淫魔1
今日は、朝から頭がボーっとしていた。体もだるいし食欲もない。休み時間、机に頭を乗せてぐったりしてると広樹が寄ってきた。
「裟霧どうした? 具合悪そうだぞ。風邪でも引いた?」
「あー、広樹ぃ。なんか、だるくって……調子悪いかも……」
机から顔を上げると、広樹がぎょっとする。
「おい、お前、鼻血!」
「へ?」
たらーっと生暖かいものが鼻の穴から垂れる。
「んげっ」
「ティッシュ! ティッシュ! ほら、これ鼻の穴に詰めろ」
机の上に、どろっと垂れ落ちるくらい、真っ赤な鼻血が出ていた。
「ありがと……」
鼻にティッシュを詰めて上を向いても中々止まらない。
「それ、ヤバいだろ。保健室行く? 俺、付き合うよ」
仕方なしに、広樹に付き合ってもらって、僕は初めて高校の保健室に来た。
鼻に詰めたままぐったりとしていると、先生がベッドに寝ていいと言ってくれる。
「朝食は? ちゃんと食べてる?」
「いつもは食べてます。でも、最近は食欲ないかも……」
「そう。ちゃんと食べなきゃダメよ。じゃあ、鼻血が止まるまで寝てていいから。私、ちょっと職員室に用事があるから行くけど付き添いの人は教室戻ってね」
「はーい」
広樹がゲンキンな返事を返す。
「いいなぁ、俺も付き合って一緒にサボっちゃおうかな」
「ちょ、ダメだよ。広樹は教室に戻ってよー」
ベッドにゴロンと横になると広樹がニタリと不適な笑みを浮かべた。
「なぁ、もしかしてさぁ、裟霧たまってんじゃないの?」
「は……はぁ?!」
「ちゃんと抜いてる? もしかして雪花さんが張り付いててオナニーできないんじゃない?」
「ちょ……そんなコトない……よ」
言われてみれば、最近全然してないカモ。どうしよ。これが、たまってるってヤツなの?
「俺、いーの仕入れたんだよネ。完全裏もののDVDダヨ。貸してやるから、今夜、じゃんじゃん出しちゃえよ」
「だ、ダメ。家はダメ。お姉ちゃんに没収される」
「ふぅ。やっぱそうなんだ。雪花さんって、自分は置いておいて裟霧には厳しそうだかんなー」
……おっしゃる通り。
「ん……」
広樹と下ネタをしていると、カーテンで仕切られている隣のベッドから女の子の声が聞こえてきた。
「や……誰かいるよ。今の会話聞かれちゃったかな?!」
僕は慌てて飛び起きる。広樹が堂々とカーテンをめくって隣を覗いた。
「いるけど、寝てるみたいだよ」
僕は、ほっと胸を撫で下ろす。やっぱり、こういう会話は女の子に聞かれたくない。
「んっ、あ、ああっ……ふわっ……」
「「……」」
なんか、ちょっと声が、その、エッチな感じだ。喘ぎ声って言うのかな。いわゆる悩ましい声って感じで……。
「ねぇ、本当に寝てるの?」
小さな声で広樹に耳打ちをすると、広樹はうーんと唸っていた。
「俺には寝てるみたいに見えるけど。エッチな夢でも見てるんじゃない?」
「え、エッチな夢?」
「男だってみるんだし、女の子だってそんくらい見るでしょ」
「そ、そうだよね……はは」
やっぱり、こういう会話は苦手だ。広樹やみんなは普段からしているみたいだけど、僕はちょっと遅れている。
「あっ……うん、いい。そ、そこ……」
だんだん寝言? が生々しくなってきた。このままだと、僕が大変なことになりそーだ。
「広樹、やっぱり教室戻るよ。ここじゃ寝られそうにないから」
「……寝言で出しちゃったら問題だしね」
「ちょ、そんなコト言わないでよ」
でも、それも冗談にならないくらい、女の子の寝言がすさまじくなってきた。
「あっ……イクっ。いっちゃう……広樹先輩っ」
「ブッ」
思わず吹きだしてしまった。広樹先輩って、もしかして……この目の前の?
