ジルギスが自分の好きな人について語るなんてことは今迄に一度も無かったから知らなかっただけで、意外と怖いかもしれない。
「あの…、閣下から今回の仕事で急に私も行くことになったというのは、もしかしてジルギス閣下がお呼びになったのですか?」
そうだ。本当なら添い寝役の明けた日は、半日の休息が与えられることになっていたのだ。だから添い寝役をわざわざラピズと交代したのに、ガーシニアから急に一緒に来てくれと当日の朝言われたのである。
その理由を敢えてガーシニアは言わなかったし、ラピズから聞くこともできなかった。それを思い当たったのである。
「そうよ。私があの人に頼んだの」
「それは…ジルギス閣下とガーシニア閣下の関係を教える為ですか?」
神領地内をつぶさに探り探り歩きながらあっさりとジルギスは認めた。
「やっぱりあなたは私の下で働いていた頃から勘がいいわね」
「どうしてですか?バレたら大変なことになるとご存知なのに?」
「あら、あなたがバラすなんてことがあるかしら。ティス、私がなんであの人の直付に行ってってお願いしたと思うの?」
ティスはびっくりしてジルギスを見つめた。
「スパイ、ですか?」
「そこまでは望まないけれど。できたら、ってことかしらね」
複雑そうな顔をしているティスに向かってジルギスは笑った。
「私がアルを疑うと思う?スパイは冗談よ。あの人の身に何かあったら連絡して。そっちの方が心配なの。アルは放浪癖があるから。急に軌道に乗った仕事を辞めたり、思いつきで家をとび出していなくなったり。今迄にも何回、音信不通になったか」
ティスは内心ほっとした。
「ああ、噂はちょっと聞いています。今回の将軍募集も急に飛び込みでやって来たとか。確か4人位いた将軍候補者を全部蹴散らして、一番後から入った閣下が将軍職に就かれたとか」
「そうなのよ。連絡が来たと思ったら将軍職に就くことにしたって。どこの王国?って聞いたら忘れているのよ」
「そうでしょうね」
ティスは深く同意した。いかにもガーシニア閣下らしい。
「だから、行方不明にならないようにせめて直付だけでも監視役に付けておこうと思って他でもないあなたに頼んだのよ」
ジルギスの心配している気持ちを思い、ティスは素直に納得して決意を固め直した所だった。
「わかりました、ジルギス様。私に任せて下さい」
ジルギスは「お願いね」とティスに言いつつ真の目的は伏せておいた。これはどんな秘密も共有するガーシニアにも教えていないことだ。
もし本当のことを教えてしまったら、多分仕事に身が入らないに違いない。何事も慎重に裏から確実に手を回さなければならないのだ。この将軍職と同じようだとジルギスは思った。
その頃、ガーシニアは自分の領土の端っこに位置する竜の巣窟3に着いた。目的地より少し手前で馬を降り、解き放つと身一つで巣窟まで徒歩で進んだ。
ガーシニアはその鋭い勘で何かがそこにいることを感じていた。
(ウィルの気配じゃない)
伝令を飛ばそうかと思ったが、これが元で自分の居場所がその何者かに知られるとまずい。
今日は少し前の将軍服を着用していた為、真っ黒だった。ジルギスの部屋に何着か置いてあったものだが、これは都合が良かった。だから紫のマントを外してきたこともある。
髪が落ちて来ないか確認した。今朝、ジルギスに編み込んで貰った銀髪はきっちり纏まっていて緩んでもいない。
(ありがとう、ヴィース)
仕事中に髪が邪魔になるのをとても嫌がるガーシニアのことをよく知っていて、きつく編み込み、ピンで器用に留めてあるのだ。
(どこだ、ウィル)
それにしてもここは自分の領地内の筈なのに、誰が忍び込んでいるのか。少しずつ巣窟に近付きながらガーシニアは考えた。
そう言えば、今回の神領地の話は元々、領地侵犯の報告によるものだった。その領地侵犯の場所に行きつく前に、神領地が突然目の前に出現した。その為、領地侵犯ではなく、領地に神領地が出現したことによる誤報だと自分もジルギスも思い込んでしまった。
でも、誤報ではなかったのではないか?本当に領地侵犯はあったのだ。しかもあの場所ではなく、ここガーシニア地区の竜の巣窟3だった。
竜の巣窟には竜が複数住んでいる。
巣窟からは竜の鱗を拾ったり、竜の髭や爪のような体の一部を拾ったりすることが出来る。それは王国にとっての財産になる。彼等が複数居る時には自分達で結界など貼らないし、命を脅かされなければ別に何もしないけれど、大きい生物なだけにこちらが殺されてしまいそうになる。
竜を扱えるのは77119王国ではジルギスくらいだから、ガーシニアが竜達の為に大きな網目状の結界を貼ってやったのだ。
恐らくウィルは、普通に西の大街道から途中外れて、森伝いに44234王国の東地方であるメイゴに侵入しようと試みたのだろう。この竜の巣窟3の側からメイゴまでは目と鼻の先だ。
一体、誰がこの竜の巣窟を狙っている?
眉間に皺を寄せて、ガーシニアは巣窟まで後少しの所まで来て、結界の貼り具合を確認しようとした時だった。




