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見られてはいけない。

 ガーシニアは後ろ髪を引かれる思いで西の自分の邸宅へ帰って行った。帰りはパトリスにお願いして高速ではなく普通に飛んでもらった。またあの胃袋が宙に浮くような気持ち悪さを体験するのはごめんだった。

(ヴィース、何かあったら伝令を送ってね)

 ジルギスに伝令を飛ばすとすぐに返事が帰って来た。

(ありがとう。バニラもいるし大丈夫よ)

 空の上から伝令を飛ばすのは初めてで、いつもより滑らかに繋がるような気がした。

(ご飯食べた後に吐かなかったかい?)

(ええ。今日は平気だったわ。毎回じゃないのだけど。その内に収まると思うわ)

(早くおやすみ)

(そうするわ。アルも気を付けて帰るのよ)

(わかっている。では、おやすみ、ヴィース)

(おやすみなさい)

 ふわっとした軽い浮遊感と共に伝令は切れた。

 夜風に吹かれて星空を近くに見上げるとなんだか不思議な感じがした。星ってこんなにたくさんあったんだ。大体、竜使いでもないのに竜に乗っているこの状態が奇跡なのだ。

「オプサ。私の城で働いていていいのかい?竜ってどうなの?」

 もさもさのオプサの頭の中で角に捕まりながら聞こえるかどうかわからないが聞いてみた。

「アル、私なら大丈夫です。ブルーには言ってきてありますし、もし私を必要ならダンからお呼びがかかりますからね。元々竜である我々は何にも縛られません」

 ふーん、そんなものかな。ガーシニアは不思議な気持ちのまま邸宅の裏手まで飛んで来た。

 邸宅の周囲をぐるっと旋回するとオプサは少し離れている空いた畑に着地した。

 畑からガーシニアとパトリスは歩いて邸宅へ帰ってきた。夜も更けて大分経った頃だったので、城に戻っても仕方が無いと思ったのだ。

「ただいま」

 庭の横から入っていくと玄関前でラピズが待っていた。

「閣下、お帰りなさい。随分遅かったのでもしや泊まりに変更されたのかと思いました」

「いや、伝令を飛ばすのが遅れて悪かったね、ラピズ」

「いえ」

 中へ入り、マントを外したガーシニアの後ろに控えていたパトリスにご苦労様とラピズは声を掛けた。

「急でしたので、私がお供しました」

「ええ、閣下から聞いているわ。パトリス、今夜はもう下がっていいわ。後は私が直付をするから」

 パトリスは一瞬ガーシニアを見た。そしてその目が優しく笑っているのに気付いたので一安心した。

「御意、ではおやすみなさいませ」

 パトリスは2人に敬礼するとすんなりと下がった。

「閣下、湯浴みされますか?お湯は汲んであります」

 こんな時、ガーシニアはラピズの気遣いに感謝した。

「さすが直付頭だ。今日はあれから大丈夫だったかい?」

 ガーシニアはその場で服を脱ぎ出し、あっと言う間に裸になると湯浴み場に入った。ラピズはいつもの通り脱いだ軍服を丁寧に畳み将軍専用の洗濯ケースに入れた。

 夜中になってしまったこともあったので早々に切り上げたガーシニアはずぶ濡れのまま上がって来た。女性さながら見事に筋肉の付いた体躯は服を着ている時にはまったくわからない。その体から水滴を滴らせている。

