第一章三話『決意』
「……ギルドに入隊? 俺が? え……? いったいどういうこと……?」
「お前を助けたのも、その下心があったからだ」
「下心……ですか?」
「そうだ。詳細は省くが、俺達『ギルド』にはお前の中に眠る、この世界を塗り替えるほどの力が必要なんだ」
(いや、省くなよ)
ユダは突っ込みを入れた。そんな大事そうな話を省いていいのかと。しかしアルデバランはユダのことはお構いないしに話を続ける。
「大前提、俺達ギルドはアアル王国王都の警備を行う一方で、大罪教の撲滅を目論んでいる」
「──」
しれっと開示された重大な情報。それもユダをギルドに入れるためなのだろうが、あまりに唐突でユダは飲み込むのに少しの時間を要した。
空いていた口を閉ざすと、アルデバランは話を続けた。それを話半分に聞き流すことはせず、ユダは耳に入った言葉を噛み砕いていった。
「そしてギルドの敵である大罪教との戦いの中でお前の存在は必須なんだ」
「だから『ギルド』に入隊してほしってことですか...?」
分からない。
なぜアルデバランは、自分のことをそこまで買っているのか。それがユダの持っている『能力』を知っていてのことなのか。
ただ一つ。嬉しかったことがある。
ユダをあの地獄から救い出してくれたこと。そして今ユダのことを必須──必要と言ってくれたこと。
「それにこれがお前にできる最大限の手向けだと俺は思う。私見を述べるのなら、正直テロのことは忘れて生きた方が良いと思うがな。まぁそう簡単にはいかない」
今回のテロを起こした大罪教。それへの憎悪をマキとして燃やし、復讐をする。アルデバランの言うとおりギルドに入ることが、アアル魔力大学で死んだ友人たちへの手向けの方法かもしれない。
「そうですね...」
「...今の俺が開示する最大限の情報だ。もう一度言う。俺はギルドに入隊してほしい」
アルデバランはユダに無理強いをせず、選択権を与えた。当然の話ではあるが、ユダにはそれが少し嬉しかった。
自分にも価値があるのだと、そう教えてくれるような気がして。
「──っ」
しかしユダの心は揺れ動いていた。ギルドに入隊します」と、肯定の言葉が喉の奥に残って出てこない。
別に、あのテロを事前に防止できなかったアアル王国──否、『ギルド』に対する怒りでそう言えないわけではない。もう『ギルド』に対する怒りは、ユダ自身も知らぬ間に消えていた。
ならどうしてユダはギルドに入隊しないのか。それは……
「何で、また苦しい思いをしないといけないんですか……」
大罪教との戦い、それはあのテロのような惨状をまた経験することを意味する。せっかく生き残ったのにまた苦しい思いをしたくない、というのがユダの率直な気持ちだ。いくら自分に大罪教と戦える力が眠っていても。
きっとそれはユダだけではなく、大勢の人が思う一般的な考えのはずだ。
「そうかもしれないな。だが、お前がいないと救えない人が大勢いるんだ」
「ずるいですよ。そんな脅しみたいなこと...」
「そう思ってくれて構わない」
アルデバランの脅しのような言葉が、今のユダの神経を逆撫でた。ユダはあの地獄から助けてくれてアルデバランには感謝している。だが脅されるいわれはない。
正直、アルデバランの言動一つ一つにユダは腹が立った。だがこの場で、感情に流されるままにアルデバランを殴ることも、悪く言うこともできなかった。アルデバランの言うことは全て的を得ていると、ユダは魂で思ってしまったからだ。
「俺にはもう、救いたいと思う人間はいないんですよ……もうみんな死んじゃいました。だったら、このまま心を腐らせてもいいじゃないですか」
あのテロでユダは多くの大切なものを失った。学友、幼馴染、親友、数え切るのも難しい。それなのに、また苦しい思いをして見ず知らずの人を救いたいと思うことはできなかった。ユダは誰もを無条件で助けるような、「勇者」なんかではないのだから。
「それは違うな、マナ! あの娘を連れて来てくれ!」
心が荒み、少々自暴自棄になりつつあるユダの意見をアルデバランは真っ向から否定した。
そして後ろで待機していた少女に声をかける。医務室にアルデバランを呼び込んだ後、ずっと黙り込んでいたアルデバランの隣にいた桃色の少女──マナ・イハートだ。
「なんですか?」
「まあ少し待っていろ」
ユダの質問にそう言って、アルデバランは答えるのを先延ばしにするが、ユダはそれに深く言及しない。これから何を見せられても、ギルドに入隊する気はユダに一切ないのだ。
アルデバランの発言から数分後、医務室の扉が開かれる。
(え……?)
そこから現れた人を見て、ユダの瞳孔が大きく開く。そして、一度失ったものを取り返したかのように、その名をもう二度とは失わないと噛みしめながら口にする。
脳裏に蘇ったのは青い記憶だ。
幼い頃、共に野原を走り回った記憶。二人で馬鹿をして母親にこっ酷く怒られた記憶。それらの青さが頭溢れ上がった。
(嗚呼...!!)
