私は世界への決定権を持っています
胸糞悪い終わりです。注意。
小学校3年のクラスの中で、コウキくんは一番目立つ男の子だった。
力が強くて、言うことを聞かない子には殴りつけたり、蹴っ飛ばしたりしてくる。
その度に先生に怒られていて、でも言うことを聞かない、『問題児』というやつだ。
私がホームルーム前の空き時間にムギちゃんとアキちゃんと話していたら、彼は私たちの間に割って入って、馬鹿にしたように言った。
「お前らまだサンタなんか信じてんのかよ!」
あまりの言い方に私たちはむかついて、ムギちゃんが最初に言い返した。
「コウキうるさい!」
「お前ら知らないの?アレ、親がプレゼント置いてるんだぜ?サンタがやってるなんて、お前らガキだよなぁ!」
ニヤニヤと馬鹿にした目で見てくるコウキに腹が立つも、彼の方が力が強いのはよく分かっていて、私たちは睨み返すことしかできない。
コウキはそれにいい気がして、周りのクラスメートに呼びかける。
「おい!こいつらまだサンタ信じてるんだって!」
それを聞いた何人かが私たちを見て、笑う。
どうして笑うのか分からなくて、コウキだけではなくて、他の人にも馬鹿にされた気がして、私達の方がおかしい気がしてきて、いたたまれなくなる。
でも、やっぱりコウキには腹が立った。
私たちは、今年のクリスマスを楽しみにして話していただけなのに。
プレゼントに何をもらいたいか話していただけなのに。
その楽しみを壊されて、怒りが湧いた。
だから、私はむきになって、コウキに言った。
「サンタはいるよ!絶対いる!」
怒鳴りつける、なんてことは初めてで、恐怖か興奮か、涙を浮かべながらコウキを睨みつけた。
しかしコウキは反抗されるとは思っていなかったのか、ポカンとした顔で私を見ていた。
袖口で目元の涙をぬぐい、もう一度コウキを見る。
そしてその場で一番最初に口を開いたのは、コウキだった。
「なにあったりまえなこと言ってんだ?」
コウキの言葉に、耳を疑う。
「だ、だって、今、サンタはいないって」
私の言葉に、今度はムギちゃんが反応する。
「なに言ってるの?ヌイちゃん、誰もそんなこと言ってないよ」
コウキをかばっているんだろうか。慌ててアキちゃんに助けを求めて振り返れば、大人しいアキちゃんもきっぱりと首を横に振った。
私は訳が分からなくて、「そ、そっか。ごめん」ととりあえず謝ってしまう。
混乱している私に、ムギちゃんは安心させるように私の肩を叩いた。
「もー、突然何を言いだすかと思えば、サンタがいるのは当然でしょ!」
注目を集めていた私たちのやり取りに誰も目もくれず、聞いてもいないようだった。
さっきまで笑っていた子たちも、なにも気にせず自分の席に着いている。
まるっと変わってしまったクラスメイトの様子に、まるで世界が変わったようだと思った。
―――――――――――――――
「ねー、ヌイちゃんの好きな人、教えてよ」
小学五年生になると保健体育の授業が増えて、そこで習った男女の差が出始めた頃。
女子の間ではそんな話が流行っていた。
誰が誰を好き。誰と誰が付き合った。そんな話を朝から帰る時まで尽きずに話している。
特にムギちゃんがその話が好きで、大人しいアキちゃんと私によくその話題を振ってきた。
でも好きな人がいない私はいつも笑顔ではぐらかして、対して顔を真っ赤にして「いないよ」というアキちゃんのことをムギちゃんはしばらく「白状しろ」とよくからかっていた。
でも、今日はそれにも飽きたみたいで、矛先は私に向けられた。
やっぱり好きな人がいない私は素直に「いないよ」と答えるが、ムギちゃんはそれは面白くないみたいだ。
あの手この手で私の反応を引き出そうとしてくる。
「いないって言っても、かっこいいと思う子ぐらいいるでしょ?ほら、グンジョーくんとかかっこいいってみんな言ってるし、ヌイちゃんもかっこいいと思わない?」
