ジルギスとガーシニア、2人の将軍の本当の関係。
翌日はぴかぴかに晴れた真っ青な空だった。
風がごうごうと時折強く吹きすさび、髪が邪魔にならぬようにガーシニアはきつく一つに纏めた。
南の将軍拠点城の庭園はガーシニアにとって楽園だった。珍しい植木や草花がたくさん植えてあり、ここに来ると城に入らずに庭園の小道を散策してしまう。あっちの花、こっちの木など見るべきものはたくさんある。今日も仕事のことなど忘れて庭園に紛れてしまっていた。
「ガーシニア閣下、ジルギス閣下が裏門でお待ちです」
ガーシニアが見事な薔薇から顔を上げるとすらっと背の高い女性が目の前に立っていた。
「バニラ!相変わらず可愛いなぁ」
「閣下こそ、相変わらずお世辞がお上手で」
バニラはガーシニアの伸ばして来た手を軽くいなして、裏門へと案内した。ガーシニアよりも背の高い彼女は手足も長くて帯剣した格好が様になる。肩に掛かる長さの金髪が揺れて、そんな後姿を見ているとガーシニアは自然とヴィースを想い出した。
裏門につくとジルギス将軍が支度をすっかり整えた格好で、ラピズとティスと3人で立ち話をしているところだった。
「馬の用意も終わっているのよ」
ジルギスがガーシニアにつかつかと近寄ると肘で脇腹をつついた。
(ごめん)
小声でガーシニアが謝るとジルギスが疑いの眼差しでガーシニアを見ている。
(バニラを誘ったりしていないでしょうね)
驚いたガーシニアが焦ってぶんぶんと手を振っている。
(誘ってない、誘ってない!相変わらず可愛いね、とは言ったけど)
(そう。バニラはだめよ。彼女は結婚しているんだから)
(分かってるよ)
(あなたもよ)
(分かってる)
2人でこそこそ話しているのを直付達がこちらから見つめていた。
「うちの閣下とジルギス閣下は何をお話になられているんでしょう?」
ティスが真顔でバニラに聞くと、バニラは可笑しそうに笑った。
「多分、遅刻したことか、私を誘っていないかの確認か、それともその両方を怒られていると思いますよ」
ラピズも肩を竦めた。
「すみません、バニラ大佐。うちの閣下の手癖が悪くて」
バニラは気にしないでと笑った。
「いつものことよ。婚姻の印があろうとなかろうとお構いなしですものね」
この世界では結婚している者は婚姻の印を身に付けている。主にチョーカーのような首に付けるタイプか、ブレスレットのような手首に付けるタイプかリングのような指に付けるタイプだが、手を使うことが多いと必然的にチョーカーを付ける者が多かった。バニラも首には鋼銀で出来た細いチョーカーを付けていて、その先に金色の見事にカッティングされた石玉が光っていた。
結婚しているのは明らかであった。
3人の将校はガーシニアがジルギスに締められ終わるのを待って、それぞれ馬に跨った。
「仕事するわよ」
「はいはい」
5人は騎首を巡らせ、城から海へ続く道を走った。ジルギスが居住している南の拠点城から領地侵犯の知らせがある所までは馬で走って半時ほどだ。そんなに遠くない。
遠くは無かったが途中で森に入るのだ。
「このまま行ったら、海に出るだろ?」
ガーシニアが並んで先頭を走るジルギスに聞く。
「そうよ」
「海は南の領地だろ?」
「そうね」
南が海に面して広く開けた77119王国は南の将軍が海軍を持っている。
森の途中でジルギスは海へのルートから右へ折れてぐっと森の奥へ入って行く。
「こちらの道をまっすぐ行くと西の領地の端に着くでしょう?」
ジルギスの勝ち誇ったような顔に、ガーシニアも渋々頷いた。
「そうだな」
「でも途中までジルギスの管轄だろ?」
「いい?問題の場所は南の管轄と西の管轄の間なの。責任も半分ずつよ」
そう言われては返しようが無い。ガーシニアは口の端をヘの字に曲げて押し黙った。大体、口でジルギスに勝てる訳が無いのだ。今迄にもガーシニアが口喧嘩でジルギスに1度も勝てた試しは無かった。