「どうぞ」

 ラピズは手際よく体を拭いてくれて、自分でも髪の水気を取った。短くしてから楽になったなと思う。

「閣下、今夜はお願いがあります」

 ラピズは夜用の支度着をガーシニアに着せながら言った。

「ん?なんだい?ラピズがそんなことを言うなんて珍しいな」

 夜着の上にナイトガウンを羽織ったガーシニアは少し胸騒ぎを覚えた。ラピズは良くできた部下だ。今迄に給与や待遇、その他のことでも不満を漏らしたことは無い。

「今夜の添い寝役を私でお願いしたいのです」

 なんだ、添い寝のことか。ほっとした。

「わかった。さすがにもう寝ないと明日に響くからなぁ」

 ガーシニアは一杯だけ飲んだら寝るから、とラピズに先に寝室に控えるように命ずると自分は食堂に行き、冷えた炭酸蜂蜜入り酒をグラスに注いでストレートで舐めた。

 頭からクリスティーナのことが離れなかった。自分より先にジルギスと付き合っていたのは仕方ないとして、再び出会ったクリスティーナの態度に不安はあった。それでもしっかりしたジルギスのことだ。多分、昔の彼女と再燃なんてことにはならないと思うが万が一ということもある。それを思うと内心ハラハラした。

 しかもお腹には子供がいるのだ。途中で流産などということにならなければいいが。

 考えれば考える程、おかしな方向にいってしまいそうで、ガーシニアはいい加減寝室へ戻ることにした。


 寝室に入ると灯りもともさずにラピズがベッド脇で控えていた。

「ラピズ?いるのかい?」

 ガーシニアが灯りをつけようとしたら、近付いて来たラピズがその腕を取った。

「閣下、灯りをつけないままでいて下さい」

「そう?ぶつからない?」

「はい、慣れていますから」

 ベッドにガーシニアは腰掛けてラピズを隣へ座らせた。やにわにラピズが自分の体を押し付けて来た。柔らかい乳房の感触が自分の脇腹にあたり、久々にガーシニアはドキドキした。

「閣下。私に教えて頂けませんか」

 か細い声が隣から聞こえてきた。それ以上に自分に押し付けられる胸の感触がやけに生々しいことにガーシニアは気を取られていた。

「何を教えればいいの?」

 暫く沈黙があった。ガーシニアは途方に暮れた。こんなラピズは初めてだった。考えていたが、酒を飲んだこともあったので横になりたかった。

「ラピズ、横になってもいいかな」

「はい」

 そのくだりはいつものようでいつものようではないような気がした。身を固くしたラピズがガーシニアに抱き付いた。着ている物がいつもより薄いのは気の所為か。

「あ、で、何を教えて欲しいの?」

 半分眠くなりながらも良くできた部下に聞いてみる。

「あの、それが…」

 言いにくいことらしい。いつもきびきびしているラピズが珍しいなと思いながら、腕枕をしてやった。腕枕は泥酔した時だけしかして貰えないので、ラピズは顔が赤くなったがこの暗闇で見られる心配はなかったことに感謝した。

「この間ティスと初めてすることにはなったんですが…」

 ああ、そっちか。ガーシニアは何となくラピズの言いたいことがわかって安堵した。

「で、ど、どうした?あ、聞いてもいいのかな?」

「はい、あの、やっぱり怖くて」

「怖い?」

 この言葉にガーシニアは首を捻った。ということは。もしかして。

「できなかった?」

「い、いえ、あの、するにはしたんですけど…」

 ふーん。ガーシニアはラピズをきつく自分の胸の中に抱き寄せてやった。正直これをするのは、今ではジルギスくらいのものである。

「閣下。私を1度だけ抱いて教えて下さい」

 何となくそう言われる予感はした。した、というよりもずっとそんな気がしていた。

「ラピズ。直付頭のお前が珍しい事を言う」

 そう言ってガーシニアは微笑んだ。それだけティスとの恋に溺れているのか。

「知りたい?」

 ラピズは相変わらず身を固くしたままガーシニアに抱かれていた。今更ながらガーシニア閣下の身体はあんなに筋肉質なのになんでこんなに柔らかいのかと思ってしまう。

「はい」

「それはティスに教わったらよかろう」

 当然、そう言ったことは好き同士の2人で探るものだろう。

「そうなのですが、先輩である自分があまりにも不甲斐なくて」

 そう言うラピズの髪を撫でてやる。ジルギスとは全然違う感触だった。ジルギスの髪は細くて柔らかいが、ラピズの髪は腰がありしっかりした感じがある。

「うんうん。そう言うこともお互いに分かち合えば良いのだ。大丈夫だよ。ティスとゆっくり経験していけば」

「閣下…。では抱いて下さらないのですか?」

 ガーシニアは内心の欲望と闘っていた。勿論、ラピズを抱くことは容易であるし、その自信もあった。しかし自分は既婚者だし、何よりジルギスのお腹に子供がいる最中なのだ。それでなくとも浮気は許されない。

