昔の彼女と今の彼女が会ったらどうなるか。
17話目。いよいよクリスティーナとガーシニアが初めて出会います。ジルギスの今後にかかるかも。
ラピズはガーシニアに伝令を送るか考えたが止めることにした。
「ティス、戻るわよ」
ティスは自分の手を自然に握るラピズの栗色の肌をドキドキしながら見つめた。
「あ、あの…」
こんな風に手を繋いでいる所を見られたら何て説明したら良いのだろう、とティスの頭はそればかり気になってしまい、肝心のガーシニア将軍が出掛けた手段など欠片も思い付かなかった。
「あなたの手はいつでも温かいのね。閣下には私達から聞かないでおきましょう」
恋をするにはティスはまだ若く、ラピズは経験が足りなかった。厩から出る時には、2人は自然に繋いでいた手をどちらからともなく離した。
これがガーシニアの手にかかれば、厩の中に後少し引き留めて愛馬の陰でキスをしたり、力強く抱き締めながら尻くらい軽く撫でたりするのは朝飯前だ。ジルギスもそこら辺は心得ているので、人目を忍んでガーシニアとそんなことをするくらいはお手のものであるが、部下の直付達の方は初々しく進んでいた。
ティスはラピズに敬礼をすると持ち場へ走って行ってしまった。その後ろ姿を見送りながらラピズは今夜のことを考えていた。その自分に気付いてしまった時、1人赤面しながら城主の控えの間に戻った。
南の拠点城の門をくぐり、庭園をゆっくり歩きながらガーシニアは久し振りの花の様子を細かく見て歩いた。この時間はガーシニアにとってはとても有意義でパトリスは文句も言わず後ろから付いて歩いた。
自分の好きなものになると我を忘れてしまうガーシニアを見ながらパトリスはなんだかおかしくて仕方が無かった。本当にこの人は将軍なのだろうか?もう3000回くらい春を過ごして来たけれど、こんな面白い軍人にはなかなかお目にかかれなかった。いつまで見ても飽きなかった。だから珍しく人間なのに一緒にいたいなどと思ってしまったのかもしれなかった。
(あ、来た)
パトリスはすぐに感知した。
「閣下」
ガーシニアの左腕を掴んだ。
「ん?なんだ?…」
ガーシニアはパトリスのオッドアイを見つめて軽く頷いた。同じ気配に気づいたのである。
その気配は右手の食用薔薇園から続く道から来るようだった。
「あら、庭園を散歩されている軍人がいるなんて」
黒い軍服に赤い毛を下ろして、背の高い女性が葉の陰から現れた。
「これは失礼。庭の手入れをたまにしているもので、気になってしまいまして」
ガーシニアは軽く挨拶をした。すぐに相手が年上で、なかなかの実力者だと見て取った。勿論、クリスティーナもガーシニアをただの将校では無いと感付いていた。
「私は本日付でジルギス将軍の補佐官を務めることになった、クリスティーナ」
先手を取って挨拶して来た。
「そうですか、あなたが。私は西のガーシニア将軍です」
互いに相手の様子を探りつつ言葉を交わした。
「何故、西の将軍と庭園で出会えたのか分かりませんが、城に入ってジルギス閣下にお会いなさったら?」
あくまでも上から目線の言葉にガーシニアは少しイライラしながら歩き出した。パトリスはそのオッドアイを閉じ込め、濃いブラウンの瞳を伏し目がちにしながら2人の後ろから付いて歩いた。
「そのつもりで来ました。仕事の話はともかく、クリスティーナはどちらから我が王国へ?」
「北の方からね。今回は特別召集だったのよ。師匠から呼ばれましたので」
「師匠と申しますと?」
ガーシニアは何食わぬ顔で聞いた。
「竜使いのブルーよ」
(やっぱりママか)
「そうでしたか」
