お迎え
心霊
心霊とは霊しいが引き寄せてくる、生涯、唯一人の相手。
ずーっと想っていた狼妖とまったく何もわかっていない人の娘の恋するお話です。
もちろん、ハッピーエンドでございます。
恋に恋する間もなく、どっぷりと愛されていきます。
「今日からお前は俺のものだ」
山神様であり、妖の狼である剣は人の娘である絢音に言い放った。
山間の小さな村の外れに体の弱い父と器量の良い母と絢音は暮らしていた。
貧しくとも仲良く暮らしていたのだが、村長の息子が何かと母に言い寄って来ていた。
父も母も親族と呼べるような者は既に村に居ない。
村長の息子は少し前に嫁を亡くし、器量の良い母を後妻にと狙っているのである。
しかし、父がいるので、強引に連れて行く訳にもいかず、何かと口実を作っては隙を伺っているのである。
そんな時、体が弱い父は体調の良い時にしか猟に出ないのに、無理やり、村全員での狩りと称され、朝早く連れて行かれた。
そして、山神様の麓で足を滑らせ、沢に落ち、帰らぬ人となった。
それを知らせてくれたのは、日が傾きかけた頃、山から慌てて戻ってきた隣人である。
「大変だ、旦那が足を滑らせ沢に落ちた、あの高さからだと、・・・無理だ」
一緒に行っていた、どちらかと言えば懇意にしてくれる隣に住む男が、教えてくれた。
「ええ、そんな・・・」
母は絶句するしかなかった。
「出来るだけ、あいつには気を付けるように、見てはいたんだが、ちょっとした隙に旦那は足を滑らしてしまったようなんだが・・・こんな時に言うのも酷だが、あまり、気落ちしていられないぞ」
男は小声で続けた。
「え?」
母は驚き、涙で濡れた顔を上げ、覆っていた手が中に浮いた。
「用心しないと、村長の息子がこれ幸いと、ここに来るかもしれない、旦那の側に居た俺をわざわざ、自分の前に行かせて離したんだ、もちろん見たわけではないんだが・・・、いずれにしろ、おかみさんを狙っているのは村中に知れている事だ、一度俺の家に来るか?それで今日は様子を見るか?かみさんに話してくるから」
そう言うと男は家から出て行った。
勝手口の窓から外をそっと覗くと、村長の息子が取り巻きと山から下りて来るのが遠くに見えた。
母の体は硬くなり、息を殺した。
「今日は行かないのか?」
「ああ、今日くらいは泣かせてやらないとな、もう、いつでも行けるんだから、ははっ」
遠くから聞こえてくる会話に体が凍った。
振り返って、母は絢音を見た。
絢音の手を引き、上り口に腰掛け、絢音の手を握り。
「絢音、|父様沢に落ちたって」
静かに告げる。
「うん、さっき隣のおじさんが言ってた」
絢音は今一つ腑に落ちていないような様子で答える。
「母は、山に探しに行こうと思うの、一緒に来てね」
「うん」
母は自ら死を覚悟していたのかもしれないが、それに絢音を巻き込む事に少し後ろめたさもあった。
しかし、娘を一人残して行けば、村長の息子に何をされるかわからなかった。
寧ろ、その方が辛かった。
傾きかけた夕陽の中、蓑を被り母子で手を取り山へ急いだ。
山に入った時には既に薄暗かった。
それでも、母子は固く手を握り、細い道を進んでいった。
遠くから二人を見つめる漆黒の眼が鋭く光っていた。
それにこの親子が気づく事は無い。
「この辺かしら」
母は呟きながら、暗い道を懸命に絢音の手を引き歩いていた。
山に入る事はあっても、こんな暗がりの時間に入る事は無い。
それでも記憶を頼りに細い道を奥へと進む。
「真っ暗だね」
絢音は不思議と怖さが無かった。
いつもなら、こんな暗い所を歩いていたら、暗闇の怖さで身が竦む思いなのに、不思議と、このまま永遠に歩いて行ける様な気がした。
「この辺りから沢に降りられるかと・・・」
母は、暗闇に足元をすくわれた。
「あっ!」
一瞬で道から外れて、沢へ滑り落ちていったが、その瞬間、絢音の手を離したので、絢音は離された反動で、道端に座り込んだ。
「母様!」
暗闇の山の中に絢音が叫ぶ声が無常に響いた。
残ったのは命ある森に相応しくない静けさだった。
川のせせらぎの音が聞こえてきたかと思えば、夜に蠢く生き物たちの音も戻ってきた。
だが、母は父の元へと行ってしまった。