馬に乗りながらもこちゃごちゃとつまらない口喧嘩をしている2人の将軍を後ろから付いて行く直付達は苦笑混じりに眺めていた。仲が良いのか悪いのか。さっぱりわからないとはこの事である。
後少しという所でガーシニアは異変に気付いた。
「待て。何かある。結界か…」
慌てて一同が馬を止めた。ガーシニアが制したのだ。
(ちょっと待ってろ、私が確認するから)という合図を出した。
ガーシニアだけが先に自分の黒馬を進めた。木々の間からその先を見ている。他の者達は固唾を飲んで見守っていた。
ガーシニアは馬から飛び降りて、何やらぶつぶつ独り言のように唱えると右手をまっすぐに伸ばして気の塊を木々の間を抜けるように放った。
鋭く放たれた気は何かにぶつかり弾き飛ばされ、ガーシニアもその風圧で後方へ弾かれて勢いよく尻もちをついた。
「大丈夫?」
すぐ後ろに駆けつけたジルギスがガーシニアを助け起こした。
「大丈夫だ。見ろ、結界が貼ってあるぞ」
他の3人の直付も恐る恐るガーシニアを飛ばしたものがある方を見やった。
注意深く見ないと結界が貼ってあるかどうかわからない。ガーシニアのように結界を貼れる人間ならば空間の僅かな乱れや薄く色が付いて見えるが、その能力が無いとなかなか見え辛かった。
「ねぇ、これ竜の結界じゃない?」
ジルギスが腰の大剣を抜いて剣に空間を映して見る。
「微かに青いでしょう?」
「うん、そうだな」
2人の将軍はその類まれな能力で結界を貼ったものが誰なのか察知できる。だからこそ将軍職が務まるのである。さすがの直付達も結界の色までは分からない。
将軍として雇われる為には、リーダーシップ力が重要視された。しかし、その他に確固たる能力が必要であった。その能力をどんな風に磨いていくかは本人次第だ。
ガーシニアもジルギスも結界を貼るという特殊能力があった。但し、その強さはガーシニアの方が特別で、だからこそ、ふらふらと放蕩癖がありながらも将軍職をやっていけているのだ。
「竜の結界…ということは、神領地なのですか?」
ラピズが2人を凝視した。
「うん、まあ、そうかな」
首をかしげながらガーシニアが答える。
「ここに神領地は無かったですよね?」
ティスがラピズに聞いていた。ラピズが答えるより早くガーシニアが答えた。
「もしかしたら、どこからか飛んで来たのかもしれん。竜によっては闇の時間通路を使えると聞くからな」
ガーシニアが振り返った。
と、バニラが2人の間から結界の奥を覗き見て言った。
「神領馬がいますね。やはりこの地だけ特別区なのでしょう」
ガーシニアもジルギスもバニラの視線の先を見た。
確かに6本足の一回り大きな馬がゆうゆうと石についた苔を剥いで食べている所だった。
「いい馬だ」
ガーシニアは目を細めた。大の馬好きであるガーシニアは自身の馬を全部、神領馬で統一していた。今、乗って来た真っ黒い馬も足が6本ある神領馬だった。
神領馬は気が荒いので、調教が難しく乗りこなすのは至難の業である。それでも本気を出せば普通の馬の3倍のスピードを出せるし、たぐいまれな持久力で3日3晩走り続けることができ、乗りこなせればこれほど重宝する馬はいなかった。
ガーシニアはとにかくこの神領馬が大好きで、金額は高かったが何頭も所持していた。
「ここが神領地だとするとちょっとやっかいだな」
ガーシニアはぼそっと呟いた。
「今日は領地の測定だけして陛下に報告しよう。神領争いになると面倒だし」
ジルギスもこの意見に賛同した。
神領地は特別だ。その地があるだけで馬も手に入れることが出来るし、その他にも金や銀、七色の石玉の原石が採取されるし、砂金の泉が沸くこともあったから、正に宝箱のような特別な土地である。これが王国内にあればあるほど交易で国は富に満ち溢れる。
当然、神領地を巡って取り合いになるから、国境は厳重に管理されていた。特に今回の様に急に現れた神領地に対してはどこの王国が所有するかで戦争になることは避けられない。
