第一章二十七話『捕縛作戦完』
(みんなソワソワしている……)
いつもと食堂の雰囲気が違うことをリンは感じ取った。
現在いるのは食堂、今は夜勤がある隊員を除いて多くの人が夕食を取りにこの場所に来ている。そんな中でリンは違和感を覚えた。
違和感の原因は分かる。それは、第一部隊による『アアルの目』の捕縛作戦だ。
中には色恋をしているものもいるはずで、皆がソワソワするのも仕方がない話であった。
かくいうリンも、恋愛感情を持っているのかは分からないが、ユダのことが大変心配である。
「予定通りならもうそろそろ帰ってくるかな」
直接作戦に参加していない者にも、万が一に備えてある程度の情報は渡されている。その情報を踏まえてもう直ぐ帰って来るはずだと、リンの横に座るリリが言った。
「みんな無事かな……」
心配でご飯が喉に通らなかった。
そんなリンを見かねてか、リリが手を握った。暖かく心地良さを感じる内に、悪い憑き物が落ちていくような感覚を覚えた。
「大丈夫。きっと大丈夫だから」
それは一見するとリンを安堵させるためのおまじないのようなものだが、リンには自分自身をも安心させるようなものに感じた。
「ありがとうね、リリ。お陰で少し落ち着いたよ」
「別に気にしないで、私は副隊長として当然のことをしただけだから」
胸を張ってリリは言い切った。
その姿に頼もしさを覚えたリンは、止めていた食事の手を動かし始めた。そして口に食事を入れようとした瞬間、甲高い声が響いた。
「第一部隊帰還! 繰り返します! 第一部隊帰還!!」
「リリ!」
リンとリリは顔を見合わせた。そして有無も言わずに外へ向かった。
「待ってて! 私の旦那さんの常世隊長!!」
「勝手に自分で設定を増やさないで!」
自分が突っ込まないとリリが虚言に染まると危惧したリンは、妄言に盛大に突っ込むのだった。
「ユダは……?」
ギルド本部の大門の前、任務に行っていた隊員たちが続々と帰ってきている中、リンは一人の少年を探していた。
今にも胸がはち切れそうで、恐ろしかった。最悪の事態がリンの頭の中に暗雲のように渦巻いていた。
(いない、ユダがいない……)
アルスやフェリスのユダと仲良くしている隊員の姿が見つかった。しかし幼馴染の少年──ユダだけが見当たらない。
焦燥感に駆られ、リンの心拍数が大きくなる。
「大丈夫だよ」
再びリリがリンの手を握ってくれた。
「あっ! いた!!」
血な眼になりながらユダのことを探して、ようやく見つけた。隊列の一番後ろ、隊長の常世の背中を借りていた。
治療を受けたのか、大事に至るような感じではなかった。しかし時々見え隠れする痛々しい傷跡が、リンの心を少し抉り取った。
(傷……だけど、生きていてくれて──)
「良かった」
無事に生きていることを確認できて、リンの溜飲が下がった。少々脆くなってしまった涙腺が崩壊しないようにしながら、リンは隣の少女に声を掛けた。
「ねぇリリ」
「ん? どうした? 私はリンの彼氏君が常世隊長の背中を支配していることに殺意を覚えているけど」
いつもは常世を見ただけで大量の鼻血を出しながら卒倒するリリが、大人しく気持ちを自重していると思っていたが、やはりユダが常世の体を借りていたことを許せなかったらしい。
しかしリンは、リリ殺意をよそに質問を口にした。
「男の子って、何をしたら喜ぶのかな?」
暫し沈黙が流れる。
そしてリリは何かを理解した顔で、ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべだした。
「やっぱり……逆バニーでご奉仕プレー、いやリンの胸じゃダメか。なら出雲に伝わると言うヨバーイとやらを……」
何かを検討違いな方向に話が進んでいることをリンは感じ、リリの事を軽く睨みつけた。するとリリは、「分かった、分かった」と観念した。
(リリに相談したのは間違いだったかな……)
リンが身近にまともな人間がいないことを呪っていると、リリは唇を釣り上げた。
