第一章十七話『謁見1』
「疲れた」
『ギルド』の食堂で、そう疲労感を示したユダ。一ヶ月間にも及ぶ訓練を終えて、通常業務に携わるようになったのだが、ユダの想像以上に過酷であった。
無論、全て人の為の仕事であるので、気分は最高だが。
「俺のことを負かした癖に、こんぐらいで疲れたって言ってんじゃねぇ!」
激励──とはまた違う励まし方をしたのは、赤髪の少年フェリス。彼はユダとの戦いに負けて、今まで盗み食いしていた罰金を払って無一文となった恨みか、最近あたりが強くなっている。
「僕からしても君の体力不足は深刻だと思うけどね」
今まで黙々と食事を進めていたアルスが口を開き、ユダの体力の無さを指摘する。一ヶ月間の訓練である程度の剣術を覚えることはできたが、体力に関しては劇的な変化は見込めない。
(こればっかりは地道に鍛錬するしかないのか…)
「それにしても、僅か一ヶ月でフェリスに勝つとは。凄いねユダ」
ユダがフェリスとの戦いに勝利したことをアルスは称賛した。
「たまたまだ。フェリスが俺の能力のことを知っていたら、警戒されてあんな風に意表を突くことなんてできなかった」
あの勝負でユダが勝てた最大の理由、それは『転移』の能力だ。『転移』を使って意表を突くことができなかったのなら、フェリスにそのまま圧されて負けていた。
「でも最後は常世隊長に教えてもらった剣術じゃなくて、もともとあった能力が決めてになってしまうなんてな…」
せっかく今までの集大成を常世に見せられる機会を棒に振ってしまったユダは、心の中で少々落胆していた。
「持てる力を全て使って勝ったんだ。誇っていいんだよ」
ユダはアルスにそうフォローされた。
「ズルいんじゃないのか『能力』って?」
フェリスが不服そうな顔をしながら言った。
「持ってない人から見るとそう思えるかもしれないが、実際のところ消費魔力も多いし、結構使える場面が少ないんだ」
隣の芝生は青く見える、という言葉のとおり、無能力者にとって能力者は羨ましく見えるかもしれないが、能力者本人からしたら『能力』なんて使い勝手の悪い力でしかない。
現にユダの持つ『転移』の能力は、発動に相当な魔力を消費するし射程も短い。フェリスとの戦いで使えたのも、彼の慢心があったからで、実際の戦闘での運用はかなり厳しいだろう。
「僕も一応能力を持っているけど、あまり役に立つことはないからな…」
ユダの意見にアルスは同意するかのように呟いた。それを横目で見て、アルスの能力は何なのか考えながら食事を口に運ぶ。
『能力』について聞くのは友人同士でもあまり良しとしない行為である。
「いいなー俺も能力ほしかったぜ」
玩具を欲しがる子供のようにフェリスは呟いた。
(能力は後天的にどうしようもないからな…)
能力は生まれた直後に、体に刻まれたものだ。後天的に身につくことや、仲間が殺された怒りで覚醒して生まれることもない。
どうしようもない事実に少し、ユダはフェリスに同情した。しかし――
「能力がなくても強い人は身近にいるじゃないか。ほら、常世隊長とか」
能力を持つことが強さじゃないことを示すためにユダは、第一部隊の隊長である常世の名前を出した。
ユダの尊敬する人は無能力者でありながら、剣士として高い実力を持つ人だ。寧ろ、能力がないおかげで余計な雑念が生まれずに王級剣士なんて化物になれたのだろう。
(まぁ、そのせいで能力については一切訓練できてないけどな……)
「そいつは分かるけどよ。やっぱり羨ましいじゃねか、能力で派手に戦えるんだろ。……はぁいいな」
ため息をつくフェリスは、いつもの豪快さといったものが一切感じれなかった。いつもと違う様子に少し心配になっていると、アルスが顔を近づけた。
「――フェリスはユダに負けてから、ずっと気が落ちているんだ。まぁ馬鹿だから今みたいにご飯を食べたり、寝たりしたら直ぐに元気になるけど」
本人には聞こえないようにアルスはコソッとユダに耳打ちした。
(だったら俺が声をかけるのは良くないか……)
アルスの言葉通りにするのが一番だと思いながらユダは、止まって食事を再び始めた。量と味ともに素晴らしい食事に、舌鼓をうっていると不意に後ろに気配を感じ取った。