戦争が起こると、国は痛手なのだ。人や物、金、すべてが消費されてしまう。できれば戦争は避けたいのが国王というものである。しかし神領地となると話は別になってしまう。
2人の将軍はその思惑を胸に結界の位置を確認した。人の貼った結界と違い、竜の結界は波動が違う。強弱の差がある。その場所をガーシニアとジルギスは丹念に調べた。
「かなり広範囲ですね」
ティスが計測器を使ってずっと測定した結果だった。
右回りと左回りの二方向から回ってみると想像より遥かに大きな領地だ。南の拠点城が軽く2、3個入ってしまいそうだった。
「しかも、一部が隣の44234王国に被っています」
バニラの報告に溜息をつく一同。
「取り敢えず結果をまとめて一度帰還だ。隣の王国と交渉するかもしれないし、どうかな?」
「陛下が大人しく和平交渉に臨むかしらね。私は覚悟した方が良いと思うけど」
ガーシニアは戦争が嫌いだった。将軍ではあったが、軍を率いて戦地に行けば兵達を危険に晒さなければならない。自分がブ千切れて戦地で暴れた時に浴びた血飛沫が自分の甲冑から衣装から肌にまで染みこむ気がした。死んでいく、負傷していく、血生臭い人の生肉の匂いが大嫌いだった。
将軍という職業柄、戦争となれば出撃は避けられない。国を防護するのも将軍の役目だ。
武術や馬術など体を鍛えるのは苦では無かったし、結界の貼り方も師匠について随分勉強したのだ。指揮の取り方、兵法、戦術、あらゆることを学んでいったが、実戦はどうしても好きになれなかった。
「まあな。神領地争いは仕方ないかもなぁ」
ガーシニアは纏めた長い髪を解き、軽く頭を振った。銀髪が風になびいて煌めいた。
ジルギスはそんなガーシニアの女性らしい姿を惚れ惚れと眺めた。口調が乱暴なことを除けばすごく可愛らしいんだけど。
「南の拠点城に戻りましょう。陛下へ報告してから指示を待つわ」
ジルギスは自分の愛馬に颯爽と跨った。部下達もそれに倣った。
ガーシニアも髪を纏め直すと自分の神領馬に跨った。
誰も何となく口を開くことなく城へ帰還した。これから起こることがあまり悪い方向にならないことを祈りながら歩を進めて行った。
新しい神領地の状況をバニラとラピズ、ティスの3人掛かりで纏め上げ、ジルギスが国王陛下に伝令を飛ばして状況を報告した。その後でガーシニアも報告を上げた。
将校クラスは伝令という、いわゆる以心伝心のように脳から脳への簡易伝達ができる。将軍にもなれば少し内容が複雑でも短時間の会話をすることができた。さすがに細かい資料は早馬で飛ばすが、簡易な報告ならば充分だ。
伝令は国王の側近に一度飛ばして、誰に報告を上げるかを聞くのが常であるが、緊急時は陛下直々にあげることになっている。この場合も緊急時である。
2人の将軍は調査を引き続き行うよう国王直の指示を受けた。その間に向こうの王国と交渉するらしかったが、水面下で先に動くようにガーシニアが指示を受けた。
「ラピズ。悪いが今夜は先に帰還してくれ。明日、ウィルに交代だと伝えてくれ」
「御意。ただちに帰還します」
ラピズは命を受けてすぐに西の拠点城へ向け馬を飛ばした。
ウィルは隠密を率いる将校で、水面下の工作に彼は欠かせない。
一方、ラピズは万能な将校だ。自分の留守中を誰かに内政を任せないといけない。そこでウィルとラピズを交換したのだ。
「あなたは暫く泊まる?」
ジルギスがガーシニアの横に立った。
「泊まる?いや仕事がひと段落ついたらさ、一度邸宅の方へ帰ろうかと…」
ジルギスの腰に手を回すのを我慢してガーシニアは答えた。
「だって、明日はまた同じ場所で仕事なのよ。それにウィルが来るまで仕事にならないわ」
「じゃあ、ティスはどうする?」
ジルギスが呆れた顔でガーシニアを見た。
「どうするって。直付が主人を置いて帰れるワケが無いでしょう?部屋ならたくさんあるから好きに使ったらいいし、ティスは元々こちらに住んでいたのよ」
ガーシニアはジルギスの気持ちを考えて宿泊を決めた。なんだかんだ言ってジルギスを放置してしまっていることを自覚していたからだ。