「うーん、そうだな。ラピズ。今夜は取り敢えず、寝よう。待っていてくれて悪かったけれど」

「お付き合いされている方に叱られますか?」

 ちょっとだけ図星だ。思わずガーシニアは苦笑した。

「ああ…そうだなぁ」

 のらりくらりと躱すガーシニアの唇にラピズは唇を重ねた。それはかなり思い切った行動だった。今迄のラピズだったら決してできないことであったろう。

 暗がりで突然の事でもあったし、まさかあのラピズがそんな大胆な行動にでると予測できず、ガーシニアはまともに唇を受けてしまっていた。

(しまった)

 後悔したのも束の間、柔らかく張りのある弾力性に富んだ唇はガーシニアをすぐに虜にした。ガーシニアはそのまま唇を離さず、自分からラピズの身体を下にすると舌で割ってラピズの中に入った。ラピズはジルギスとは違って、ガーシニアにされるがままだった。舌を翻弄され、口腔内での細かい愛撫はそのまま時間が止まるかと思うほどに長く熱いキスをラピズは受けた。

 ガーシニアは抑え込んでいた欲情に火が点きそうになるのを必死で堪えた。だめだめ。ここで抱いてしまったら取り返しのつかないことになる。

 ようやくガーシニアは唇を離して、ラピズの耳元で囁きながら軽く耳朶を噛んだ。

「こら、いたずらして」

 この時点でラピズは体中火照ってしまい、恥ずかしくていられなかった。

「…閣下、すみません。私…」

 なんとか言い訳をしていたラピズはくしゃくしゃと頭を撫でられる感じがあった。

「いいんだ。ただし、口外してはならないよ。いいね」

 こんな時のガーシニア閣下は普段とは似ても似つかぬほど大人なのだ。ラピズは抱かれた腕の力強さに身を委ねながらそう思えた。

「はい」

 蚊の鳴くような声で返事をしたラピズだったが、その後、本当に少しだけガーシニアに愛撫の仕方を教わったことは彼女にとってとても幸福に満ちたことであった。

 我慢の限界を一瞬超えてしまったガーシニアであったが、最後までしないからと前置きして愛撫の仕方のコツを教えたのだった。

 本当はもっとして欲しかったが、ガーシニアは頑張りを効かせ、最後のタガを緩めなかった。その代わりどんな風に愛撫されるとどこが感じてどこが気持ち良いのかをじっくり教わった。

 いい加減眠くなってきたこともあって、ガーシニアは改めてラピズを抱き締めてやった。

「さあ、いい娘にして。おやすみ、ラピズ」

「はい、閣下。おやすみなさい」

 ラピズは温かいガーシニアの胸に抱かれ、身体の芯を火照らせながら眠った。自分の太腿の奥が熱く滾っているのを否応なしに感じていた。今すぐ奪って欲しかったという想いは封じた。

 もし、この光景をジルギスが見ていたら、もしかしなくてもガーシニアの命は危ぶまれただろう。なにせ、ジルギスが一番気を揉んでいたのがラピズその人だったのだ。その為にティスを送り込んだのに、その二人の恋愛が成就した後に伴侶が寝取られてしまっては本末転倒ではないか。当のガーシニアもラピズもそんなことは知る由も無かった。

 ガーシニアはガーシニアで自分を抑えるのにかなり必死だった。ここで本気になったらいけない。ラピズの反応が思ったよりも良く、行為に慣れていない初々しさが堪らなかった。できることなら抱きたかったが、ガーシニアにもひとひらの理性が残っていた。ヴィースと子供への気持ちがブレーキを掛けて、際どい所でラピズと最後までいくことを押しとどめた。