「リン……!」
艶やかった綺麗な青髪、それに翠眼。引力に引き寄せられるように、ユダは必然的、運命的に彼女の方を見た。
あのテロに巻き込まれ死んだと思っていた、ユダの幼馴染リン・フィオーレだ。
(良かった……)
どうして生きているんだなんて発想にはならなかった。ただどうしようもなく嬉しかった。
友は死んだ。気になっていた女学生も死んだ。けど彼女はリン・フィオーレだけは確かに生きて、ここにいるのだ。
暴雨に打たれながらもリン・フィオーレという一輪の花は、まだ輝きを残しながら、そして凛として咲き続けているのだ。
「良かった! ...本当に良かったリン!! 君が生きていてくれて良かった!!」
ユダは今までとは違う涙を流した。怒りや悲しみの負の感情から出る涙ではない、嬉しさという正の感情の涙は頬をつたう。
衝動的に寝台から降りて地面を足につける。そしてふらついた足つきで彼女の方へ向かう。ユダは眩い光の下へ誘われているようだった。
「ユダ……!」
彼女も自分の名前を強く呼んでくれた。
リンとの距離が近づくと、ユダは彼女を抱擁した。人肌の温かさが今の寒いユダの芯に伝わった。
「ありがとう!! 本当にありがとう!!」
「ううん! ユダの方こそ生きてくれていてありがとう!!」
(よかった、本当に良かった……)
ユダは確かに多くのものを失った。だが、たった一つだけ失ってなどいなかったのだ。ならば、今度こそ全て失わないために。そして、もうこの悲劇を繰り返さないように、取るべき選択は一つだ。
(もう大切な者を失わないように、そして誰かが大切な者を失わないように俺は……)
突拍子もない行動かもしれない。あとから後悔をするかもしれない。けど、今のユダにはこれしか考えられない。だからユダはその言葉を口に出す。
ユダは彼女の抱擁から離れて、決意を固めた表情で穿つようにアルデバランを見た。アルデバランもまたユダと同じく決意を固めた表情であった。
「アルデバランさん、俺を……ギルドに入隊させてください!」
ユダにできるのはギルドに入隊し、テロによってアアル王国に深い傷を残した忌々しき集団『大罪教』、その戦いに身を投じること、ただそれだけだ。
「ああ、こちらこそ頼む」
向けられた太い手、それを迷うことなく握り、硬い握手を交わした。
そうユダを歓迎したアルデバランは、首筋に大きな汗が流れていた。よほど俺をギルドに入隊させたかったのだろうと、ユダは考察した。無論、人の心などユダに読める訳ないが。
「ちょ! ちょっと!」
ユダがギルドに入隊を決め、話し合いに終わりが見えた頃、待ったをかけたのはリンだ。その整った唇は微かに震えていた。
そしてその変化にユダは瞬時に気付いた。今のユダにはうまく言語化できないが、何か大きな覚悟のようなものがその双眸に宿っているのだ。
「ん? どうした?」
(アルデバランさんも気づいているだろうに……)
アルデバランのどこか白々しさを覚える行動。それにユダは不信感を募らせた。ユダだって詳しいことは知らない。しかしきっと、アルデバランもリンが何か大切なことを言おうとしていることは分かっているはずだ。
「その……わ、私を……」
リンの息が今までにないほどに荒くなっていた。こんな屈強な男──アルデバランの前であれば緊張するのは仕方ない話である。
ユダは静かに彼女の方を見ていた。
「そ、その……」
言葉が喉の奥につっかえて出てこないようだった。
リンがこの場で話そうとしていることが、今のリンにとって大切なものだということは、今から何を話そうとしているのかが分からなくても、長年同じ時間を過ごしてきたユダには感じることができる。
「ちょっと落ち着け、リン」
再びユダは、少女の名前を噛みしめるかのように呼び、落ち着くように促してから気づく。リンの整ったその美顔が、今までに見たことないほど赤くなっていったことを。
「深呼吸しよう」
息が荒くなったリンに、心を落ち着かせるためにもそう提案する。過呼吸のせいで言葉がうまく出てこないのか、リンは首を縦に振ってユダに同意を示した。
「「スゥーハァー、スゥーハァー、スゥーハァー」」
ユダと共に深呼吸を三回ほどすると、リンの顔の赤さも少し退き、落ち着きを取り戻した。
「改めて言わせてください。私を……私を! 『ギルド』に入隊させてください!!」
声は透き通り、聞き間違いを疑う余地もなくリンの決意というべきそれは、ユダとアルデバランの耳に入った。
「は……!?」
あまりにも予想外のことに、ユダの口から驚愕の声が漏れる。
「構わないぞ」
「え……!?」
そして続くアルデバランの了承に、ユダの口から再び驚愕の声が溢れる。理解ができなかった。
リンは先ほどまでのアルデバランとの会話を聞いていたはずだ。ならなぜ自分もギルドに入りたいなんて言い出したのか。
もう二度と大切なものを失わないように、そして悲劇を繰り返すことのないようにユダはギルドに入ることを決意した。
(それなのに……)
「リンがギルドに入って危ない目に会ったら本末転倒じゃないか!」
思ったままのことをリンにぶつける。過保護だと、気持ち悪がられてしょうがない発言だが、そんなことを気にしないほどの覚悟が今のユダにはあった。なぜなら、テロで多くを失ったユダにとってリンは唯一残ったものなのだから。
「自惚れないでよ!」
多くの人が見逃してしまうほどの小さな水滴を艶やかな肌に流しながら、リンがユダに対してそう叫ぶ。
リンの叫びに平手打ちを食らったかのような感覚に襲われた。
(本当にリンなのか?)
