第一章二十四話『捕縛作戦3』
あれから五分ほど経った頃、ユダは未だに『アアルの目』の構成員を見つけることができていなかった。
今までの人生で一番に来るほどにユダは全力で走っていた。道中で発見した人間の足の大きさ足跡を追ってだ。
(足跡は偽装したものなのか……?)
疑念がユダの中に疑念が渦巻いた。もしも足跡が偽装したもので、ユダが見当違いな方向に走っていたのなら、ユダの五分間の走りは徒労に終わってしまう。
そんな焦燥感からか、足の動きが鈍りだした。
(いや、もうここまで来たんだ。信じるしかない!)
ユダは迷いを消し去った。
迷いが鈍さを生み出すなら、例えその選択が間違いだろうとも迷わずに進むしかない。
「──っ!」
落ちている枯木を踏みつけてへし折ると、一気に加速した。
聳え立つ大樹にぶつからないように回避しながら走るユダ。
「はぁっ、はぁっ!!」
道中ユダは、新鮮な空気を取り込もうとしては失敗した。
肺に強烈な痛みを感じながら全力で足を、そして手を振り下ろして走り続ける。
「──ぐッ!」
歯を食いしばった。強烈な風圧がユダに洗礼と言わんばかりに浴びかかったからだ。風がこんなに痛くなることもあるのかと、心の中で驚きながらも足の動きを止めなかった。
その賜物というべきか、ユダは前方に人の集団を捉えた。
(見つけた!!)
ユダに背を向ける集団は『アアルの目』の構成員で間違いなかった。
自分の選択が間違いじゃなかったことに安堵感を覚えながら、ユダは声を張り上げた。
「待て! そこで止まれ!!」
逃げる『アアルの目』の構成員たちにユダがそう叫ぶ。しかし『アアルの目』はそんなユダの叫びで立ち止まってくれるほど礼儀正しくなどない。
「野郎ども気にすんな!!」なんて声までもが聞こえてくる。
(武力行使しかないか……!!)
言葉で止まってくれるのならそれが一番であったが、それが無理なら武力を使うしかないと、ユダは考えた。
そこからは早かった。
ユダはまず呼吸を整えた。それから帯剣していた剣を手元に流れるように持ってきて強く握ると、目標を定める。狙うは最後尾にいる構成員だ。
「『虎切り』!」
間合いを詰めて、渾身の剣技を繰り出す。本来は攻撃を誘発するための技であるが、今のユダにとっては最高威力の剣技だ。
それは確実に最後列にいた構成員を捉えた。
「この程度!」
鋭利な剣先が届こうとした時、どこからか飛び出してきた巨漢によっていとも容易くいなされる。続けさまに握りしていた大剣を振り下ろされて──、
「──っぶ!」
鈍い音とユダの不細工な声が混ざりながら、ユダは後ろへ大きく後退する。衝撃で倒れそうなところを踏ん張って耐えて前を向いて巨漢を視界にいれる。
服越しでも分かる筋肉を持った巨漢──、それを見て直ぐに気付く。この男はユダでは太刀打ちできない圧倒的な強者なのだと。
「ここは俺に任せて、お前らは先に行け!」
ユダの前に立ちふさがった巨漢が後ろの者にそう指示を下す。その台詞だけを見るのであれば、さながら男はまさに自分を犠牲に仲間を守る主人公のようだが、実際は違う。大罪教と結託して王都に大規模テロを起こした度し難い罪人だ。
「どうやってあの結界から脱出したのかは知らないが、この先に進みたいのなら先に俺を倒せ!」
「お前が『アアルの目』の長のディアブロか? あの地獄を大罪教と作り出した?」
立ち上がったユダが隊服について汚れを手で払いながら聞いた。その双眸には確かな憎悪が込められていた。
質問に目の前の男は直ぐに肯定した。
「あぁそうだ。だがそれがどうした小僧?」
「それがどうした……って! お前はあんな酷いテロを起こしたのに何にも思わないのか!?」
ユダは激昂した。目の前の男がテロのことを何とも思っていないことに。
せめて後悔をしていて欲しかった。無数の人を殺して建物を壊し、数多の思い出を血で侵したことを後悔して苦しんでいて欲しかった。そうしたら許すことはできなくても、幾分かはユダの心は楽だった。
「どうして!! どうしてあんなテロを起こしたんだ!?」
「そうだな……」
ディアブロは顎に手を当てて考える素振りをした。僅か数秒、その間にもユダの心の熱は冷めることはなく、熱く熱していている。
「──金が欲しかったからだ」
「──」
ユダは絶句した。あの残虐な行為に手を貸した『アアルの目』。その行動理由が金のためと知って、絶句して絶望した。
「結局金もろくに入らなかったがな」と、ディアブロの自嘲の声もユダの耳には入らなかった。
「ハハッ。死ねよ」
