第一章二十話『アアルの目』
――約一ヶ月程前、テロ実行直後の『アアルの目』の本拠地の一室にて。
「なぜだ!? もう貴様らとの約束は果たしたはずだ! なのに『約束』を反故するつもりか!?」
暗い部屋での密談、そこで男はドン!と机を叩くと、目線の先の黒いローブを着た男に向ける。男の名前はディアブロ。『アアルの目』の長だ。
「報酬は十二分に払ったはずだ」
「「……なっ!」」
黒いローブに身を包んだ男――『大罪教』の最高の幹部の一人である『傲慢の罪人』の発言に、後方に控えている二人の部下を含めて全員が驚いた。ここでの『約束』とは、先日のアアル王国のテロを行うに あたって大罪教と『アアルの目』の間で交わされたものだ。
「貴様が逃げる時間を稼げというのか!? これからずっといたずらに俺たちから犠牲者を出して!」
『傲慢の罪人』からディアブロに求められたのは、『傲慢の罪人』が完全にギルドの追手から逃げるための犠牲だ。そのために『アアルの目』は、時間を稼ぐために王都の混乱を長引かせないといけない。構成員を犠牲にしながら。
「そんなこと認められる訳ないだろ!」
「黙れニンゲン」
勢い良く言った次の瞬間、目を疑いたくなる出来事が起きた。
「……っ!」
目にも止まらない速さで、後ろに控えていた二人の部下の首が飛んだ。『アアルの目』の長であるディアブロの階級は『列剣流上級』、言わば列剣流の達人でも見ることができなかった剣撃に男は瞠目した。
「逃げる……そんな低俗な言葉を俺に使うな。それにこれは願いではない、ただの命令だ。それを理解しろ、ニンゲン」
まるで家畜を見るかのような目を向けられた男は背筋が凍るような思いをすると同時に、あることを理解させられた。目の前の男――『傲慢の罪人』は、自分たちとは生物としての格が違うということを。
「一応これを託しておこう」
そう言って『傲慢の罪人』は、黒いローブの内側から一つの道具を取り出して机の上に置く。
「これは……」
ディアブロは視線を机の道具に向けた。
「魔道具だ。魔力を流せば瞬時に結界魔術が展開される。これでせいぜい俺たちの役に立て」
魔道具の効果を聞いた男は目を見張りながら、魔道具を男の傍に移動させる。それを見た『傲慢の罪人』は、もう話すことはないと席から立つ。
「せいぜい役に立てよ、ニンゲン」
凍てつくような視線を最後に向けられると、『傲慢の罪人』は穢れた血を避けるように歩いて部屋を後にする。
「ほ、本当にあの者の言う通りにするのですか!?」
交渉とは程遠い密談が終わった直後、男以外誰もいなくなった部屋で思案を重ねる男の所にアアルの目の構成員たちがやって来る。
「ああ、そうだ」
構成員たちの懸念に片目をつむり、思案を重ねながら答えた。
「そ、そんな! あの者の言いなりだなんて!!」
「これは仕方がないことなのだ!」
男は組織の長として見誤ってしまった。男が思うよりも大罪教という組織は、世界の悪であった。その代価は自らの血で払わないといけない。
――だが
「ただではギルドには捕まらない。精一杯抗うこととするか」
『大罪教』との約束を裏切っても殺される。ギルドと戦っても勝てる訳が無い。板挟みになっても、ディアブロは抗うことをやめなかった。
「さて、これからどうするかだ」
場所は『アアルの目』の本拠地。そこで『アアルの目』の長であるディアブロは、椅子に座りながら瞑目して思考を重ねる。その部屋はディアブロの執務室と言うには、あまりにも質素で必要なものが欠けていた。そういった要素が『アアルの目』の寒い懐事情を表している。故に金に目が眩んで此度のテロに加担した。大罪教と手を組んで大勢の人を殺し、建物を燃やし、弱気な者から略奪を繰り返した。そこに赦される様子は一切ない。
(だが状況は変わらなかった。むしろ悪くなった)
略奪した物を売るにしても足がつき、ギルドにバレて即刻終わりだ。
「その代償というわけか……」
今の状況をディアブロは自嘲した。こんな悪行に手を染めていた頃から覚悟はしていた。自分が碌な死に方ができないことは。
「まあそれで諦めるほど甘くないがな」
こんなんで罪人が自首をするのならきっと世界はもっと良くなっているだろうと、自分たちのことを棚に上げながら思考を続ける。大罪教も完全に『アアルの目』を見限ったわけでない。ある程度の道具と技術は提供してくれた。渡して来た『傲慢の罪人』は終始、虫けらを見るかのような目でディアブロのことを見てきたが。
「使うならこれだな」
懐から魔道具を出した。
「結界で閉じ込めるのが安牌か」
追手のギルドの隊員たちを結界で閉じ込めることができたのなら、逃亡の時間は十二分に稼ぐことができるだろう。しかしなぜだろうか、ディアブロの体は、必死に警戒の鐘を鳴らしている。
(心配は剣王の存在だな……)
ギルドは徹底的に情報管理をしていて詳しいことは分からないが、ギルド内部には刀剣流の王級剣士がいるという情報がある。仮にそれが本当なら末恐ろしいことである。王級剣士ぐらい高位な存在となると、一国の最高戦力として数えられる。噂が本当なら、多くの国が巨額な年俸を提示して取り込もうとしてくるだろう。
「噂が立っている時点で、それに近い存在がいることは確かだがな」
なぜただの民間組織が剣王なんて強力な手札を持っているのか、ギルドに直接問いただしたくなるが、それは運悪くギルドに捕まった時の楽しみである。机の簡易的な地図に、ディアブロは木片を置いた。これがディアブロたち、『アアルの目』だ。
「目指すは共和国との国境付近」
木片を北方向に動かすと、自然と領名が目に映った。アアル王国のノースン領のさらに北側がディアブロの目指す場所、パルラミット共和国だ。。おそらくこの地点までくればギルド、そしてアアル騎士団は外交問題を考えて強く出れないだろう。それも欲を言えばの話だ。最低限の目標は王都、そしてその周囲からの脱出。そこまで行けば王都を警備する使命があるギルドは、自然的に『アアルの目』に使う人員は少なくなっていくだろう。
「そのためにも俺たちを討伐しに来たギルドを、魔道具を使って結界で閉じ込め逃亡する。煙幕の備品も十二分にあるし大丈夫だろう……」
『アアルの目』は煙幕を使った作戦を得意としている。煙幕を使えばギルドですら出し抜けるだろう。
「策は固めた! 野郎共!! 俺の手となって動け!! そうすれば安全は保証してやる!!」
全体の士気を高めるためにもディアブロは、声を張り上げながらそう言った。
「「うぉぉぉぉぉ!!!」」
構成員たちの溢れんばかりの歓声を浴びる中、ディアブロは視線を王都の街へ向けた。
「全力で来いよギルド。俺たちはここで捕まらないからな」