母が落ちた沢は父が落ちた場所でもあった。
離れ難い絆が呼び寄せたのかもしれない。
そう、戻ってこなかったのは、父であり、母であった。
座り込んでいる絢音の元へ、先程から様子を伺っていた、漆黒の瞳の持ち主がきた。
「ひゃぁ」
絢音は思わず息を飲んだ。
目の前に現れたのは、大きな山神様の狼である。
ここは山神様の治める山々のひとつの山の中である。
だから、山神様がいても不思議は無いが、が、山神様はほとんど人の前に現れない。
遠くに見える事があるかもしれない、くらいである。
山神様が沢の方に一瞥すると、絢音の襟を咥え、背中に放り上げて乗せた。
「掴まれ」
一言発して、走り始めた。
自らの屋敷へと山の中を駆け始めたので、絢音は振り落とされないように、必死に目をつぶって銀色のふさふさの毛を強く掴んだ。
ゆるゆると速度が落ちていき、やがて山神様が止まった。
絢音は恐々と顔を上げてみたら、家があった。
とても大きくて、家と言うよりお屋敷の方が正しいかもしれないと思えるほどだった。
「降りろ」
狼は伏せの体勢を取り、体を傾けて絢音を降りやすくしてくれた。
銀色の毛を掴みながらすべり降りていった。
「あの・・・ここは・・・」
絢音が恐る恐る狼に尋ねると、
「俺の屋敷だ」
狼が答えた。
絢音が家の大きさに驚いて見上げていると、後ろから山神様の鼻にとんっと押された。
「ひゃぁ」
驚いた絢音が小さく悲鳴をあげた。
よろめきながら二、三歩前に歩けば、衝立のある石風呂の前に居た。
山神様に器用に帯を解かれたので、しゃがみ込んで小さく丸くなった。
「何、してんだ、その汚れた体洗わないと家に入れないだろう?」
山神様が言う。
「え、でも、そんな、」
絢音は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、せめてもの抵抗で小さく丸くなってみたが、
その目の前には狼の足ではなく、人の足が目に入って、驚いて見上げると、体の大きな、銀髪を靡かせた漆黒の眼を持つ男が立っていた。
山神として狼の姿をしていたが、自身の屋敷に戻った事もあり、人の姿の方が絢音には受け入れ易いかと思って変えた剣だった。
「ひゃぁぁぁ」
絢音は更に悲鳴を上げていた。
「そんなに驚かなくても良いだろう、さっきからずっと一緒にいるんだから」
剣が答えた。
「え?」
絢音は思考が止まった。
(山神様は大きな狼のはず、でも、さっきから?ずっと一緒?一緒?)
どう考えても似ても似つかない人がここにいる。
「どっちも同じだ」
剣はため息に交じりに答える。
「え、と、えっと、一人で入ります」
絢音は動かない頭で、一つずつ考えた。
(体が汚いからお風呂に入れって言われたから、それはそうだ、そうしよう)
回らいない頭で考えて最善を答えたつもりだ。
「届かないだろう」
絢音が一生懸命考えた答えは剣にあっけなく否定された。
「え?」
何が届かないのかわからない絢音は、着物がはだけないように抱えながら、静かに立ち上がった。
「あ、確かに」
真横にあった、石風呂は絢音の背丈に近く、山神様の言う通り足を濯いでも、その石風呂に入る手段は思いつかなかった。
「だから、足を濯いだら、抱えて入ってやるから」
剣は事も無げに当然の様に言う。
「え、い、いえ、それは・・・」
絢音は恥ずかしく真っ赤になりながら俯くばかりである、力の差から否と出来るのか不安も感じるようになった。
「面倒くせぇな」
剣は、吐き捨てるように言った。
絢音はしまったと思った。
食べられる、と思った。
よくわからないけれど、自分は山神様に連れてこられた。
そして、山神様に逆らった。
本来なら逆らえるはずなどないのである。
山神様なのだから。
『神様の言う通り』良く言われるではないか。
今は人だが、きっと食べる時は狼になるのだろう、と勝手に想像した。
妖の狼で大きいのだから、自分のようなひ弱な小娘は丸呑みかもしれない。
そう思った瞬間、固く目を閉じで、体も固く縮こまって、覚悟を決めた。
足元が温かくなった。
「熱くはないか?」
「え?」
「熱くはないか?」
同じ問いかけがされた。
剣が絢音に湯加減を聞いていたのである。