 今迄にそんな経験はガーシニアには無かった。例え一夜の関係であっても最後まで必ずやり遂げた。ジルギスと結婚してからはそんな関係は一度も無かったが、内緒でキスくらいはたまにあった。意図的ではないにしろなんとなくそんな雰囲気の時、ガーシニアはついつい女を抱き寄せてキスしてしまう。淡い期待を抱かせておきながら、キス以上は絶対にしないことが鉄則だった。その為、女から平手打ちを喰うこともあり、それはそれで頬がひりひりしたがジルギスには言えなかった。

 酔っ払って1度言ってしまったことがあって、その後ジルギスにかなり冷たくされてしまい懲りた。この時、ガーシニアは泣きそうになりながら土下座して謝った。ジルギスが怒るなんてことは滅多に無くおろおろしてしまい、その晩から続けて7晩ほどジルギスを満足させねばならなくなってしまったのだ。

 疲れていたガーシニアはすぐに軽く寝息を立て始めたが、そんな上司とは真逆でラピズは熱くなった体を冷ます術を知らずになんとか眠ろうともがいていた。

 自分がこんなに積極的になれたのはティスのお陰でもある。忘れようとしていた人と身体の関係を持つ一歩手前までできたことが嬉しくもあり、でもティスに対しては罪悪感もあり、ラピズは自分の気持ちを持て余していた。

 それでもいつの間にか眠ってしまったのは、ガーシニアに触れられた肌の気持ち良さと先程の行為での緊張と疲労の所為なのかもしれなかった。


 翌朝ティスは、ラピズが添い寝役だったことにやきもきしていた。

 いつもより早く身支度を整えてしまい、手が空いて仕方なくガーシニアの愛馬の世話をしようと思い厩に行くとアーノルドがいなかった。

 そこで昨日、アーノルドを西の城に置いてきたことを思い出した。

(一体、閣下はどうやって帰ってきたのかしら)

 他の馬達に餌でもやろうと飼い葉桶に飼い葉を入れる為に裏庭へ向かった。飼い葉用の草は裏庭の奥に生えている。

 何気なくそこまで歩いて来て飼い葉用の草叢の向こう側に何かがいたような気がした。

「ん?なんだろう?」

 思わず独り言が出た。

 朝陽に反射して眩しい。何に反射したのだろう?キラキラと美しくさざめく何かが裏庭に山の様に鎮座しているようだった。目を細めつつ近寄るとそれはあり得ないものであった。

「なっ、り、竜?!」

 ティスは腰を抜かしてへたりこんだ。

 竜が洞窟ではなく人の住んでいる平地の側にとぐろを巻いて寝ているなんてことがあるのだろうか?いや、あり得ない。そんな話は聞いたことが無い。第一、竜は水辺の近くが棲みかであり、海の側や洞の奥に湧き水がある湿った場所に住むのだ。こんな乾燥した平地にいるなんておかしい。

 しかし目の前にいるのは七色に煌めく鱗を持った竜に間違いなかった。長い髭がゆさゆさと揺れている。くっきりした二重瞼が開いて新緑のように鮮やかな緑色がくっきりと見えた。

 やはり本物に間違いない。どうしたらいいのか。ティスは焦った。頭の中でいろいろな考えが巡り、ティスはガーシニアに報告しなければと思いついたが何としたことか、腰が抜けた。一回腰が抜けてしまうと立ち上がるのは困難だった。仕方が無いので、四つ這いで歩いて邸宅の表玄関までやっとの思いで戻った。