後ろを振り向こうとしたとき、声が聞こえてきた。
「ユダ君、食事中に悪いが少し良いか?」
「「えっ!?」」
常世が突如として現れたことに、ユダ、フェリス、アルスの三人は等しく驚愕した。
「ギルドマスターがお呼びだ。食事を終えたらギルドマスター室へ行ってくれるか?」
「分かりました。ところで常世隊長はどこから――って、いない!?」
現れたかと思えばすぐに消えた常世に、ユダは驚きを隠せない。一ヶ月間訓練を教わったものの、常世については何も分からなかった。今判明しているのは、常世が偽名であること、そして腰に差した独特な形の『刀』から、彼が五大国の一つ、『出雲』出身であることの二点のみだ。
「常世隊長の本名って何なんだ?」
常世について考えていると、一つの疑問が湧き上がった。ギルドは実力はあれど、性格に難がある曲者たちの集まりだ。素性を隠すために経歴や家名を明かさないことはあっても、常世のように偽名を使うことはそうそうない。
「――悪いことは言わないから、余計な詮索はやめとけ」
フェリスが、これまで以上に神妙な顔つきで常世の素性を探ろうとするユダを止める。
「なんでだよ?」
「何というか……ジンクスがあるんだよ。常世隊長の本名を知ろうとしたら死んでしまうジンクスがな」
「ジンクスって……」
ジンクスで人が死ぬなんて馬鹿げた話だとユダは思うと同時に、そんなものはありえないと心の底から思った。しかし、二人の反応は、そういった普通の与太話とは違うことをユダに知らしめた。
「……分かった。余計な詮索はしないよ。てか、この前あんなに酒を飲んでいたのに大丈夫なのか?」
以前の宴会の後もこの三人組の誰かの部屋を借りて宅飲みをしていた。無論、ユダは妙に真面目だからお酒を口にすることはなかったが。
脳裏には、宅飲みでべらぼうに酔ったアルスとフェリスの二人の姿が浮かぶ。あれだけ盛大に酔っていたのだから、二日酔いを心配するのも無理はなかった。
「当たり前よ! 俺様を何だと思ってる!?」
フェリスが元気にそう答え、同じくアルスも――、
「心配いらないよ。僕も大丈夫だ」
二人とも、ある程度は飲酒の量を調整できていることにユダは少し安堵した。
「なら安心だ。……ごちそうさま」
二人が二日酔いで業務の邪魔にならないことに安心すると、ユダは目の前の昼食を食べ終えた。
「昼食食べ終わったから、俺はギルドマスターのところに行ってくる」
「おう! ちゃんと盗み食いしてたの謝れよ」
「してないわ! ……二人ともまた後でな」
フ
ェリスと軽口を交わしたユダは食堂を後にした。
「俺、なんかやらかしたかな……」
ギルドマスターの執務室――アルデバランが執務を行う部屋を前にして、ユダは思案を巡らせる。アルデバランからの呼び出しに心当たりがないが故に心配だった。
「ウジウジ考えたってキリがないな。入るか」
こんなところで考えていても時間の無駄だ。そう自分に言い聞かせながらドアを叩くと、鈍い音が響く。
「どうぞ」と男の声が返ってくると、ユダはギルドマスター室に入った。
「――ぁ」
執務室に入って一番に目に入ったのは、ユダと同郷の幼馴染、リンだった。彼女とは互いに支え合うという目標を共に立て、ユダはギルドに入隊した。ともあれ、真面目なリンもギルドマスターに呼び出されているのだ。ユダが何かやらかしてギルドマスターに呼び出されたという線はなくなった。
「よぉ! ユダ! 元気にしてたか?」
「こんにちは、ギルドマスター。ええ、もちろん元気にやらせていただいています」
気さくに挨拶をしてきた男――ギルドマスターのアルデバランに、ユダも軽く挨拶を交わす。
「はは! なら良かった。とりあえず腰を下ろしてくれ」
そう言われるがままに客用のソファ―で―リンの隣!!!――に座る。
「リン、こうやって会うのも久しぶりだな」
「う、うん」
「「――」」
二人の間に沈黙が流れる。
(何か気まずいな……)
以前までは気軽に話せる間柄だったはずだが、なぜか今はうまく話せない。
「そ、その! 今日は天気が良いね!」