3人は話しながら城の扉前まで辿り着き、入り口でバニラに会った。
「これは、ガーシニア閣下!一体いつ御着きになられたのですか?ジルギス閣下が伝令を飛ばすと仰っていましたが」
バニラを見るとガーシニアはにこっと笑った。
「バニラ!久し振りだ。いつ見ても美人だなぁ!どう?今度一緒に飲まない?」
と言った途端だった。将軍はパトリスに思いっきり耳を引っ張られて連行された。
「いででで!!」
廊下の奥へ消えて行く2人。佇んだまま見つめるバニラとクリスティーナ。
「今の直付?だったと思うけど?」
バニラは見覚えのない将校に気を取られ、初めてこの光景を見るクリスティーナも呆気に取られて、部下に怒られ連れて行かれるガーシニアを黙って見守った。
廊下の端まで歩いて左に折れた所で痛む耳に更に痛いことをパトリスに忠告される。
「アル、いい加減にして下さい。あなたは結婚しているんですよ!」
「ばか、だめだって!パトリス!静かに!それは言っちゃダメだろ!」
「あ、そうか」
パトリスに注意しながら慣れたようにガーシニアは廊下を歩き、階段を昇り、城主の部屋をノックした。
「失礼します」
一応かしこまって挨拶してみる。
「はい」
程なくして中から高い澄んだ声が聞こえて、ジルギスその人が扉を開けた。
「ヴィース、その…来ちゃった」
目が合ったのは一瞬だった。何か声を掛けようと思ったが、目の前にいるはずの無い伴侶の姿を認めると、ジルギスは無言で抱き付いてきた。ガーシニアの胸に顔を埋めて脇腹の下を痛いほど掴んでいる。ガーシニアはジルギスを自分のマントで覆いながら抱き締めた。
「ヴィース…」
慌ててガーシニアはジルギスを部屋の中へ押し込んで後ろ手に扉を閉めて結界を貼った。パトリスは既にちゃっかり中に入っていた。
「伝令まだ飛ばしてなかったのに…どうして分かったの?」
ガーシニアはジルギスの様子がいつもと違うことに気付いた。
「どうした?なにかあったの?」
暫くガーシニアは腕の中に伴侶を恐々と抱いていた。
「あの、アル。後で。後で話すから。クリスティーナのこと」
ガーシニアはあまり大きくはない手で優しくジルギスの髪を撫でてみる。絹糸の様にキラキラ光る金髪に目を細めた。いつだってこの鼓動が自分の腕の中にある内は自分を保っていられる、とガーシニアは強く思った。
「分かったよ。大丈夫。ヴィース、お腹に障るよ」
不安げな顔を上げたジルギスの唇をガーシニアは舌でなぞると唇を押し付けた。思わずジルギスはガーシニアの流し込んで来た唾液をごくりと飲み込んだ。
「…アル…」
ガーシニアの肩甲骨にしがみ付いたジルギスを押し倒さないようにやんわりと抱いて、その首筋にキスをしてやった。
「心配要らないよ」
ジルギスはソファに腰掛け、疲れたのか体勢を崩して座った。パトリスがソファのひじ掛けにもたれたジルギスの頭の下にすかさずクッションを敷いた。
「パトリス、あいつは私のことを知っているのか?」
ガーシニアの紫色の瞳に見つめられてパトリスは胸の小さな痛みがドクンと跳ねた。仕事中の将軍もなかなか凛々しい…など想いを寄せている暇は無かった。
「いえ。知らないと思いますが、ジルギス様との仲は疑っていらっしゃるかもしれません」
ジルギスがクッションにもたれたまま言った。
「私がいない時の命令はクリスティーナが出すことになるの。でもバニラかあなたの許可を必要としなさいって言ったから。訝しんでいるかもしれないわ」
その言葉を聞いてガーシニアは立ったまま暫く考えていたが、ドアノブの結界を剥がした。
「バニラの所へ行ってくる。それからクリスティーナとも話をしなきゃならない」