「どうしたの?」

 誰かから声を掛けられたが、四つ這いのティスは誰だか分からなかったようだ。四つ這いで歩いてきた所為で疲労困憊、顔もあげられないでいたのだ。

 声を掛けたラピズは挨拶もそこそこに腰が抜けたティスの腕を取って立たせようとしたが立てないようだった。ここでようやくティスはラピズだと気付いた。

 ラピズはティスを地面にぺたんと座った格好にし、後ろを取って両腋下に腕を入れ胸で組むと、背筋を利用してゆっくりとティスを持ち上げ玄関側の椅子へ座らせた。

 ティスは自分が持ちあげられ、椅子に座ったことを実感した。顔を上げ、不思議そうにティスを覗き込むラピズと目が合った。

「ラピズ!!」

 昨夜会いたかった愛しい人がそこにいた。

「腰が抜けてしまって」

「何かあった?」

 ラピズはティスの前髪をかきわけてやり、おはようの意味で軽く口づけた。それがあまりにも自然だったので、ティスはドキドキしている暇も無かった。

「り、竜が、竜が裏庭にいたんです!」

 腰が抜けた理由を思い出したティスは目の前のラピズに言った。言ったもののそれが本当だったのか、夢でも見ていたのではなかったかと不安になった。竜のことが夢なのか、今のキスが夢なのか、どちらがどうなのかティスは混乱する気持ちと頭で一杯になっていた。

「竜が裏庭に?」

 ラピズはティスの言葉にすぐに反応した。竜がいるなどただ事ではない。ティスをそこに残したままラピズはすぐに裏庭へ走っていったが、勿論ティスがその後を追い掛けるのは無理だった。

 そこへ軍服を付けたガーシニアがふらっと顔を出した。

「おはよう、ティス。なにをやっているんだい?」

「か、閣下!あの、竜が!」

 その言葉を聞いてガーシニアは血相を変えた。

「竜だと!どこにいたんだ?裏庭か?」

 ひどく慌てた様子でガーシニアは飛び出して行った。

 竜という言葉にすぐに反応した閣下に何か違和感を感じたが、信じてくれたことに安堵した。もしかしたら、またそんなことはないだろうと言われると思ったのだ。

 気が付いたらティスはぽつんと独り取り残され、とてつもなく寂しく感じた。後を追おうと腰をさすってみたもののまだ立てなかったのだった。


 裏庭には何もいなかった。

 ガーシニアは冷や汗をかいていた。まずい。オプサのことが知られたら…どうにもならない。詳しい法律は知らないが王国の罰則規定に合致してしまうかもしれない。

 先に誰かが裏庭を歩き回っていた。

「ラピズ!」

 ますますまずい。勘のいいラピズのことだ。

「閣下。竜がいたことは確かなようです」

 ラピズはそこで押し潰されている飼い葉用の柔らかい草の根本を確認しながら報告をした。

「ん?そ、そうか。しかし、なんだな。竜が洞以外に寝るなんてな」

 犯人はオプサに間違いなかった。

「はい、そうですね。私が来た時にはもういませんでしたが」

「まあ、いい。後で調べよう」

 ガーシニアはラピズの側に来て邸宅へ戻るように促した。何気なく肩を叩いたガーシニアと目が合ったラピズは顔がかっと熱くなった。咄嗟に昨夜のことを思い出したのだ。

「ラピズ、大丈夫か?」

 いつもと変わりない朝であった筈なのに、ラピズもガーシニア相手だと上手く動揺を隠せなかった。そしてそんな自分を恥じた。

「大丈夫です。仕事に入ります」

「ああ」

 ラピズの態度にガーシニアは胸に一抹の不安がよぎったが、とにかく今はパトリスである。邸宅に戻りつつパトリスに伝令を入れた。

(パトリス!起きているか?)

(はい、閣下。おはようございます)

(ちょっと私の部屋に来てくれ)

(かしこまりました)

 何があったのか、とにかくパトリスに聞かなくてはいけなかった。ガーシニアは妙に喉の渇きを覚えた。


 なんとか椅子から立ち上がれるようになったティスはラピズの姿を確認して手を振った。

「ああ、ティス。どう?腰は?」

 そう言いながらティスの腰に優しく手を添えるとティスは体をびくっと震わせた。つい互いに顔を見合わせた。

「そこはその…くすぐったいです」

 ラピズはくすっと笑って、謝った。

「立てればいいわ。朝食を摂ってしまいましょう」

 食堂には二人しかいなかった。給仕の話ではエスもパトリスも朝食を終えたとのことであった。

「昨晩の添い寝役は…」

「閣下の帰りがとても遅かったので私が務めたわ。閣下はお酒を飲まれてから寝たので」

 ティスは軽く炙った乾燥肉と薄く焼いた卵をパンに挟んで口に押し込んだ。いつもの添い寝役なら自分も気を揉んだりしない。でもこの間、初めて関係した時に気になることをラピズが言っていた。それが気になって仕方が無かったのである。