沈黙に耐えかねたのか、リンがついに禁断の話題――『天気』について話し出した。ここまで来たらもう終わりだ。
「そ、そうだな! リン!」
「「――」」
再び両者の間に沈黙が流れる。その間に二人は顔を見合わせた。
「はは!」
「ふふ!」
おかしくて、二人から笑みがこぼれた。
「リン、訓練お疲れ様」
「ユダこそお疲れ様」
互いを労い合い、二人はハイタッチを交わした。そしてこの部屋にはユダとリンを見る者が一人。
「随分と仲が良いじゃないか」
アルデバランが三つのコップに慣れた動きで紅茶を注ぎながら言った。
「アハハ、もう長い付き合いですからね。リンとは」
「俺もそういう間柄の人間が欲しかったよ。……紅茶だ、ぜひ飲んでくれ」
そう言いながらアルデバランは、紅茶の入ったコップをソファに挟まれている机に置いた。
「紅茶、自分で入れるんですね」
正直、アルデバランのように高位の人は、使用人のような人に雑事を任せているとユダは思っていた。
「友人が紅茶を入れるのが趣味でな、自然と俺も覚えたんだ」
ユダの正面にアルデバランが座った。さすがギルドマスターの執務室にあるソファと言うべきか、アルデバランの巨体をもソファは優しく包み込んだ。
「遠慮してないで、飲んでくれ」
アルデバランが紅茶を飲むように勧めてきた。リンは目を輝かせる。
「いいんですか!?」
「おう! 俺の秘蔵の紅茶だ。味には期待してくれていいぞ」
そのやり取りを見て、リンが紅茶と甘いお菓子が好きなことを思い出し、コップに手をかける。口元までコップを近づけると、紅茶の芳醇な香りがユダの鼻を優しく包み込んだ。
「いい匂いだ……」
香りを堪能すると次は、口元まで持ってきたコップに口をつけて、紅茶を少しだけ口に含む。その瞬間、ユダの中の紅茶の価値観が360度変化し、感想を口にする。
「――美味い」
美味い――そんな単純な言葉では言葉足らずだ。しかし今のユダには、ありきたりな言葉でしかこの紅茶の美味しさを表現できない。それが悔しい。
「美味しい……」
どうやらリンもユダと同じように思っていたらしく、その美しい口から感想をこぼす。
「美味しいだろ! 何たって王族御用達の紅茶だからな」
「えっ!?」
その発言を聞いたユダは、危うく手からコップを離しそうになる。王族御用達――その言葉から、この紅茶がどれほど高級なものかを察することができたから怖かった。
「舌を湿らせたところで本題だ。準備はいいか?」
「ええ」
ユダの頷く声は少し震えていた。あれだけ高級な紅茶を飲ませてもらったのだ。何か裏があるのではないかと、心配するのも無理はなかった。そう考えるのもリンも同じようで、額に少し汗が垂れていた。
「お前たちと会うことを望んでいる人がいてな。その人と会ってほしい」
「それって誰ですか……?」
「アアル王国第137代国王、セクメト・アアル様だ」
「――」
二人は無理解に襲われた。セクメト・アアル。五大国の一つであるアアル王国の現国王であり、若くして王位を授かった誰もが認める為政者。それを長い時間を経て理解すると、驚きが遅れて二人にやってきた。
「「えっ!?」」
ユダの思春期を経て少し男らしくなった声と、リンの少女らしい高い声が混ざった声が、アルデバランの執務室に響いた。
「な、何で国王様が私たちを……?」
「そ、そうですよ。俺たちみたいなボロ雑巾のようなものを」
しれっとユダがリンのことを馬鹿にしたが、そんなことを気にするほどの頭の余裕はない。てんやわん やな状況になっているユダとリンを見て、アルデバランは静かに嘆息した。
「順を追って話すから、少し落ち着いてくれ」
アルデバランの想像以上にユダたちが混乱していたのか、落ち着くように促す。
「そもそもお前たちは自分の立場を分かってるのか?」
「立場……?」
立場、そう言われてもいまいちしっくりこないのが今のユダたちだ。言葉の意味通りに捉えるのならば、ユダたちの立場はギルド隊員だ。しかしアルデバランが言っているのは、そういうことではないことは分かっている。
「お前たち二人が、アアル魔力大学の唯一の生き残りだ」
「――ぁ」