グンジョーくんはスポーツが好きな男の子で、休み時間にはよく校庭に行ってサッカーをしている。
そしてそんなグンジョーくんはクラスの中で身長が伸びるのが早くて、スポーツができるからかっこいいと言う子が何人もいた。
「うーん、確かにそうかもね」
煮え切らない私の答えにも、彼女は楽しそうに反応する。
「そうだよねーヌイちゃんもかっこいいと思うよねー。ちなみに好きとかじゃない?」
しつこいまでの追及に私はきっぱりと答えた。
「好きではないよ」
「ええー、じゃあじゃあ、ヌイちゃんは誰が好きなのー?」
その質問に、どうして好きな人がいる前提なんだろうと思う。
でもそれを言ったら面倒くさくなりそうだから、言わないでおく。
「じゃあさ、キグミくんとアオイくんだったら、どっちがいい?」
キグミくんとアオイくんは女子から人気だ。どっちもイケメンだからだ。
でも私は困ってしまった。どっちがいいなんて、考えたことがなかったからだ。
考えながら、どうしても答えないとダメ?と聞けば、だめときっぱり返される。
きっとこれは答えないと後がうるさいやつだと私は観念して、どっちがいいか考える。
キグミくんのことはあまり知らなくて、アオイくんは剣道を習っていることを知っていて、そして剣道着姿のアオイくんを想像して、かっこいいなと思って、
「アオイくんの方かな」
と答えた。
その答えに、ムギちゃんは頬を赤くして喜んだ。
「だよねー!なんかそんな気はしてた!だってヌイちゃん、アオイくんのこと気にしてたもんね!」
彼女の言葉に私は驚く。
私がアオイくんのことを意識したことなんて一度もないのに。
「そっかー、ヌイちゃんはアオイくんが好きなんだー」
と、ときめいているムギちゃんに私は戸惑いながら、言っておく。
「私、アオイくんのこと、好きじゃないよ」
「うんうんわかってる。でもアオイくんの方がいいんだもんねー」
本当に分かってるのかな、という疑念は的中して、次の日には私がアオイくんのことが好きだということになってしまっていた。
クラスの子が私を見てこそこそ話をする。そして、アオイくんの方を見る。
それは男女関係なく広まって、男子がアオイくんにこそこそ話をすると、アオイくんは私を見た。
ああ、きっとあの話を聞いたんだなと思うと途端に恥ずかしくなって、居たたまれなくて、そんなつもりじゃなかったのにと、彼の視線から目をそむけてしまう。
それが他人から見れば、私が照れ恥ずかしがって目をそむけたように見えたのだろう。
逆にアオイくんのことを意識してしまうようになった私に、元凶であるムギちゃんが話しかけてくる。
「ねぇ、いつアオイくんに告白するの?」
その口調は面白がっていて、私はそんなつもりはなかったのに自分たちの都合よく広めた話に私は腹が立って、見ないように伏せていた顔をあげて、怒った。
「あのさぁ!私、アオイくんのこと好きじゃないって言ったよね!?」
突然怒った私にムギちゃんは驚いた顔をして、そして一拍置いた後、こまったような顔をして、言った。
「当たり前じゃない?」
彼女の手のひら返しにさっきまでくすぶっていた怒りが消え去る。
一体何が起きたんだ、と彼女を見つめる。
「アオイくんのこと好きな人なんて誰もいないよ」
その言葉に、また驚いてしまう。
だって、アオイくんはイケメンでみんながキャーキャー言って話題の中心で、何人か告白しに行っているって、ムギちゃんが教えてくれたんじゃないか。
まさか、とアオイくんの方を見れば、そこに常に人に囲まれて、身ぎれいな格好で座っている彼はいなかった。
そこにいるのは確かにアオイくんではあったけれど、みんなから避けられて、よれよれの服を着て、申し訳なさそうに俯いて席に座っている私の知らないアオイくんだった。
痩せすぎた姿に、でも顔は確かにアオイくんで、私は目の前の光景にただ驚くしかなかった。
「ど、どうしてみんなアオイくんを避けてるの?」
