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紫影と七変伝  作者: ドクター・減る


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第九話 異端審問と少年の神学――あるいはドン・ボスコーンとの暗闘

第一章 聖交学園の裏面――「組織」の胎動

 私立聖交学園は、表向きは敬虔けいけんなるカトリックの学びとして、その**静謐せいひつな校風を世間に示している。しかし、その厚い石壁の向こう側には、カトリック官僚主義が全世界に張り巡らせた異端審問ネットワークの極東支部、「ドン・ボスコーン連合会」**が息を潜めているという噂が、まことしやかにささやかれていた。


 その名称が、青少年教育の聖人ドン・ボスコと、E・E・スミスの『レンズマン』に登場する銀河最悪の独裁帝国「ボスコーン」を掛け合わせた、悪質な洒落しゃれであることは、情報の深淵を覗く者にとっては自明の理であった。

 学園の廊下ですれ違う教員たちの背景には、枚挙まいきょいとまがないほどの怪しげな遍歴が透けて見える。数学の教壇に立つのは、バチカンの教皇庁から送り込まれた枢機卿すうききょう直属の暗殺者ではないかと疑われる紅衣の高僧。校庭の隅で黙々と掃除に励むイタリア人修道士は、第二次世界大戦時にUボートで来日したまま潜伏した、シチリア・マフィアの「ドン」のごとき威圧感を放っていた。


 歴代の校長もまた、人外じんがいことわりを生きる怪人揃いであった。「赤鬼」と恐れられたデンジェラス神父の峻烈しゅんれつな指導を経て、日本人初の校長となった**神也かみなり**神父に至っては、その存在自体が一個の軍事機密に近い。

 元海軍士官学校出身。乗艦が撃沈され、炎上する海原で死を覚悟した際、天啓を受けて回心したという凄絶な過去。彼の説教には、福音ふくいんと共に、硝煙と潮の匂い、そして散っていった戦友たちへの鎮魂の念が混じっていた。


第二章 多神教徒の反乱――少年の宣戦布告

 これは、白井紫影が入学する以前、まだ中学生であった寺石が、この巨大な「組織」に対して仕掛けた、孤高のイデオロギー闘争の記録である。

 

 寺石は、法事のたびに大叔父から「意志による合理」の薫陶くんとうを受け、日本古来の八百万やおよろずの神をほうずる多神教主義者であった。彼にとって、キリスト教のヤハウェもまた、数多あまたある神々の中の一柱、それも極めて排他的で気難しい異国の蕃神ばんしんに過ぎなかった。

 

 ある日の宗教の時間。教壇に立つ神也神父に対し、寺石は**慇懃無礼いんぎんぶれいに手を挙げた。その瞳は、大叔父ゆずりの集中力で、網膜の桿体かんたい**細胞さえも動員して神父の表情を凝視していた。

 

 「神父様。愚考するに、聖書に記された神の所業は、慈愛というよりは、理不尽なる『たたり神』のそれに近いのではありませんか?」

 

 教室の温度が数度下がった。神也神父は、かつて水平線の彼方に敵影を捉えた際のような鋭い眼光を、少年の眼鏡の奥へと向けた。

 「……ほう。何ゆえそう思う、寺石。」


第三章 旧約の殺戮者さつりくしゃたち――情報の弾幕

 寺石は、待ってましたとばかりに、付箋ふせんと書き込みで膨れ上がった旧約聖書を開いた。それは彼にとって、信仰の書ではなく、敵の脆弱性ぜいじゃくせいを記した「デバッグ資料」であった。


 「まず、『出エジプト記』。神は、ファラオがイスラエルの民を解放しないという理由で、エジプト中の初子ういごを、王の子から家畜に至るまで**鏖殺おうさつ**されました。罪なき子供や動物を人質に取り、命を奪う。これは愛の神の振る舞いではなく、冷酷なテロリストの論理ではありませんか?」


 神父が反論の機を伺うが、寺石の畳み掛けは止まらない。


 「次に、**『列王記下』第二章。預言者エリシャが子供たちに『ハゲ頭、登って行け』とからかわれた際、彼は主の名によって呪いをかけ、森から現れた二頭の熊に、四十二人もの子供を引き裂かせました。たかが外見の揶揄ゆや**に対する報復が、幼児四十余人の惨殺。これこそが荒ぶる神、邪神の証明ではありませんか?」