「はい、温かいです」
絢音は感じた事をそのまま応えた。
絢音は、山神様と反対の方に向かされ、着物がするりと脱がされた。
山神様の片手が絢音の腰を抑えて、肩から湯を何度か掛けられて、洗い流された。
手際の良さと驚きに絢音は声も出せずに固まっていた。
両手で腰を掴まれて、持ちあげられて、石風呂に浸っていた。
目の前に暗闇に浮かぶ山々の景色が広がっていた。
思考回路は止まっていた。
「ん?」
温かくて気持ちの良いお湯だった。
そして、相変わらず腰を掴まれているが、それもそのはず、絢音は立ったままなのである。
石風呂は思っていたより、深く、お湯は立っている絢音の胸まであった。
湯が流れている。
掴まれているのも放されるのも、どちらも怖いと思った。
「見えなければ良いんだろう?」
剣は後ろから声を掛ける。
「え、あ、あ、あの、申し訳ありません」
絢音は少し後ろを振り返りながら、小さな声で詫びた。
「お前には深いから、このまま、少し温め、体が冷えすぎだ」
剣はゆっくり座っているので、抱えたいのだが、この娘が暴れても困るし、まだ、焦る事もないだろうと、片手を伸ばして支えてやっていた。
「あ、ありがとうございます」
絢音は山神様の心使いが嬉しかった。
本当は、夜の山道を歩いて、両親が亡くなってと心身ともに疲れていた。
また、あまりの突然過ぎて、受け止めきれないでいたので、温かいお湯と心が沁みていた。
「さて」
剣が絢音を抱えたまま、石風呂から上がり、衝立にあった手ぬぐいを渡した。
「体を拭け、ここで待っていろ」
絢音に手ぬぐいを渡すと剣はさっと自分の浴衣を羽織ながら、家の中に入った。
まもなく手に浴衣を抱えて戻ってきた。
「取り敢えずこれに包む」
「?」
絢音は背中越しに剣の声を聞いているので、良くわからなかった。
「ひゃぁぁ」
絢音は剣に布で包まれながら抱き上げられていた。
「あふ、わふ」
絢音は自分でもわからない様な声が出た。
そのまま、家の中に連れられて、畳の上にそっと降ろされた。
「ここなら濡れないから、着なおせ」
絢音は剣に言われて、自分が包まれていたのが、剣の着物と初めて気が付いた。
剣がくるりと背を向けていた。
絢音は一度包まれていた着物の前を広げ、袖らしきところを見つけ、腕を通し、果てしなく長く感じる裾を大胆に折って、側にあった紐で縛って着てみた。
「あの、着ました」
背を向けてじっとしている剣に向かって、絢音が恐る恐る声を掛けた。
振り向いた剣が、低い声で呟く。
「ん、でかいな、仕方ない、歩けるか?」
なんとか着ている絢音に向かって剣が問う。
「足は、動きます」
絢音は剣の方へ試しに一歩踏み出してみた。
「今日はもう遅いから休め」
剣はそう言って、絢音を抱え上げて、別の部屋に運んでいった。
「ひゃぁ」
休めと言われたのはわかったが、歩けるか?と聞かれたので、歩いてついていくのかと思っていたので、抱き上げられて、また、驚いて声が出てしまった。
「歩けても歩きづらいだろう」
「申し訳ありません」
剣は当たり前の事をしているのに、一々悲鳴を上げる絢音に、眉間に皺を寄せた顔を向けてみせた。
そんな顔を向けられると怖さが蘇ってきて縮こまってしまう絢音だった。
抱えられたまま、襖を開けられ、衝立の向こうから寝具を引っ張り出されて、絢音は怯んだ。
布団の上にそっと降ろされた。
「お前はここで眠れ」
「え?」
驚いていると、剣はまた、衝立の向こうから掛布を出してきてくれて、絢音にそっと掛けた。
そうして驚いているうちに剣は部屋から出て行ってしまった。
一人取り残されて、絢音は呆然としていた。
「食べられなかった」
「痛い事もなかった」
「何でだろう?」
考えても答えは出てこない、そうしているうちに、色々な事が起きて疲れていたので、掛布を握りしめて眠ってしまっていた。
剣は隣の部屋で横になっていた。
「まさか、こんな形で転がり込んでくるとは、な、少し早い気もするが、ま、良いか」
剣にも予想外であった。
如何でしたでしょうか?
お気に召して頂ければ幸いです。
暫く続きますので、よろしければお付き合いください。
よろしくお願いします。
☆も良ければ・・・