「近づく理由がないからじゃない?」
「でもさっきまで仲良く話してたじゃない?」
「アオイくんと!?ないない!どうしてアオイくんと話す必要があるの?」
彼女は当然とばかりに、逆に私の言葉に驚いた様子だった。
私は信じられなくて、みんなで吐いた嘘じゃないかと半信半疑でアオイくんの様子をみる。
でも誰にも相手にされてない、存在を無視されても申し訳なさそうなアオイくんに、全く違う存在になってしまったアオイくんに、私はムギちゃんの言ったことが本当なんだと納得した。
そして同じような既視感を思い出して、私はふと思った。
私はこの世界を変えられる『ちから』を持っている。
嘘のようなことが起きた現状に、私はそう思うことで私自身を納得させる。
そして、以前とは違う可哀そうなアオイくんに申し訳なくなって、さっそく、この『ちから』を使ってみることにした。
「アオイくんが人気者になりますように」
そう強く念じて声に出すと、瞬き一つの間にアオイくんは人気者になった。
男女問わずに人気で、モテて、常に周りには人がいて。
着ている物も以前より気立てのいいものになって。
アオイくんは笑って、・・・でも前よりも控えめに笑うようになったかもしれない。
そして、後で知ったことだが、長いこと続けていたはずの剣道は、もうずっとやっていないことになっていた。
―――――――
中学生にもなると、私はこの『ちから』のすごさをわかってきていた。
だって世界を変えられるということは、自分の嫌なことは世界からなくすことができるということだ。
それに気づいた時、私はとても嬉しくて、とりあえず友達には話しておこうと、ムギちゃんとアキちゃんに話した。
けれど、ムギちゃんもアキちゃんも戸惑った様子だった。
「え、え?どゆこと?」
「だーかーら!私は世界を変えられて、ムギちゃんとアキちゃんのどんな願いも叶えられるということ!」
友達だから最初に叶えてあげようと持ちかけた話なのに、ムギちゃんもアキちゃんもすっきりしない表情をしていた。
「それマジで言ってんの?」
呆れたとばかりのムギちゃんに、私はアキちゃんに助けを求める。
「アキちゃんは信じてくれるよね?」
しかし、アキちゃんは困ったように首を傾げるだけだ。
私はむきになって、
「じゃあ、二人の願い事言って!叶えたら信じてくれる?」
と性急に尋ねる。
すると髪先をいじって本気にしていないムギちゃんに対して、アキちゃんはほのかに期待を見せて、答えてくれた。
「じゃ、じゃあ、ペケペケグループのニカイドウさんに会いたいなぁ」
ペケペケグループのニカイドウとは、アキちゃんが追いかけるアイドルグループの、アキちゃんの熱烈な推しの名前だ。
それぐらいなら容易い願いだ、と私は意気込んで、世界を変えた。
「ペケペケグループのニカイドウがアキちゃんに会いに来る!」
すると、私の言葉にムギちゃんが痛んできたと嘆いて見ていた髪先から視線を上げ、
「ああ、会いに来たの?」
と、当然とばかりに反応した。
ムギちゃんとアキちゃんが振り向いた先にはテレビでしか見たことのないペケペケグループのニカイドウが確かに窓際に立っていて、「アキちゃん」とまるで恋人を呼ぶような甘い声でアキちゃんを呼んだ。
きっとアキちゃんのことだから、目の前の推しに泣いて喜ぶだろうなと思って彼女の様子を窺ってみるが、喜もなく楽もなく、ただ淡泊に、
「あ、来たんだ」
とだけ言った。
予想外な反応にガクッと力が抜ける感覚を受けながら、アキちゃんに問いかける。
「う、嬉しくないの?」
アキちゃんは心外だとばかりに私に振り返った。
「いや、別に。嬉しくとも何とも」
「じゃあ帰るよ」
とだけ言ってニカイドウはさっさと帰って行った。
よく分からない展開に私が驚く羽目になったが、しかしこれでどうだ、ともう一度話を戻す。
「これで信じてもらえたかな?」
「世界を変えれるって話?う~ん」