「分かった。そうするよ。私の衣服は少し置いてあったかい?」
「あるわ」
ティスは懐かしい南の拠点城に泊まることになって正直嬉しく思った。ラピズに帰られたのは残念だったが、先輩格のバニラや昔の仲間達はほとんどいたので、将校達のロビーで昔話に花が咲いていた。
さすがに仕事はしなくてはいけないので、一度ガーシニアの元に戻ったが、代わりにジルギスに直付はいいからと言われてしまった。
「ティスも懐かしいでしょう?バニラやギャン達と寛いできて大丈夫よ。あの人の直付なら今夜は私がするわ」
この言葉にティスは慌てた。
「いえ、ジルギス閣下、そんなお手を煩わせては。第一ジルギス閣下の直付はどうするのです?」
可笑しそうに笑ってジルギスは金髪を解いた。
「何かあったら呼ぶから。私とガーシニアは寝室で暫く飲むわ。あの人の泊まりが久し振りだから。結界は彼女に貼ってもらう。朝になったら起こしに来て頂戴」
ここまで言い切られてはティスもそれ以上何も言えずに下がるしかなかった。一応バニラに聞いてみたが、ジルギス閣下の指示がそれなら別にいいでしょう、との答えだった。
それにしてもあれだけ神経質なジルギスが自分の寝室にあの酒癖の悪いガーシニアを入れて一緒に酒を飲むなんて。ティスにはちょっと信じられなかった。
自分が勤務していた時は、来客の宿泊時に確かゲストルームに案内していた筈。一度たりともジルギスの寝室を使ったことは無かった。もんもんとしたが、昔の先輩や仲間であるバニラやギャンのような将校達と酒を飲めるのはありがたいことだった。それに異動してからまだ150日あまり、最近のことなのでまだまだお互い盛り上がれた。
将校達の騒ぎが城内の階下で響いているのをこっそりとジルギスは確認してから自分の寝室へ上がって来た。ティスが来た時にはガーシニアを湯浴みに行かせて会わないようにしていたから、この後は邪魔が入らない。湯浴み場は自分のプライベートの方を使うので階下に行かなくても良かった。
城の最上階は全部がジルギスの私室であり、直付といえども入ることは出来なかった。
「ん?直付はいいのかい」
ガーシニアが髪を拭きながら、ジルギスに聞くともう下がったとの返事だった。
「私があなたの直付をやるわ」
ジルギスが笑った。その笑顔を見るとガーシニアは心臓が急にドキドキした。何年経っても彼女に対してはドキドキする。
「お酒、いつも飲んでいるんでしょう?」
「飲んでもいいの!」
「1瓶までよ。明日も仕事なんだから」
「…」
ナイトテーブルにガーシニアの好きな炭酸蜂蜜入り酒が置かれ、ジルギスが好きな甘い菓子が並んでいた。
「いただきます」
ガーシニアがおとなしくテーブルにつくと、ジルギスはナイトガウンを持って専用の湯浴み場へ向かった。
「先に呑んでいていいわ。私はこれからさっと浴びてくるから」
「い、い、一緒に…」
ガーシニアが慌てて立ち上がり、その拍子に嫌と言うほど膝をテーブルの端にぶつけ、ガタンと音を立てた。
「あら?大丈夫?私ならすぐ上がるわ。長湯じゃないのをあなたも知っているでしょう?」
ガーシニアはそれどころでは無かった。思いっきりぶつけた膝頭が痛くて悶絶していた。あまりの痛さに声も出ないほどだったので、ジルギスの後を追い掛けることは不可能であった。
ジルギスはちらっとガーシニアが打ち付けた膝の痛みに床の上を転げている姿を見て、笑いを噛み殺した。
(なんであんなにおっちょこちょいなのかしら。歳を重ねても変わらないのね、ああいう所は。まるで子供みたい)
普段のように仕事場で威風堂々としている姿は誰よりも将軍らしいのに、とジルギスは戦場での彼女を想った。将軍職のマントを翻し、6本足の馬を乗りこなし、風を切って走りながら得意の投げナイフを全て命中させている姿は断然格好良かった。
自分の兵達を守る為なら磁場を利用した結界を即座に作って敵の兵士を全て爆死させることも厭わない程の狂気を持つ彼女。過去には何回もの戦歴で一度に何百人も殺戮してきた。あれだけ殺しが嫌いな人なのに、仕事となると急に人が変わる。