そう言い残すとマントを翻してパトリスに声を掛け、城主の部屋を後にした。その後ろ姿を扉の向こうに消え去るまで見送ると、ジルギスは小さく溜息をついて瞼を閉じた。貧血を起こしたような眩暈を覚えて意識を失うようにジルギスは深い眠りに落ちた。
いつもの会議室に着くとバニラが1人で資料の山羊皮を何枚もめくって眺めていた。ノックの乾いた音が響き、バニラが頭を上げた。
「ガーシニア閣下。ジルギス様は?」
「ヴィースなら体調が悪いみたいで城主の部屋で休んでいる」
そこで、はっとしたガーシニアが振り返ってパトリスに合図をした。
「ごたごたして紹介が遅れて申し訳なかったね、バニラ。西の新しい直付なんだ」
パトリスは紺でまとめた軍服を着用していた。
「パトリスです。バニラ大佐、お見知りおきを」
「南の直付頭のバニラよ。よろしく。バニラでいいわ」
笑顔のバニラにパトリスは敬礼した。
(パトリスの中身が竜だって知ったらみんな驚くだろうな。しかも王城付属の洞に棲んでるときた)
そう思うとガーシニアは何とも言えない気持ちになった。やむなく騙している感じはジルギスと自分の本当の関係を伏せていることにも似ていた。なんせ秘密が多過ぎる。
ガーシニアは椅子を引いて適当な場所に腰掛けると今後の事をどうするか聞いてみた。
「バニラ1人じゃ荷が重いだろうし。クリスティーナは使えそうか?」
「閣下の旧知の方のようです。その関係性によってやりやすいか、やりにくいか、分かれてくるとは思うのですが」
さすがのバニラも考えあぐねているようだ。
「クリスティーナも入れて打ち合わせしないとジルギス地方の何百日か大変だぞ」
「ええ、でも閣下、いかが致しますか?」
ガーシニアは銀髪を掻き上げて頭を振った。
「そうだな。まだジルギス将軍は安定期に入らない。安定期に入るまでは南の拠点城で休んでもらおう。当分、指揮は補佐官とバニラが取る方が良いだろう。実際には、補佐官は責任さえ取れればいい。実務はバニラ以下直付が今迄通り行う」
「安定期に入ればジルギス将軍も動けるだろうから、そうしたら臨月までは補佐官に任せながら仕事すれば良い。臨月になったら、彼女はまた西の拠点城か生家のどちらかに行くと思う。本当に休まなければならないし、いつ産まれてもいいように」
なめした白い革の裏にさらさらと将軍の案を書いてみた。
「これでどう?バニラ」
バニラは改めてガーシニアの筆跡を見て少し驚いていた。ジルギス将軍の筆跡とよく似ていた。一瞬、この文章をジルギス将軍が書いたのではないかという錯覚さえ起った。
「ええ、良いと思います。私はガーシニア閣下の案で良いと思うのですが、補佐官はどうでしょうか?」
眉根を寄せてバニラは考えた。そんなバニラを横目で見ながら、思い返したようにガーシニアは言った。
「私の経験では、臨時職の将軍補佐官は建前だったと思う。まあ、そうだな。領地争いが頻繁だとか、民衆の暴動が多い所だとかは別だったけど」
頭の後ろ手を組んでガーシニアは天井を見上げた。
「お茶でも淹れましょうか?」
様子を見ていたパトリスが立ち上がると、バニラは素直にお願いしてクリスティーナを呼びに行った。
程なくして赤毛を結い上げた真っ黒い将校服のクリスティーナが入って来た。パトリスは全員に薔薇茶を淹れ、自分も末席にちょこんと座った。
「ジルギス将軍が安定期に入るまでクリスティーナ補佐官に引き継ぎながら、ここを見てもらいたいと思っている。実務はほぼバニラが仕切ってくれるから大丈夫だろうと思うが、どうかな?」
そう言ってガーシニアは先程のメモをクリスティーナに見せた。