とムギちゃんは眉間に皺を寄せてしまう。
「だってニカイドウ来たじゃん!?」
しかしそれに対してアキちゃんが表情をひそめてしまう。
「ニカイドウくんが会いに来たのはいつものことだし、そのせいで私がファンの人に色々されて、迷惑でしかない」
と淡々と言い返したアキちゃんに、私は驚いてしまう。
ニカイドウを見て頬を染めて彼がいかに素晴らしいかを語っていたアキちゃんはもうそこにはいなくて、今いるのはニカイドウのことを害虫程度にしか思っていないアキちゃんがそこにいた。
しかも大人しかった性格も物事をきっぱり言い切るタイプに変わっている気がする。
そういえば、と今までのことを思い返してみれば、世界が変わる前のことは誰も覚えていないのだ。
「ど、どうすれば信じてくれる?」
どうしても友達には知っておいてほしいと、その一心で問いかければ、手を顎に当てて悩んでいるポーズをとっていたムギちゃんが、ひらめいたと目を開けた。
「信じるように世界を変えればいいんじゃね?」
表を裏に返すぐらい簡単な答えに、私もそれだと納得せざる得なかった。
さっそく、私を信じる世界に変えてみる。
「私の『ちから』を信じる」
目をつぶって開いて。
その先に広がっていたのは、ムギちゃんとアキちゃんが私の制服を掴んで、縋っている姿だった。
膝をついて、媚びるような目で私を見上げる。
そして期待を込めた声で、
「神様」
と、私を呼んだ。
「神様、神様」
「お願いします、私の願いをかなえてください」
「ふ、二人とも、どうしたの?」
今まで見たことのない二人の姿に、言われた言葉に寒気がして、制服を掴む手を引きはがす。
「た、立って。神様なんて呼ばないで」
けれど、二人はますます頭を下げて、最終的に土下座をしてしまった。
「お願いします、神様、私の願いをかなえてください」
二人とも同じことを繰り返す。
「わ、私の『ちから』、信じてくれたの?」
思わずそんなことを聞いてしまうと、心外だとばかりに、二人は頭を上げる。
「そんな!神様の『ちから』を疑うなどありえません!どうか、どうか、私にお慈悲を・・・」
と、しずしずと再び頭を下げてしまう。
その光景が気持ち悪くて、もう二人を友達と呼べる関係ではなくなってしまっているということだけはわかった。
なんとかして世界を戻さないと、と考える前に、学校中から
「神様!」
と呼ぶ声が聞こえた。
全校生徒が私達を見ていた。そう思えるほど大人数が、そんなに注目されたのは初めてで、けれど彼らの表情が喜びに満ちた笑顔であることも含めて、これは異常だと頭の中で警告される。
怖いと思った。
笑顔が怖くて、土下座する友達が異常で、私はその場から逃げ出した。
すると、見知った顔、見知らぬ顔、いろんな人に追いかけられる。
脚は早い方ではないから、途中で掴まって、縋られて、また逃げてを繰り返して。
けれど逃げれば逃げるほど、私を追いかける人は多くなっていって。
そんな中、校門へ飛び出した私を迎えるように一台の黒い車が目の前に停まった。
そしてドアが開いたかと思うと私はその中から伸びた手に捕えられ、中に引っ張られる。
ふかふかのソファが体を受け止め、私が入ると同時に閉じたドアに私を追いかけてきた人たちが寄せ集まった。
窓から中をのぞくその姿に、異常な目つきに、執拗に呼ぶ声に、私は血の気が引いて、気持ち悪さにそのまま気絶してしまった。
―――――――
起きると、知らない部屋の中にいた。
窓は無くて、扉が一つ。不気味なぐらい壁は真っ白で、あるのは同じように白い机と向かい合った椅子が2脚、そして私が今寝ている簡素すぎるベッドぐらいだろうか。
私が起き上がって部屋の中を歩き始めると、扉が開いた。
そこからスーツを着た金髪のおじさんが入ってきた。
知らない人に私が怯えると、おじさんは安心させるように、両手を上にあげて、何も持っていないことを主張する。