しかし戦争後は無口になってしまい暫く話さなくなることも知っていた。将軍から個人アルメリアに戻る瞬間なのだろうとジルギスは思っていつも見守っていた。
湯浴み場で体を流しつつ、ジルギスは今更ながらそんなアルメリアが愛しいと思う自分を再確認していた。2人の出会いを思い返すとそれはそれで壮絶だったけど、彼女が真剣に自分に告白してきた時は胸が高鳴ったものだ。
ジルギスは少々プライドが高く、決して自分から告白するような女ではなかったし、ガーシニアは好きになったら一直線という女でフラれるまでは追い掛けなければ気が済まなかった。だからこそ上手くいったとも言える。
自分の言葉通り、湯浴みにさほど時間をかけられないジルギスがガウン1枚で部屋へ戻ってみると、全く手を付けずに酒を我慢しているガーシニアが大人しく待っていた。その姿は主人を待つ猟犬のようであった。
「先に呑んでいてって言ったじゃない」
水分を含んだ金髪にタオルを当てながらジルギスがガーシニアの隣に座った。
「だってさ、1人で呑んでいてもつまらんだろう?ヴィースがいるのに」
「じゃあ、呑みましょう。それにしてもこんなにゆっくりと2人で夜を過ごすのはどれくらいぶりかしら」
ジルギスは嫌味で言っている訳ではなく本当にそう思って発言したが、ガーシニアにとっては耳が痛くなる言葉だった。
「すまない、ヴィース。私が、その、しっかりしていないから…」
少し小さくなったガーシニア将が、今はアルメリアに戻って謝りだす。
「そんなこと言ってないでしょう?とにかく就職先がここで良かったじゃない。こうして堂々と会えるようになったし」
ごくりと飲んだ炭酸蜂蜜酒はガーシニアの喉をいたく刺激した。
「そんなこと言ったって…。ある意味しんどいぞ」
そんなガーシニアに、はい口を開けて、とジルギスは丸いチョコのお菓子を摘まんで口に入れてやった。こんな風に自分を子供扱いするジルギスの態度も満更嫌でも無かった。
「今夜は飲み過ぎないでね」
ガーシニアの唇に付いたチョコを指で取ってやり、そのチョコを舐めながらジルギスは言った。
「うん、ああ」
ガーシニアの返事が適当になって来た。
ジルギスはもう少しお酒を飲みたいから我慢して、とキスをお預けにしている。2人だけの時は仕事の話にならなかった。そんなことはどうでもいいのだ。
ガーシニアもジルギスも将軍という仮面を捨てて1人の女に戻る。政治や戦争やそう言った生々しく禍々しいものから一時でも離れて、互いの体温を確かめ合いたかった。それは生きているという一番の証でもある。血が通い合い、心臓の鼓動がリズム良く刻む音だけが生を確信させた。
翌朝、ティスはバニラから2人の直付を頼まれた。なぜなら2人の将軍に仕えたことがあるのはティスだけだからだった。ジルギスにも起こしに来るように言われていたのもあった。
恐る恐る最上階の寝室へ向かう。ジルギスに仕えていた時ですら、なかなか入れて貰えなかった場所である。すぐ下の階の護衛兵が敬礼をして階段を通してくれた。
「閣下、起きておられますか?ジルギス閣下はいかがですか?」
寝室の扉の外から声を掛けてみる。
寝室の扉は結界を貼られていて開けられない…と思ったが、意外にも結界は解けていてすんなり入ってしまった。
「あら、早かったのね。もうそんな時間かしら」
大きくのびをしてジルギスがベッドに起き上がったが、その胸元はシーツで隠していた。さりげなく手を伸ばして脱ぎ捨ててあったナイトガウンを取るとさらりと羽織って、ティスにおはようと声を掛けたが、ティスはそれどころでは無かった。
たった今目にした光景が間違いなのか、自分が寝ぼけているのか、これは幻かなどと頭の中が混乱していた。
見間違いじゃなければ、ジルギス将軍はティスの目の前で裸でベッドから降りて来たし、その隣に我が閣下が寝ている。そんなバカな!