今まで目を背けていた事実を突き付けられて、ユダの口から不恰好な声が漏れる。周りの反応から薄々気づいていた。しかしユダはそれから目を背け続けていたのだ。だからそのアルデバランの発言は、ユダの心を――否、ユダとリンの心を鋭利な刃物で切られたかのように傷つけた。
(そんなの……)
ユダとリンだけしか、『アアル魔力大学』の惨劇から生き残っていないなんて、そんなこと信じられない。否、信じたくない。
「古傷を抉り取るようで悪いが、それが事実だ。それを踏まえた上で聞いてほしい。国王様はアアル魔力大学から生き残ったお前たち二人に興味があるようでな、テロの時のことを話してやってほしい」
テロの時のことを思い出すなんてことはユダの弱い心では到底できなかった。しかもユダはテロの狼煙となった魔術攻撃の中心地――アアル魔力大学にいた身だ。人一倍テロの悲惨さを体験している。
「アアル魔力大学の生き残りだからこそお前たちには、あのテロで一番の被害を受けたアアル魔力大学の悲惨さを後世に伝える責務があるんだ。辛いだろうが、やってもらいたい」
アルデバランは淡々とそうお願いする裏腹で、心苦しく思っていることをユダは感じ取れた。後世のため――そんな大義があるのだ。できることなら二つ返事で了承したい。しかし今のユダには無理だ。やはり怖いものは怖い。
「――分かりました。ぜひ、謁見させてください」
ユダが恐怖で返事に戸惑っている中、そう了承したのはリンだ。少女の小さな拳を握りしめている姿から、その覚悟をユダは感じた。
(だったら俺も――)
自分よりも身長が小さくて、可憐な少女が覚悟を決めたのだ。ならばユダが気後れする道理はない。
「リンがそう言うなら俺も覚悟を決めます。俺も謁見させてください」
「よく覚悟を決めてくれた。まあ、俺もついていくから安心しろ」
アアル王との謁見を決めた三日後、諸々の予定が噛み合い今日、謁見することになった。謁見のためにユダとリン二人の通常業務が休みとなり、フェリスに「サボってんじゃねえ!」なんて文句を言われた。
「すげぇ」
田舎から都会に来た田舎者のように感嘆の声を漏らしたのはユダだ。数ヶ月前から王都に来ていたはずだが、ギルドに入ってからの約一ヶ月の方が目新しい経験をしているように感じている。ユダの目の前の馬車は一目見ただけで良質なものであることがユダには分かった。貴族や王族が愛用する馬車のような絢爛さはなくとも、これまで乗合馬車にしか乗ったことのなかったユダには十分すぎるほどだった。
「そ、そうだね……」
ユダの隣で若干頬を引きながらリンも同じ感想を述べる。
「ユダ君、リン君、感想もそのぐらいにして乗馬してくれ」
ユダとリン、二人して目の前の馬車に見惚れている中、そう催促したのは常世だ。彼はギルドマスターアルデバランから直々に、今回の馬車の運転手を任されている。
(運転手にわざわざ常世隊長を使わなくてもいいのにな)
明らかな過剰戦力にアルデバランの思考能力を疑う。すると噂をすれば何とかで――、
「よぉ三人とも、準備はいいか?」
見惚れている中、アルデバランの低い声によって二人は一気に現実に引き戻される。主役は遅れてくる、なんていう言葉は確かにあるが、今のアルデバランは主役でもあるまいし、いくらなんでも来るのが遅いと感じた。しかし次の瞬間、その理由をユダは感じ取った。
「服装、いつもと違うんですね」
そう、アルデバランの服装がいつもと違うのだ。今まで会ってきた時のアルデバランの服装は一般のギルド隊員と何ら変わりのない普通のギルドの隊服であった。しかし今回は違う。アルデバランがギルドの長、ギルドマスターであることを感覚的に理解させられるものになっている。
「当たり前だ。せっかく王様に会うんだからな、勝負服みたいなもんだ」
アアル王国国王との謁見を前にして、緊張を覚えるユダには、そのアルデバランの気楽さが少し羨ましく思えた。
「勝負下着を私も着れば良かった……」
リンの小声の発言をユダは見逃さなかったわけだが、内容が内容故に心の中で、「それは違うだろう」と突っ込みを入れて済ませる。
「それじゃあ行くぞ」
常世の透き通る美声が馬車内に届くと、馬が声を上げて走り出した