「ラピズ…閣下はお疲れに?すぐ眠ってしまわれましたか?」

「ええ。いつものように横になったらすぐ眠ってしまわれたわ」

 好きな人に嘘をつくのは心が痛んだ。特にラピズのように正直を絵に描いてあるいているような人間は尚のことである。

「ティス。今夜の添い寝役がもしあったとしたら、パトリスにお願いしてみようかと思うの」

「え?パトリスに?」

 ティスは驚いて振り返った。ラピズはサラダを口に運んでいる。

「でも、閣下は…」

「多分、大丈夫だと思う。そんな気がするの」

 目の前の温めたミルクを飲んでいる仕草を黙ってティスは見つめていた。

「そうしたら、今夜少し飲みましょう」

「直付達で、ですか?」

 こういう天然が可愛らしい、とラピズは思う。

「あなたと2人で飲みたいの」

 ティスは先程まで自分が抱えていた悩みが全部吹き飛んでいくようだった。もしかして添い寝役の時にガーシニア閣下と何かあったのかもしれないと少し疑っていたからだ。しかし相手が将軍閣下となるとティスの心境は複雑だった。ラピズがずっと想いを寄せていた人だと知っていたからである。でもそのガーシニア閣下にはジルギス閣下という配偶者がいる。

 仮にそんなことがあったとして公にはできないし、ラピズはともかくガーシニアは浮気に不倫ということになってしまう。ジルギス閣下があのガーシニア閣下の配偶者だと知ったらラピズは驚くし後悔するに違いない。ティスほどでは無いにしても、ジルギス閣下からとても可愛がってもらっていたし、ラピズもよく懐いている。

 ティスはラピズとの約束を快諾し、頭の中であれこれ考えていたことを払拭するように立ち上がった。そろそろ城へ向かう時間だった。


 ガーシニアは自分の書斎にパトリスを呼んだ。

「パトリス、竜の姿で寝ていたのかい?」

 少し落ち着かない様子でガーシニアは聞いた。何とか落ち着こうと清冷水をさっきから何杯もグラスに注いでは飲んでいる。もう3杯目だった。

「昨夜は疲れてしまって…申し訳ありません、閣下。怒ってます?」

 パトリスは困ったように聞き直した。人間の世界に少しだけ疎い彼女は、たまに何かをやらかすのだ。

「それで今朝、ティスに見つかったというわけだな」

 パトリスは肩を竦めて認めた。

「その通りです。閣下」

 苛立ちを隠しきれないガーシニアに、パトリスは見かねて4杯目の清冷水をグラスに注いで渡した。さりげなく気遣ってくれる直付にガーシニアは自分が甘えていると思いながらもグラスを受け取った。