クリスティーナは黙って山羊皮を受け取ると目を通した。
「いいでしょう。これでやりましょう。これはヴィースの案なの?」
「ん?ヴィース?いや、私の案だ」
困惑気味のガーシニアにクリスティーナは少し考えた風で聞いて来た。
「だってこれ、ヴィースが書いたものでしょう?」
「いや、私がさっき書いたものだ。ねぇバニラ。そうだよね?」
バニラが軽く頷きながら言った。
「それは先程ガーシニア閣下が書いたものに違いありません。クリスティーナ補佐官がおっしゃりたいのは、筆跡がジルギス閣下に似ているということなのでしょう?」
「そうよ。彼女が書いたのかと思っていたから」
バニラとクリスティーナに見つめられて、ガーシニアは首を傾げていたが何かを思い出したようだ。
「そう言えば…」
途中まで言い掛けたガーシニアはそれを公表してはならない事だったと気付き、寸でのところで別に言い換えた。
「うん、そうそう、たまに言われることあったなと思って。王城での会議の時とか」
咄嗟に誤魔化した。内心は冷や汗ものだ。うっかり婚姻証書のことを口走ってしまいそうになったのだ。
2人が揃って字を書くことは滅多になかったものの婚姻証書の届け出のように並べて書くものとかならはっきりとした。互いにそれほど似ている自覚は無かったが、言われてみればそうかもしれなかった。
「そんなに似ているかな?」
自分の書いた字を見てもピンと来なかった。将軍は薔薇茶を一口啜った。窓から一片の夕陽の光が差して来て今しも夜を告げようと言う時間帯になってきた。
「ま、いい。クリスティーナ補佐官とバニラが良いならばこれでやろう。竜の巣窟調査と神領地についてはまた後で決めよう」
「御意」
南の2人の将校は同意した。
「ガーシニア将軍、ちょっとお話してもよろしいかしら」
立ち上がりかけたガーシニアを制して、クリスティーナは薔薇茶を淹れ直すようにパトリスに言うとバニラに目で合図を送った。バニラも
「では、閣下。私はこれで」
バニラが扉のノブに手を掛けた時、ガーシニアが背後から追い掛けるように声を掛けた。
「ヴィースに決まったことを伝えておいてくれないか」
「分かっております、閣下。お任せ下さい」
バニラは肩までの金髪を揺らして振り返り、その髪に夕陽を反射して煌めいた。何気なくそれを目にしたガーシニアはヴィースの潤んだ瞳を思い出し胸が熱くなった。
「それから、パトリスも連れて行ってくれ」
「御意」
2人の将校は、将軍と将軍補佐官と湯気の立つ薔薇茶を残して部屋を出て行った。
夕陽は海の彼方へ沈み夜の帳が降りて来て、静寂が城の内も外も包み始めた。クリスティーナもガーシニアも一言も話さぬまま薔薇茶を前にして座っていた。
先に口を開いたのはクリスティーナだった。
「ガーシニア将軍閣下、お茶が冷めてしまいますから」
「いただこう」
ガーシニアは薔薇茶に口をつけた。
「ところで、今ヴィースのお腹にいる子のことなんだけれど」
クリスティーナは立ち上がって窓に結界を貼り始めた。会議室の窓は大きいが、一つ一つ丁寧に結界を貼っていく。
ガーシニアは黙ってクリスティーナが何を言おうとしているかを待った。ここは先手を打つべきではない。
「相手が誰か知っている?ヴィースは単身者妊娠だと言っていたけれど」
結界を貼ると同時に部屋の灯りを灯して大会議室が明るく照らし出された。
今の質問は誘導か。自分が相手だと疑われているのか、とガーシニアは受け取った。
「結婚していなければ単身者妊娠なのは当然でしょう。相手が誰かは法律上外に洩らせないことはご存知ですよね。本人が言いたいならそれはそれですけど」