「ご安心ください。この部屋には私以外誰も来ませんし、危害を加えるものもありません」
「・・・あなたは誰ですか?」
震える声に、おじさんはマンガみたいなちょび髭をさわって、おどけるように言う。
「私は世界中の国を代表してあなたに会いに来ました。ウェルニコフと申します。見た目は外国人ですが、生まれは神様と同じ国なのですよ。だから日本語はお手の物です」
と、ホホホと笑った彼に、悪い人ではないかもしれない、と警戒を解く。
「ここはどこですか?」
「ここは神様の部屋です。ここにいれば安全です」
彼はそれしか言わなかった。
私には私の家があるし、部屋もある。こんな部屋じゃない。
そう言いたかったが、その前に大勢の人に追いかけられた記憶を思い出して身震いする。
例え私の部屋があったとしても、そっちよりも今の方が安全なのかもしれない。そう思った。
とりあえず、立ちっぱなしにも疲れたので、丁度良くある椅子に腰かけると、ウェルニコフも向かいの椅子に腰を掛けた。
そして本題だとばかりに、身を乗り出した。
「神様、神様に国を代表してお願いがあります」
またそれか、とうんざりする。こんなことになるなら、信じてもらうんじゃなかったと後悔する。
「私たちは世界をよりよくするために何十年にも渡って議論を重ねてきました。しかし、私達のちからだけでは及ばないことがとても多い。多すぎるぐらいです。ですが、神様のちからを使えば、それらを解決できる。そのためのお願いです。神様、どうか、世界をよりよくしようとする我々に、お慈悲を・・・」
と彼は両手を組んで、お祈りのポーズをする。
私はそんな大げさなと思いながら、でも絶好のチャンスかもしれないと思った。
この『ちから』を世界のために使えるチャンスだと。
世界中の人のためになるなら、この『ちから』を使ってもいいはずだ。
何度も議論されて出された願いなら、世界はいい方に行くはずだ。
この『ちから』を使うことに、何の心配はいらないだろう。
記憶に新しい散々な出来事に、私はすっかり怯えきっていて、だからウェルニコフの言葉に、多少なりの安堵を覚えた。
「いいよ」と答えれば、ウェルニコフは涙を浮かべて喜んだ。
「ありがとうございます」と何度も言われ、自分よりもはるかに年上の人にお礼を言われることに違和感と気恥ずかしさを覚える。
ウェルニコフは一度咳払いをすると、改まって言った。
「貧しさに餓え苦しむ人がいます。一刻も早くそんな人たちを救いたい。我々の最大の願いは、『世界から貧しい子供がいなくなる』というものです」
真剣な表情のウェルニコフに、私も改まって背筋を伸ばし、彼の言葉を復唱する。
「世界から貧しい子供がいなくなる」
一呼吸置く。
すると、ウェルニコフはもう一度咳払いをすると、改まって言った。
「世界は大幅な人口減少に悩まされており、世界の未来のためにも戦争ほど有害なものはございません。我々の最大の願いは、『世界から戦争がなくなる』というものです」
「世界から戦争がなくなる」
緊張でかいた手汗を机の下で制服にこすりつけていると、ウェルニコフは咳払いをし、改まって言った。
「日常に潜む暴力こそ世界の調和を乱す悪です。我々の最大の願いは『世界から暴力がなくなる』というものです」
「世界から暴力がなくなる」
ウェルニコフが言う願いは多くの人が口にするもので、私も納得しながら世界を変えていった。
願いが叶っていくせいか、ウェルニコフの表情も最初の切羽詰まったような、緊張をまとっていたものから力が抜けたものに変わった。
ウェルニコフは私から視線を逸らし、少し申し訳なさそうに、私の顔色を窺うように視線を動かしながら、願い事を言う。
「我々が望むことをはただ一つ、誰もが快適な環境で暮らすことです」
「みんなが快適な環境で暮せる」