「やっぱり……リンがしてもらって嬉しい事をすれば、彼氏君も喜ぶと思うよ」
「そうだね……ちょっと私! 用事ができたから!!」
リンは人混みの中から脱出して、王都の街に走り出した。その姿をリリが「青春だね~」と呟きながら見ていたのだった。
「──失礼します!」
リンは勢い良く医務室の扉を開けた。もしもここが出雲なら、出雲内で言う『道場破り』だと思われていただろう。
室内は閑散としていて、消毒液のような匂いがしている。今のリンは怪我を治療しにもらいに来たわけではない。リンはここに来たのは──、
「あ! リンちゃん! ユダ君のお見舞い?」
「は、はい! そうです!」
リンが医務室に来たのは、『アアルの目』の捕縛作戦によって負傷した幼馴染の少年のお見舞いのためだ。
「ユダ君はここの寝台だよ」
「ユダ──」
案内された寝台で、幼馴染の少年の姿を見た。
「私の方で治療したから、もう直に目を覚ますはずだよ」
「そう……ですか、あちがとうございます」
「ううん、感謝なんかいらないよ。ワタシは出来ることをしただけだから。はいこれ、座って」
マナがユダの寝台の近くに椅子を持って来ると、リンは軽く感謝の言葉を述べながらそこに座った。
「リンちゃ〜ん!」
マナの間延びした声がリンの耳に入ってくる。
「どうしました?」
「ワタシ、身長伸ばすためにもう寝るね! 戸締まりはしなくていいから! あ! ユダ君が目を覚ましてもここで過ごすように伝えてね!」
せわしない様子で医務室から出て行く。「ワタシってば気遣いのできる女」というマナの小声が聞こえてきた気がしたが、きっとリンの勘違いだろう。
「……頑張ったんだね」
ユダの目にかかっていた銀の髪を、耳のほうに流してあげながらリンは呟いた。
「り……ん……?」
「うん、私だよ」
ユダの瞼が開けられ、翡翠色の眼に見られる。
起きたばかりで視点が合っていなかったが、やがて双眸がリンのことを完璧に捉えた。
「おはよう……」
ここで完璧に意識を取り戻し、ユダは上半身を起こした。
「おはよう──って言っても、今は夜だけどね」
「そうなのか……わざわざ申し訳ないないな」
「ううん、気にしないで。私が来たくて来ただけだから」
(作戦がどうだったかは聞けないな……)
無事に作戦が成功したことは、もう既にリンの耳に入っている。だが詳細については分からない。故にユダが聞こうと思ったリンであるが、流石に今のユダには聞き出せなかった。
「──ユダはよく頑張ったんだよ」
ユダが何をして、どんな経験を得たのかは分からない。けど頑張ったという事実があることだけは分かってあげられる。
伝えたい言葉は幾らでもあったはずなのに、今はそんな安っぽい言葉しか言うことができなかった。
「あ、そうだ。これ行きつけの店で、買ってきたんだ」
リンは右手に持っていたケーキの箱をユダに見せた。これはリリからアドバイスを貰った後直ぐに、
「ちょっと待っていてね。確かお皿が合ったはずだから」
席から立って寝台から離れる。以前マナとお茶会をした際に出してもらったお皿を探しはじめる。
暫く医務室内を物色して、ようやくお皿を見つけると、ケーキを切って綺麗に盛り付けた。それぞれのお皿にフォークをつけると、ユダのいる寝台の方に再び向かう。
「……ぁ」
陽気な態度でユダと会話しようとしたが、一瞬、リンの双眸に写った光景に足を止めた。そしてユダの姿を見ないように後ろを振り返った。
「泣いてるじゃんか……」
本人に聞こえないように、リンはこっそりと呟いた。本人はうまく取り繕って、本心を隠しているつもりなのかもしれないが、リンには透けすぎている。
(きっとユダは悔しくって、自分の無力さを知ったのだろうな)
けど何も言葉をかけられない。きっとここでリンが適当なことを言えば、ユダの心に傷をつけてしまうだろう。
だからリンは──、
「ユダ! ケーキ盛り付けたから食べよ!!」
「ありがとなリン」
「うん!」
今のユダが少しでも笑えるように、自分でも笑っちゃうぐらいの笑顔で、ユダと共にケーキを食べるのだった。