答えたガーシニアは腕組みをした。
「あなたとヴィースの関係はなんです?竜使いとしての知り合いですか?」
結界を貼り終わり、灯りを付け終えたクリスティーナがガーシニアの隣の席に座った。
「そうよ。彼女が養成兵舎に上がった時、竜使いのプログラムを担当していたのが私。その時の師匠ってこと」
クリスティーナは不敵な笑みを浮かべて薔薇茶を置くと、横からガーシニアに向き直った。
「あなたこそ、ただの将軍同士にしては仲が良すぎじゃない?名前で呼び合うなんて、どういう関係なの?」
「どういうって…、彼女は私の命の恩人だし、親友でもある。今は仕事の仲間でもある」
「実はヴィースとガーシニア将軍が付き合っているとか。もしかしてお腹の子供の片親はあなたじゃないかって思っていたのよ」
やはり疑われていた。勘が当たっていたのだ。一瞬ドキッとした。いや、ばれることなんて絶対にない。ただカマをかけられただけだ。危ない。
ガーシニアは自分の表情が強張っていないか、目が泳いでいないかだけが気になった。
「付き合ってない。彼女とはそんなんじゃないんだ」
落ち着けば大丈夫。狼狽えない。これは将校としての鉄則でもある。軍人にとって嘘をつくなんてことは日常茶飯事なのだ。仮に捕虜になった時にべらべらとおしゃべりな軍人は情報と引き換えに命を救われるのではなく、真っ先に殺されるのがオチだ。
クリスティーナは腑に落ちないという顔をした。ガーシニアは”付き合っていない”と言わざるを得ない今の自分の状況がいささか嫌になった。堂々と自分の伴侶だと言えれば、こんな面倒なことに巻き込まれなかったはずだった。
目の前の薔薇茶を苦々しい思いと一緒に一息に飲み干したら、冷えた液体が喉から胃に通過する感覚があった。
「そう。私ね、離婚したの。今は再婚相手を探しているところ」
何が言いたいのか、わかるようでわからなかったガーシニアはクリスティーナを振り仰いだ。クリスティーナは肩肘をついてガーシニアの濃い紫色の瞳を覗き込むように見た。
「もう一度、ヴィースに求婚しようと思って」
クリスティーナの言葉の意味が良く呑み込めず、ガーシニアはクリスティーナを凝視したまま動けなかった。
「当時、弟子だった彼女と付き合っていたのよ。彼女にとっては私が初めてだったと思うわ」
ガーシニアは先程のヴィースの態度に納得したところだった。ブルーの一番弟子だったクリスティーナはヴィースの師匠でもあり、恋人だったのだ。ヴィースが無言で抱き付いて来た時の不安げな表情が何を物語っていたのか、何を自分に伝えようとしていたのか、こんな形で知ることになるとは思いもよらないことであった。
「なぜその時にヴィースと結婚しなかったんです?」
ママも承知していて竜の家系の者同士なら尚更話は早い筈。ガーシニアは心臓が早鐘の様に鳴るのを抑えるのに必死だった。
「なんでかしら。私が年上過ぎたのかしら。10歳しか離れていないのに。あの当時、私は次の春が来たら養成兵舎を辞めて竜使いの修行に出なければならなかったのよ。だからヴィースに一緒に来て欲しかったの。兵舎なら修行先にもあったし、17歳で結婚できる年齢だったし」
「17だって!!」
さすがにガーシニアも大声を出してしまった。
「ええ、そうよ。でも彼女は別れるって。自分はここに残るって言ったわ。すぐに新しい彼氏ができたって聞いたけどね。でも、ずっと結婚していないなんて思わなかった」
クリスティーナは冷めた薔薇茶を押しやって改めてガーシニアを見た。
「ねぇ、ガーシニア閣下、あなたならヴィースの好きな人を知っているんじゃない?」