すると、おどおどしたウェルニコフは打って変わって痩せた体になって、歳も30代辺りまで若返り、けれどまた緊張をまとわらせていて、なにか間違えたのかと焦る。
若返ったウェルニコフは怖いほど真剣な顔で、私に願い事を言った。
「人が住むための広い土地が欲しい。今の土地では狭すぎる」
私は慌てて彼の願いを叶える。
「人が住むための広い土地がある」
その途端、ウェルニコフは元に戻った。
おじさんで、ちょび髭を生やして、でも最初より太っていた。
よりずんぐりしてしまった体型に驚きながら、先ほどまでの痛いまでの緊張がなくなったことにホッとする。
彼は言った。宙を眺めがら、なんてことのないように。
退屈そうにちょび髭を片手間にいじりながら。
「楽に死ねたらいいなあ」
「楽に死ねる」
ほぼ条件反射だった。
世界の為だと思って、条件反射で叶えてしまった。
しかし、その願いがおかしいことに気付いてしまったのは、死んだウェルニコフを見た時だった。
髭をいじっていた手は垂れ下がり、遠くを眺めていた目はもう何も見ていない。
口を開けて椅子にもたれかかって死んでいるウェルニコフを見て、悲鳴を上げた。
同時に、なんてことを叶えてしまったんだろう、と気付いた。
その場にいたくなくて、すぐにウェルニコフが入ってきた扉から外に出る。
もちろんそこは全然知らない場所で、それでもなんとか外を目指して走る。
不自然なほどに誰もいなくて、その中を泣きながら走った。
走って、走って、階段を下って。
ようやく、外に出られて。
外には真っ平らな土地、山はどこにも見えなくて、家もポツンポツンと物寂しく建っているだけだった。
どこまでも広い、地平線まで見えそうな土地を駆けていく。
そして、一番近くにあった家の中に入って、床に倒れる死体を見てまた叫んでしまった。
驚きに腰を抜かして、その場からうごめくようにしか動けない。
叶えてはいけない願いを叶えてしまったと言う事実が重くのしかかる。
早く、世界を変えないと。
でも、どうやって変えればいいのか、わからない!
どうすれば元の世界に戻せるのか、真っ白になった頭で茫然と考えていると、
「おい」
と死体が話した。
「キャー!!」
と何度目かの叫びに、死体は驚いた様子もなく、パクパクと死んでいながら口だけはしゃべるように動かす。
「おいおい、聞いているか?俺だ、神様だ」
聞きなれたフレーズに、塞ぎかけた耳から手を下ろす。
「神様?」
「そうそう、お前に世界を変える決定権を与えた神様だよー」
私は泣いて死体に縋る。
「神様!お願い、世界を元に戻してください!」
「それは無理だよー」と飄々と返される。
「お前の知っている元の世界は、世界を変えた時点で存在しないの。だから無理ー」
「そんな」
絶望にめそめそと泣く私に、神様はいい案だとばかりに、死体の口を開く。
「そうだ!だったらお前の知っている世界に、世界を変えてしまえばいい!戻ることはできないが、変えることならできる!」
俺ってば頭いいーと神様なのに自画自賛している神様に、私は泣きながら答える。
「でも、元の世界がどうだったのか、わからないの」
「え?」
「元の世界がどんなふうだったのか、どういう風に決めれば元の世界になるのか、わからないの」
海と陸の比率は知っていても、海の深さも陸の形もわからない。
国の名前を知っていても、どんな生物が生きて、どんな環境だったのか知らない。
私は知っていることしか知らない。
「ええ?元の世界のことを何にも知らずに変えたの?」
「ウェルニコフが、世界のためになるって・・・」
「あららー、神様びっくり。何も知らずに変えたのは、無責任だったね」
その言葉に、私はまた涙がこぼれる。
「じゃあこの世界はこれで終わりだ!」
と神様は一仕事終えたとばかりにすがすがしく言った。
「終わった終わった」と何度も言う。
そして、
「じゃあ、お疲れ様でした。世界を終わらせてくれてありがとう」
死体はそれっきり、動かなくなった。