「ありがとう、いや、気を付けておくれ。オプサの姿を晒したらだめじゃないか。大騒ぎになってしまう」

 水を飲み干すとガーシニアはやれやれと言った表情でグラスを置いた。

「私も一つお伺いしてもよろしいですか?閣下」

 パトリスが悪びれた様子もなく聞いて来た。

「なんだい?」

 ガーシニアはどうせ大したことはないだろうと思って軍服を正して帯剣をしようとした。

「昨夜、ラピズを抱いていたみたいですが、ヴィースの許可はもらったのですか?それともあれは人間界では普通のこと?」

 危うく帯剣のベルトを手から落としてしまう所だった。瞬時にガーシニアはなんと言い訳をするかを思い巡らせた。

「何のことを言っているんだ?というか、どうして?」

 パトリスはベルトを軽々と持つとあっと言う間にガーシニアの腰に巻き付けてぐっと引っ張りたるみを取って締め上げた。

「竜の姿に戻るとですね、頭部の位置がちょうど3階になるのです。何か気配がしたので窓から覗いたんですよ」

 ガーシニアは頭の中が真っ白になった。

「…ということは見ていたの?」

「はい」

「どこまで?」

「寝るまでです」

 急に黙りこくったガーシニアは微動だにせずそのまま立ち尽くした。パトリスはどうしてガーシニアがそんな態度になったのか全くわからず、話し始めるまで辛抱強く待った。

 あれを見られていたとは。これ以上の考えがガーシニアにはまったく思いつかなかった。

「あれは、その、添い寝だ。ラピズが昨晩の添い寝役だった」

「添い寝ですか?でもヴィースの時と同じ体勢の様な気もしました」

 ヴィース?ガーシニアの頭の中は更に混乱した。

「待て待て、パトリス。ヴィース?って?」

「ほら、あの虹のかけらのお酒飲んだ時ですよ!」

「その時も見ていたの?」

「はい。ちょうどその位置なので」

 なんということだ!ガーシニアは頭を抱えた。自分には行為を人に見られたい願望は無い。いやこの場合、知らなかったではないか。いや、でも、見たのは人間じゃない。竜だ。それでもあの最中を人に見られるなんて。それは例え竜であっても気恥しいには変わりなかった。

「パトリス。あの、それは恥ずかしいから次回から見ないでいて欲しい…んだ」

 ガーシニアは体中から火が出るかと思うほど恥ずかしく急激に熱くなった。変な汗が噴き出てきている。

「分かりました。でも閣下の寝室から熱いものを感じるとつい見てしまって…すみません」

 見ていた本人は悪びれもしないで謝った。オプサには何で謝るのかの半分は理解していなかった。生き物が交尾をするのは自然であるし、それがどこであろうといつであろうと竜であるオプサはなんとも思っていなかったからだ。

「昨夜のあれは…その、違うんだ。仕方を教えていただけなんだ」

「閣下が教える役なのですか?」

 まずい。パトリスは人間にはそういう指南役がいると思われてしまう。

「違う違う。ラピズに頼まれたのだ。だから形だけ。ヴィースの時と全然違っただろう?」

 何か言い訳めいたことを言っているような気がしてしまったが、事実は事実だとガーシニアは自分に言い聞かせた。大体、最後までしなかったではないか。

「気から発する熱は一緒のような気がしたんですが」

 パトリスは首を傾げた。閣下の言う違いが分からなかったからだ。

 昨夜は遅かったし久し振りに飛んだ疲れの為、竜の格好のまま裏庭でとぐろを巻いて熟睡していた。

 夜の匂いに紛れて、虹のかけらの時と同じような気配が閣下の寝室から漏れ出てきたので目覚めてしまい、何気なく首を伸ばしてひょいと覗いたのだ。そうしたら全裸の閣下が同じように全裸で黒い肌の女を下敷きにして抱擁していた。女はよく見たらラピズであり、ここまで妖艶な表情ができるのかとパトリスも意外に思ったのだった。

 言われてみれば確かにヴィースの時のような様子は無かった気もした。ヴィースの時はどこが最後なのか分かり易かったけれど、ラピズの時にはいつの間にか終わったみたいで、裸のまま絡み合って眠っていたから、パトリスも再び寝たのである。

 そんなことで朝陽が出る前には人間に化身して部屋に戻るつもりが、うっかり寝過ごしてしまったのだ。

「これからは見ないように気を付けます」

「今後はそうしてもらいたい」

 ガーシニアも相手が竜となると何と言っていいかわからなかった。むやみに怒るのもどうかと思ったし、自分が実際にしてしまったこともあった。

「あ、そうだ。パトリス。この事は口外しないでくれよ。特にヴィースにはね。余計な心配をかけたくないから」

「直付が将軍の生活について漏らすと思われますか?ラピズからきっちり教わっています」

 そう言ってにこっと笑うパトリスにガーシニアは複雑な表情で頷いた。

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