この質問にどう答えるべきか。ガーシニアは迷った。
「さあ、私は恋愛の話は疎くて。なかなかそんな話にはならないんです」
迷った末に差し障りない答え方をしてしまった。これでは後で疑われても仕方がないが、急な受け答えで考えている余裕がない。
「そう、でも見た所、将軍、あなたは手が早そうね」
ガーシニアは心外だと言った顔をした。
「それはさっきのバニラ大佐のことですか?あんなのは社交辞令ですよ」
「社交辞令ねぇ」
クリスティーナはそういうとまあ、いいわと言って立ち上がった。
「今度こそヴィースと結婚するわ。こんな所で再会できたのも何かの縁だし。ブルーも最初から教えてくれたら良かったのに、何にも言ってくれないんだもの」
クリスティーナの言葉に暗澹とした気持ちを抱えて、ではまた、と部屋を出たガーシニアは果たして自分がクリスティーナに勝てるか不安になった。ヴィースは何故、初めての恋人の求婚を断ったんだろう。その癖、自分に対しては付き合う条件で結婚しろと迫ってきた。
いきなり入って来た情報を無理やり整理しようと四苦八苦しながらふらふら廊下を辿って城主の部屋に着いた。
「アル!」
ノックをする前にジルギスが扉を開け、ぼんやりしたガーシニアを扉の向こうへ引きずり込んだ。その姿はまるで蟻を捕まえるアリジゴクのように素早かった。
「ああ、ヴィース。体は大丈夫かい?クリスティーナのこと、本人から聞いたよ」
引きずり込まれた蟻であるガーシニアではあったが、黙っていることが耐え切れず口を開いた。
「そうだと思ったわ。さっきバニラとパトリスが来た時に2人でまだ話していると聞いたから。多分、クリスティーナが話しているのだろうと思ったの」
「そう、あたりだ、ヴィース」
2人は同時にソファに腰掛けた。
「ヴィース、彼女は君の初めての相手なの?」
ガーシニアは所在無げにジルギスの手を握った。
「ええ。だって私が16から付き合っていたんだもの」
16!!そんなことして許されるのか?ではさっきのクリスティーナの17というのは求婚した歳のことか。
「そうか。ではなぜその時に結婚しなかったんだい?」
ガーシニアにとってはここが肝心だった。まさか、初婚と言っていたのに実は再婚だったのか。あり得ないことまで妄想が進む。
「だって。ママのご機嫌取りだったし」
ヴィースはガーシニアの握った手を解いてマントの中に抱き付いた。
途端にガーシニアは体の芯が熱くなる。いけない。妊婦なのに。相手がジルギスだと身体の反応が早くすぐに欲情してしまう。
「どういうこと?」
「養成兵舎で竜使いの家系用特別プログラムを教える師匠だったけど、クリスティーナ自身もまだ修行中だったから、ママに頭が上がらなかったの。私はそのママの一人娘よ。もし結婚すれば自分の格も上がるでしょうね」
胴体に柔らかい身体が巻き付くのを好きにさせておきながら、押し倒したい欲望をぐっと堪えてガーシニアは考えていた。
「君と結婚するのは、自分の為だったっていうの?」
「そうよ」
でも今一つ合点がいかない。クリスティーナの感じではヴィースのことを本気で好きだと取れたがあれは芝居だったのだろうか。
「でもクリスティーナは君のことを本気で好きだったんだろう?それは君だって」
「確かにあの時はお互いに好きだった。そうね、彼女は人気もあったし、憧れの師匠だったもの。その人に付き合おうって言われて私も舞い上がってしまったと思う」
ヴィースの指が背中に回るとくすぐったい上に胸が脇腹に押し付けられて気持ち良すぎて感じてしまう。ガーシニアは理性のタガを辛うじて掛け直し掛け直し話を続ける。