いつもきちんと隙の無い夜用の着衣で寝ている筈なのに。ジルギス様が全裸で寝ているなんて!!
「ん?お?ティスか?あの、あれ持って来て。清冷水。酒飲むと朝は喉が乾いてしまって」
ぼけーっと突っ立っていたティスだったが、さすがにそこは直付である。
「はい!只今!」
急いで階下に走って行く。階段を駆け下りながら、ガーシニアも裸であったことは言うまでもない。両腕をうんと上げてのびをした時に、裸の上半身が見えたからだ。
頭を振ってどうやら自分がおかしいのだと思い直しながら、再びジルギスの寝室へ向かった。
しかし、残念ながらティスが見たものは本物だった。なぜならば、水差しを持って寝室の入り口に佇むティスなど忘れて、ガーシニアはジルギスを捕まえ再びベッドに戻して、キスをねだっていたところだったからだ。
「ねぇ、アル。これで終わりよ。いい加減に起きて。きりがないわ」
ティスは目のやり場に困って、寝室の戸の裏に隠れた。熱い抱擁を交わしている主人達の前に立つほど野暮では無い。
「ティス、入っていいわ」
ジルギスの声が響いた。
げっ!知っていた?心臓が跳ね上がる程驚いて、申し訳無さそうにティスは水差しとグラスを持って入って行った。
「し、し、失礼しましたっ!」
「どうして?大丈夫よ、気にしないで」
ジルギスは含み笑いをしながら、椅子に座り清冷水をティスに注いでもらった。
「私とアルはね、結婚しているの」
今度こそ、目を剥いてティスは卒倒しそうになった。
「け、結婚っ!!!」
他に言葉が出て来ない。
「なんだ、ティスにばらしたのかい?酷いな、ヴィースは」
ははははっと笑いながら、ガーシニアは自分で水を汲んだ。ティスが硬直して動け無さそうだったからだ。
「ん?なんだい、ティス?私とヴィースじゃ似合わないなんて思っているんじゃないだろうね」
銀髪を揺らしながら童顔の将軍が素肌に緩いナイトガウンを羽織って起きて来た。
あまりの展開に声も出ないティスの反応を見て、ジルギスは気の毒に思ったのか椅子に座らせて水を飲ませてやった。
「あの、あの、あの…」
まるで金魚みたいに口をパクパクさせるだけで全く言葉にならないティスを2人の将軍は笑って見ていた。
「心臓発作でも起こすんじゃないのか?」
ガーシニアが心配そうに言うと、ジルギスもそんなにショックだったのかしら、と不思議そうにティスを見つめた。
「何がそんなに驚くことなんだい?」
ガーシニアがティスの隣に座って同じようにグラスに水を1杯自分で注いで飲んだ。
「だって…」
ティスは言葉に詰まりながら真っ赤な顔をして2人の顔を交互に見るだけだった。