それを真正面から受けたユダは、その発言をしたのが本当にリンだったのか疑った。今までのユダの心の中でのリンは、可憐な少女といった感じであった。しかし、今のリンはそんなイメージから大きくかけ離れている。
「大切なものを守る? 冗談言わないで! 今のユダはそんなことができるほど強くなんかないよ!」
「──ッ!」
間髪入れず続けられた言葉を聞いたユダは瞠目した。
『お前は大罪教と戦ううえで必要な人材だ』。ユダを入隊させるためにアルデバランが吐いたと思われるこの言葉。それを自身が知らぬ間に、はき違えていることに気付いたからだ。あれは未来を見据えた上での発言。そして今のユダはただの一般人──普通に考えれば直ぐに分かったことだ。だがユダは、何か今の状況を変えようと焦りすぎた結果、そんな簡単なことを忘れていた。
(だったら──)
「だったらどうしたらいいんだよ! テロで多くを失った! 友人もたくさん死んだ!! けど、唯一、唯一! 生きててくれたリンを守るためには……! どうしたらいいんだよ!!」
自分で着火剤をつけて、ユダは胸の内に秘めていた思いを爆発させた。
ユダはリンのことが大切だ。それが恋愛的なものなのかは分からない。それでもリンのことが大切なのは紛れもない本心だ。
「何で私を一方的に助けようとするの! ユダが私のことを大切だと思ってくれてる様に、私もユダのことを大切だと思っているんだよ!!」
リンへの本心を爆発させたユダと同様に、リンも同じく今まで隠していた本心を爆発させた。
「──ぁ……」
空いた口が塞がらなかった。
ユダにとってそれは衝撃的だったからだ。今まで思っていたリンへの感情──それはユダの独りよがりのものだと思っていた。しかしそれは違った。リンはユダのことを大切に思ってくれていたのだ。
その事実がユダの心を少し軽くさせた。二度と傷つけまいと、そう張り詰めていた心を。
大罪教の撲滅を目論むギルドへの入隊──それは大罪教との戦いに身を投じることを意味する。そして大罪教の恐ろしさ、今回のテロによって十分過ぎるほどにこの場のものを思い知った故に、そんな危険ごとにリンを巻き込むことはしたくなかった。どれほどユダを大切だと思い、心配してくれていてもだ。
その考えを素直に伝えようとするが──、
「弱い者同士助け合おうよ! お互いのことが大切なら、二人で守り合おうよ! 今の私たちは弱い、全部を守ることなんてできない。だけど、二人で守ることくらいはできるはずだから!」
涙こもって必死そうで、それでも彼女は詰まることなく雪の結晶ともいうべき言葉をユダの耳に届けた。
ユダの思考を覗き、先回りして言ったとしか思えない発言に、ユダが口ごもる。何も言い返すことができない。弱い者同士が二人で守り合う、それができたらどれほど嬉しいだろうか。
何にしても、これだけリンはユダを大切に思ってくれているのだ。その気持ちを誰が否定できるだろうか。
(否定できる訳ないだろ……!)
「そうだな、二人で支え合う……リン!」
そしてユダも、リンの好意を否定することなど到底できなかったのだ。否、否定するつもりなんてなかった。リンの提案は心底嬉しかった。
「話がまとまったみたいだな。二人共ギルドに入隊するって言うことでいいな?」
今まで沈黙を貫いていたアルデバランが口を開く。アルデバランの言葉を聞いたユダとリンは二人で顔を見合わせた。そして──、
「「はい!」」
「よし! なら詳細を話すな」
「長かった……」
日が沈みかける頃、ギルドの隊員の寝所である寮を繋ぐ連絡路でそう呟いたのはユダだ。数十分ほどで終わると思っていた話は、数時間もの時間をかけ行われた。
「何回自分の名前を書いたことか」
ギルドに入隊するにあたって、ユダとリンは多くの書類に署名をすることになったわけだが、こんなにも自分の名前を書いたことはないだろう。
「書類をちゃんと読んでなかったよね」
「──そんなわけないだろ!」
リンに図星を突かれたユダは、顔を赤らめ必死にそれを否定する。そんなユダの滑稽な姿を見たリンは前に歩いて後ろを向く。そして──、
「ねぇユダ!」
「ん?」
「これからお互いに支え合おうね!」
「そうだな!」
仮に点数をつけるのなら百万点の笑顔を見せたリン。斜陽が二人を照らす中、ユダとリンは覚悟を決めたのだった。