笑ったはずなのに、ユダの顔には笑みが浮かんでいなかった。絶え間ない水に決壊した防波堤のように、ユダの心は絶え間ない悲しみによって決壊した。
怒りか悲しみ、もしくはその両方を持ってユダは殺意のこもった剣を向けた。
「──ッ!」
ユダの剣とディアブロの大剣が鍔迫り合いを見せる。
ユダが大地を強く踏めしているのに対して、ディアブロは本当に大剣を戦闘に持っているのか疑いたくなるほどに身軽な動作であった。
「気迫に押されたが、所詮餓鬼だな」
落胆や失望した声色をしながら軽快な動作でユダを弾き飛ばした。それから流れるように男の長足で蹴り飛ばされる。
瞬時、風が切る音と共にユダは大きく後退していた。ユダの体重なんてものは無視して。
目線のディアブロが徐々に遠くなっていくのを感じるユダ。それを打ち止めにしようと地面に剣を刺して後退を止める。
「……何でお前なんかが生きているんだよ!!」
乱雑な動作で剣を抜くと、前かがみの姿勢で走り出し、再度ユダはディアブロに襲い掛かった。
「何も学ばないのか。餓鬼以下だな!!」
ディアブロとユダの実力は隔絶していた。
ディアブロは列剣流の上級剣士。
ユダは刀剣流の中級剣士。
階級でも十分差があるのに、実際に戦うと階級以上の強さの壁があることが理解させられる。それに今のユダは怒りに飲まれていて、まともな思考能力を有していない。
ユダがディアブロに勝つことはおろか、時間を稼ぐことすらできないのである。
「──ふっ!!」
ユダの目に入ってきたのは、太く強烈な一撃。強風を伴うそれは、いとも簡単にユダの胸元に到達した。
「ぐがぁ!!」
胸元で何かが砕け散る音と共に、ユダはこの場で人際大きい大樹のもとに倒れ込むのだった。
──時はユダが結界内から抜け出した頃に戻る
「おいユダ! ヘマするなよ!! もしここでヘマしたらお前の女とっちまうぞ!!」
「フェリスの相手は大変なんだ!! ユダがいなくなったら僕が困るんだからな!!」
結界によって音が遮断されるのに、アルスとフェリスが必死に結界の外にいるユダに声をかけているのを常世は、どこか哀愁を漂わせながら見ていた。
目があった少年に対して、頑張って常世は心配そうな顔をしようとした。しかしそれはできなかった。
人間性を失っていっている常世には、大切な部下の身を案ずることも許されないのだ。
常世は可愛くない人形のように、ただ無表情を貫くことした許されていない。
「……すまない」
目の前で必死に呼びかけにかき消される声で常世は呟いた。
この謝罪には二つの意味がある。
一つはユダに危険なことを任せたこと。
二つはそんなユダを無表情で送り出したこと。
(どうする?)
常世は心の雑念をすぐさまに除去して、深い思考の海に浸る。
結界に取り残された常世たちは、今はユダが持ちこたえているが、そう長くは続かないことは分かっていた。だからこそ皆、焦燥感に駆られている。
結界魔術に囚われた時の対処法は古来より決まっていて、結界を構成する媒体を破壊することである。
しかしこの結界内に媒体を見つけるのは困難だ。ならばすることは一つ。結界を内部から直接破壊をすること。
そんな無理難題を可能にする方法が常世にはある。
「これしか方法がないのか」
そう言って常世は自身の腰に帯刀している『刀』に手をかける。この『刀』は通常の武器とは違い、『魔剣』という特別なもので絶大な力を秘めている。
しかしその魔剣に呪われている常世は、それを抜刀するために『人間性の消失』という大きな代償を払わないといけない。
正直言って抜刀したくない。しかしユダが命をかけているのに、自分だけ全力を出さないのは許せないと、考えて覚悟を決める。
「……『常世』」
呼んだ名前は自身の偽名ではない。腰にかけている魔剣の名前だ。
魔剣『常世』。
五大国である出雲で一番有名な刀鍛冶が作った最強格の魔剣──それを常世は使いこなすことができず、呪われてしまっている。
しかし幾ら呪われようともこの世の悪を倒すため、ひいては人を助けるためにならば、常世は魔剣を抜刀することを躊躇しない。
「──ふぅ」
静かに息を吐いた。そして迷いなく魔剣の柄に触れる。その瞬間、脳内に忌々しい過去の記憶が流れた。
『や、やめろぉぉぉぉ!!!』 『俺には帰りを待つ家族がいるんだぁぁぁ!!!』 『もう二度とこんなことをしない!! だから命だけは!!』 『この人殺しがぁぁぁ!!!』 『殺人を楽しむな!!』
常世は脳内に直接入ってくる絶叫の声に気後れした。
(俺を呪ってもいい、人間性を失わせて最後に無残な死を迎えさせるのもいい! だが! それは今じゃない!!)