「ヴィースだって好きだったのに、結婚を断ったの?」
「断ったわ」
子猫みたいにじゃれついてくるヴィースにどうしたら良いか持て余すガーシニアは、自分が保てる程度にヴィースの肩を抱いた。
「付き合っているからって結婚するとは限らないでしょう。結婚はあくまでも別よ。それに求婚された時、まだ17だったのよ。他にやりたいこともあったし、勉強も修行も途中だったし、それにね」
ここで一度言葉を切って思い返すようにヴィースはその次の言葉を吐き出した。
「彼女がママの義理の娘に収まれば竜使いとしては安泰だって言ってたのを聞いてしまったことがあったから」
話を聞いていたガーシニアはついに我慢できなくなって、自分に絡まるヴィースを動けないように抱きすくめるとその唇に唇を押し付けた。互いの唇を貪るように長いキスをして、やっとガーシニアは自分を抑えた。
「良かった、ヴィースがその時に結婚していなくて」
ふふふと小さく笑ったジルギスは嬉しそうだった。アルったら、と聞こえないほどの小声で呟いた。
「でも、クリスティーナは君と再婚するって言っていたぞ」
「再婚?じゃあ、クリスティーナは離婚したのね。結婚した所までは知っていたのだけれど」
マントの中でじゃれ合うのに邪魔になったのか、ジルギスは立ち上がるとガーシニアのマントを外して畳んだ。
「別れてから一度も連絡を取ってなかったもの。ただ結婚式だけはママが出席したわ。その後、私たちの前から暫く姿を消していたみたいね。ママも最近やっと消息を掴んだと言っていたわ。でも私にはもう過去の人だから」
ジルギスの仕草を目で追いながらあの台詞を聞いてみる。
「君の好きな人を聞かれた」
ふうんと言いながらまたガーシニアの隣に座って、その手を取ると自分のお腹にあてた。
「ねぇ、撫でて」
「ん?お腹?」
「そう」
「うん」
ガーシニアは気を付けてジルギスのお腹を触ってみる。まだいつもと一緒で膨らんでもいない。それがとても不思議な感覚だったが、本人は張っている感じがあるようだ。
「何て答えたの?」
お腹に神経が行っていたガーシニアは、なんだっけと話を思い出すのに時間がかかった。
「ああ、好きな人ね。知らないって答えたよ。そう言えばね、お腹の子供の相手が本当は私じゃないかって疑われていた」
ジルギスはお腹を撫でてもらって満足したようだった。
「実はそうなんだよって言えば良かったじゃない」
しれっとジルギスが言ったのでガーシニアは驚いた。
「えっ?!ほ、本気で言っているの?」
「冗談よ」
ガーシニアはソファにひっくり返った。
「驚かすなって」
「そんなことより、今夜は泊まる?帰るのなら、食事をして行けるでしょう?」
ジルギスは上機嫌でガーシニアの手を取って立ち上がった。
「ヴィース、まさかクリスティーナとよりを戻すなんてことにはならないだろうね」
部屋を出ようとしたジルギスに心配のあまりガーシニアは言ってしまった。言った後にこれは余計なことを聞いてしまった、と後悔した。
扉の手前でジルギスは立ち止まり、愛しい伴侶の手を握りながら静かに振り返った。
「アル、私を信じていて」
ヴィースは美しい海のような蒼い瞳で伴侶を見つめた。ガーシニアの濃い紫色の瞳に部屋の灯りが横から差して薄紫に見える。
「うん」
ヴィースの瞳に見つめられるとガーシニアはいつも動けなくなった。ヴィースは決して怒鳴ったりしない。どんな質問にも的確に答える。
「私もアルを信じているから」
ジルギスとガーシニアは扉を開けるほんの少しの間、抱き合うように見つめ合い体感した。
「うん」
ガーシニアは短くいつもの返事をした。