「もしかして、この子のオカズ俺?」
「おっ、オカズとか言っちゃ可哀相だよ。夢なんだから」
「なんか複雑~。つか言ってくれれば本物がお相手するのに」
「ちょ、何言ってんの。広樹が言うと冗談に聞こえないよ」
僕は、せっかく止まった鼻血がまた出そうだ。さっきよりも、もっと体がだるくなって、頭が重い。
「ハァハァ。あっ、あっ」
「夢の中の俺って、すっげーテクニシャンなんだ。ま、実物も負けないけどね」
「ほら、広樹も帰るよ」
ベッドから降り、カーテンの隙間から女の子をチラ見する。どんな子だろうと、ちょっとだけ興味があった。
「!」
僕は、ざっとカーテンを派手に開けた。
「裟霧?!」
「……広樹、下がって。この子、淫魔に憑かれてる」
女の子の姿に重なるように、魔族の影が見えていた。女の子は体をくねらせ、荒い息をしている。
「淫魔?!」
「うん。夢の中に潜って人の精気を吸うロウ・デーモン。一回くらいなら、ちょっと体力を消耗するくらいだけど、何度も吸われると魔族堕ちしちゃうんだ」
淫魔は低級魔族の中でも特殊で、実は一番厄介な敵だ。こいつらが人に憑くのは寝ている間だけなので、起きたら倒すことができない。ただし、人から離れる直後は媒体がなくても実体化する。
「ヴァジェラ!!」
僕は炎を滾らせ、退魔具を召還した。
こうなったら、夢から覚めて実体化した所を狙うしかない。
「お願い起きて! 淫魔を夢から追い出すんだ!!」
「は……ふぇ?」
僕の大声に、女の子が驚いて目を覚ました。
普通の人間でも見える姿が、すーっとが抜けていく。
「うわ。俺にそっくりだ」
広樹の言う通り、淫魔の姿が広樹そっくりになっている。
「え? きゃ、きゃああああああああああっ!」
女の子が淫魔と本物の広樹に気づいて悲鳴を上げた。僕は、視界に入ってるかどうか不明だけど。
「斬!」
女の子を傷つけないように手加減してヴァジェラを振ると、淫魔がびゅんと天井まで飛び上がる。
「逃がさないぞ!」
もう一度、斬りつけようと構えると腰の当たりをぎゅっと捕まれた。
「やっ、ヤダ! 止めて! 殺さないで!!」
僕を止めたのは、ベッドで寝ていた女の子だ。淫魔が天井をすり抜けて逃げていく。僕は女の子に妨害され、みすみす淫魔を取り逃がしてしまった。
「あ、あの……離してもらえるかな?」
後ろから抱きつかれた形だけど、様々な意味でこの体勢はヤバい。色々とヤバい。
女の子が顔を真っ赤にして、僕から離れた。
「あ、えと、あっ……私……」
「あのね、今のは淫魔って言って、君は取り憑かれてたんだ。あれが現れたのは初めて?」
「あ、あれって……」
ボブヘアーの結構可愛い一年生だ。もじもじしていると広樹がぬっと顔を出す。
「俺の夢を見るのは初めて?」
女の子が耳まで真っ赤になった。夢の内容は、知れている。
この子が見ていた夢は広樹とエッチをしていた夢だ。淫魔はそうやって精気を吸う。そして、大抵はその見ている人の好きな人の姿になるのだ。
「は……初めてじゃないです。その……何度か……」
真っ赤になっているから分かり辛いけど、顔色が悪そうだ。それに、かなり痩せこけている。
「まずいな……。もしかして、自分で呼んでる? ええっと、なんて言うかな。その……また同じ夢を見ようとしてる?」
「なんでそんなこと聞くんですか? 答えないとダメですか?」
「これ以上、淫魔に精気を吸われたらマズイことになる。魔族堕ちして、自分も淫魔になっちゃうよ」
「え? それって他人の夢に入って、その……エッチなことができるってことですか?」
「ま……噛み砕くとそうなるけど……」
「だったら、それでもいいです。それに、私、またさっきの夢が見たいんです」
「あのね……」
うーん、本当に淫魔は対応に困る。大抵の場合、取り憑かれても本人に自覚はないし、喜んじゃう場合が多いからだ。
「んじゃ、本物としてみる? 彼女にはできないけど、一回くらいならいいよ」
「広樹!!」
僕は無節操な友人を怒鳴りつけた。女の子は真っ赤な顔のまま、保健室を出て行ってしまう。僕は頭を抱えて蹲った。
「あー、もう、どうすんだよ。あの子、このままじゃ魔族堕ちする」
「もしかしたら、俺の夢の中に入りたかったのかもね。なんか分かるなー。俺も雪花さんの夢に入ってエッチしたいし」
「お前ってやつは……」
とにかく、淫魔を狩るには彼女が呼び出した所を狙うしかない。でもそれには、また目の前で寝てもらう必要がある。
「んー、俺、思うんだけどさ。彼女が淫魔ってのになりたいっていうなら、あえて助ける必要もないんじゃない?」
「それって、僕に目の前で魔族堕ちしていく子を黙ってみてろって言うの?」
「下手に狩ったりして、恨みかっても損じゃん」
広樹の言うことには一理あった。でも、それでも――――、
「そうだけど、でも……僕は放っておけないよ。あの子を助けなきゃ」
助けられるのならば、助けたいのだ。