自分を奮起させた常世は過剰な程の力を持って、魔剣『常世』を抜刀した。
刀身に血の雨のように伝うのは数多の幾何学的な文様だ。それらが『常世』が形作るものだったのか、やがて剣先に集結して『それが』現れる。
鞘から漆黒の刀身が現わになる。多くの罪人を斬り、血の海を作ることができるぐらいに血を浴びてきたとは思えない、美しい刀身だ。
「──ぁ」
魔剣を抜刀した常世に、フェリスやアルスを含む誰もが目を奪われる。美しい、魔剣を持つ常世の姿はその一言に尽きる。
今いる隊員が、常世が自身の獲物を本気で使用するところを見るのは初めてであること、それを踏まえても隊員が抱く感想が同じなのは不思議なことだ。
「──すごい」
多くの隊員が感嘆の声を漏らす中、常世は極限まで集中して今斬るべきものを見つめる。
今常世が斬るべきは、自分含めた隊員を束縛している結界だ。通常なら結界の直接破壊は容易なことではない。
しかし魔剣を抜刀した常世には可能だ。
「アルス、フェリス」
常世が堂々たる様子で一歩前に出た。
声をかけられた二人は王道を邪魔しないように、常世の行く道からよけた。
その両者を一瞥もせず常世が全身を続ける。常世の目に映るのは、自分たちを囚われの身にする結界だけだ。
「──ふぅ」
理想の場所にたどり着くと、雑念を消し去るように息を吐いた。それもつかの間、常世は構えを取る。
理想の場所で理想の構え。戦闘では早々できることではないが、今ならそれができる。故に常世は全力を出すことが可能だ。
「──っ!!」
たったひと振り。
常世が行ったのは、研ぎ澄まされた一振りだけだ。
常世がそんな究極な一撃を放った瞬間、この場にいたもの全員が時間が停滞したように感じた。
静止画のように止まった世界、そこで唯一動いているのは常世の放った斬撃だ。
その斬撃が透明な壁に到達した瞬間、再び世界が時間を取り戻す。
皆がその事象を観測した次の時、遅れてガラス細工が割れたような音が響く。音よりも早い斬撃それが──。
──結界が壊した
結界の直接破壊、それがどれだけ難しいものなのかは語るまでもないことだ。それを成し遂げた常世に、第一部隊員の心の中での常世への尊敬の念が高まる。
当の本人と言うと──
「はぁはぁ! はぁはぁ!!」
「常世隊長ちゃん!?」
常世は呼吸を荒くして、地に伏していた常世。そこに血相を変えたマナ・イハートが飛び出してくる。
肩書では第一部隊の隊長である彼女であるが、実際には医務室で怪我人や病人を治癒することが多い治癒者だ。そんな彼女だからこそ、常世のことをほっとけずにすぐさま治癒魔術の詠唱を始めようとする。
しかしそれを常世が手を差し出して静止させて、立ち上がる。
常世が幼女の顔を見ると、心配で胸が弾けとぶのではないかと、そう思ってしまうほどに心配そうな顔をしていた。
(……すまない、副隊長)
彼女の優しさを無下にしてしまったことに心の中で謝罪すると、またまだ自分に体の痛さをしることが許されているのだと、安堵感を覚えた。
視線を隊員たちの方に向ける。
「結界は破壊した。ユダの元に向かうぞ」
当の本人は結界を破壊した余韻に浸ることも、治癒魔術を受けることもせずに、優先事項を口にした。
他の隊員たちは顔を見合わせる。そして常世隊長なら大丈夫だろうと、結論づけると皆が同じ反応を示す。
「「おお!」」
雄叫びをあげた隊員たちは、獣の行進のように地面を侵しながら走り出したのだった。