 寺石の言葉は、爆圧をもって教室の空気を震わせる。


 「さらに、**『サムエル記上』第十五章。神はサウル王に対し、アマレク人を討てと命じ、『男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ』と命じた。これぞ完全なるジェノサイド、民族浄化の正当化です。そして極め付けは『士師記』**第十一章のエフタ。一人娘を焼き殺す生贄いけにえの儀式。神父様、もしこれが日本の神ならば、即座に邪神として歴史から抹殺される案件です。」


第四章 広域殲滅せんめつの倫理――ソドムとゴモラ

 寺石の追及は、さらなる破壊の歴史へと加速する。


 「そして何より、『創世記』におけるソドムとゴモラの滅亡です。」

 寺石は、真鍋博画伯が描いた幾何学的な未来都市を破壊する、巨大な光の柱を幻視するように語り始めた。


 「神は、これら二つの街の罪が重いとして、天から**硫黄いおう**と火を降らせ、街もろとも住民を全滅させました。これは情報の選別を放棄した、あまりに大雑把な広域殲滅せんめつ兵器の投入ではありませんか? 街の中に、まだ善悪の判断もつかぬ幼児や、神を知らぬ異邦人が一人もいなかったと断言できるのか。アブラハムが『十人の正しい者がいても滅ぼすのか』と交渉しましたが、結局、神が行ったのは無差別爆撃に等しい焦土作戦です。」


 さらに寺石は、声を潜めて付け加えた。


 「挙句の果てに、避難の途中で故郷を振り返っただけのロトの妻を、即座に**しおはしら**へと変えた。未練という人間的な情動を抱くことさえ許さぬ、この異常なまでの潔癖さと残虐性。神父様、大叔父が南方で亀を獲るために手榴弾しゅりゅうだんを投げた際も、そこにはまだ『食うため』という生存の合理がありました。しかし、ソドムを焼く神の炎には、慈悲を装った暴力の快楽さえ透けて見える。如何いかがでしょうか?」


第五章 絶対神の矛盾と少年の詭弁きべん

 寺石は聖書を重々しく閉じ、大叔父が**備前長船びぜんおさふね**の腹で現地民を威圧した際のような、絶対的な自信をたたえて神父を見据えた。


 「反体制即死刑。異教徒即殲滅せんめつ。……キリスト教の神は、八百万の神々の上位に立つ絶対善などではなく、中東の過酷な風土が生んだ、排他的かつ暴力的な**軍神ウォー・ゴッド**の一種である。そう断ぜざるを得ません。」


 教室は**戦慄せんりつ**に包まれ、静まり返った。

 神也神父はしばらく沈黙した後、ふっと、不敵な笑みを漏らした。それは聖職者の慈愛ではなく、撃沈される戦艦の艦橋で、最期まで敵を見据えた軍人の笑みであった。


 「……よく読んでいるな、寺石。貴様の言う通り、旧約の神は恐ろしく、理不尽だ。貴様が『無差別爆撃』と呼んだソドムの火も、艦隊指揮官の目から見れば、非情なる戦術的決断に見えるやもしれん。」

 神父は黒板にチョークで大きな十字を刻んだ。

 「だがな。その理不尽さこそが、人間には計り知れぬ**『超越者』**の証左なのだ。人間の倫理や道徳の物差しで測れるような神など、ただの書き古された教科書に過ぎん。我々は、その理不尽な奔流ほんりゅうの前に、ただひざまずくことしかできぬのだよ。」


 「……**詭弁きべん**ですね。」

 「貴様の理屈もな。」


 二人の視線が空中で激しく火花を散らす。

 寺石は、完全な論破こそかなわなかったものの、この巨大な「組織」の末端において、一矢報いたという確かな満足感を得ていた。一方、神也神父もまた、この生意気な眼鏡の少年の内に、将来、何らかの「帝国」を率いることになるであろう、歪んだカリスマの萌芽ほうがを、確信を持って見出していた。


 ドン・ボスコーン連合会の支配する学園において、少年のイデオロギー闘争は、まだ始まったばかりであった。

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