魔法仕掛けのカラクリ人形
息抜きだ
私はアンドロイドです。名前はありません。
正確に言えば製造番号がありますが、それは名前ではないとマスターに言われました。
マスターというのは私の敬愛すべき主であり、この記憶が消えるその時まで仕えるべき創造主です。
辛くはないのか?ですか。
私はマスターを補佐するため造られましたので全くの不満はありません。むしろ光栄だと言えるでしょう。
マスターは俗にいう科学者です。まあただの科学者ではなく、国から呼ばれる時でさえ頭に『天才』の二文字が並ぶほどの科学者ですが。
ですがその天才科学者も、年月の流れには抗えないようで。
「君の……名前は……?」
「ありません」
「……名前もないなんて……親は何をしているんだ……」
目の前の彼女。衰えた身体をベットに委ね、記憶の混濁が見える彼女の名は『ヴェリィ』。元宇宙帝国軍少将にして、特別研究員としても身を置いていた人物。
そして、栄華を極めた宇宙帝国を捨て、異世界へと自力で渡り、勇者の一人として世界を救った人物|です。
綺麗な蒼髪は白髪によって埋もれ、若々しかった肌は見る影もない程ヨボヨボになっていました。
170を超えていた背丈は縮み、竜をも射殺すと言われた眼光は陰っていました。
何故、彼女がこの世界へと渡ってきたのか。私は知りません。何せ、私が造られたのはこの世界に彼女が渡ってきた後でしたから。
私は上の空で天井を見つめ続けるマスターの傍に立ち、こう呟きました。
「マスター。『黎明の知識』はまだ覚えていますか?」
「……またボケてたか。私」
彼女に伝えられていた合言葉を唱えると、途端に目には知恵の色が見え、どこか緩んだ雰囲気が見る見る引き締まっていきます。
歴戦の猛者である彼女の風格が生み出す威圧感。衰えてなお、これほどとは……
久しく感じていなかったマスターの圧に気圧されていると、マスターは瞼を瞑りこう言いました、
「フェアリー、いるか」
虚空に向かってそう問いかけるのは一見すれば滑稽に見えます。がしかし、ここにはそれに応えるモノがいます。
『はい。マスター』
突如現れたホログラムから聞こえる機会音声。彼女はこの施設の管理AI『フェアリー』。私の大先輩にして、主がいた元居た世界からの相棒です。
「準備は出来ただろう?やって」
『……了。プロコトル「転生」を実行します』
転生。それは次の身体へと摩耗した魂を癒し、移し替える魂の輪廻の名。つまり。
「置いて、行くんですか」
「前にも言ったでしょ。具体的にいつかは、覚えてないけどねぇ」
何でもない日常の出来事を話すように呟く彼女の顔は、何故か酷く安心しきっていました。
――私は、まだ一緒に居たいのに。
だから私は、聞くことにしました。
「マスター」
「ん?」
どうして彼女が、要らないはずの助手なんてモノを求めて、私を造ったのか。
どうして彼女が、私に名前をつけてくれなかったのか。
「その、プロコトル実行までの間、話をしませんか?」
「…………………………………ぇ?」
知識欲を満たすため私を置いていくと言った彼女に、少しでも爪痕を残すため……いや、ただのワガママでしょうか?
なんとも言えないこの感覚は、一体なんなのか分かりませんが。
今動かないと、後悔すると感じますから。
「ここでかぁ……ここで成功しちゃうかぁ……」
「マスター?」
「……プロコトル実行までの時間は数分。だからゆっくりお話は出来ない」
「……そうですか」
そう、ですか……。
「落ち込んでるとこ悪いけど。手短に言うよ?あまり時間はないからさ」
「……?私にNパッチは適用されておりませんが」
「君が起動してないだけで、最初から内蔵済みだよ」
Nパッチ。感情を機械に与えるマスターの作品の中でも指折りの技術。
複雑な『ココロ』というプログラムを再現することはマスターであっても至難であったらしく、しかもこの技術は世界の法を揺るがすとして、使用は極力控えるようにと言われているはずなのに……
「なぜ、そんなものを私に?」
「機械ッ娘に感情が芽生えるのって、いいじゃん?」
ふざけた答え。ですが、確かな意思がそこには宿っていました。
「………………………ヒドイヒトです、マスターは」
無垢な瞳で見つめてくる彼女に、私はそう答えるしかありませんでした。
私が苦し紛れに呟いた文句を苦笑いで受け流し、ベットからムクりと起き上がると、衰え切った身体で私を抱きしめました。
まるで子供が親に抱き着くかのように、噛み締めるように。
「一つ。君を助手として造ったって言ったけど、アレは嘘。本当は一人だと寂しかったし、二人でも寂しかったから。君を造った」
「………」
「二つ。君に名前を付けなかったのは、私に縛られて欲しくないから。あの時点で、いずれこうなることは予想出来てたし」
「………」
何故、私が聞こうとしていたことを知っているのか。何故、それに答えてくれたのか。
疑問が解消されていくたびに増えていく「何故」を押さえつけ、私は彼女を抱きしめ返します。
「………」
「………」
「次は……いつ、会えますか?」
暫しの沈黙の後、口を開いたのは私でした。
「……数百年。いや、数千年後になるだろうね」
私の問いに、彼女はそう答えました。
――長すぎます。
なんですか。数千年って。そんな気の遠くなるような時間、私を放っておくというんですか。
Nパッチと適用されていると知った今、この感覚が感情から由来するモノだとは分かります。ですが、その感情の「名」は知りません。
ですが。私が今取るべき行動は、分かります。
「………名前をください。名前を与えてくれれば、我慢します」
「ボケてる間に随分と図々しくなったね。君」
そう優し気に言った彼女の顔は、満面の笑みに包まれていました
「時間だ」
彼女が呟いた瞬間。私と彼女の間に結界が張られます。
「実は、君の名前はずっと決めてあったんだ」
こちら側の声はもう届きません。この結界は外界の干渉を完全に防ぎ、結界内の状態を安定させるためのモノですから。
ですが、私は口を開いていました。
「……なんですか」
「ポラリス・ロウ・ガトリア。北極星の別名から貰って来た」
「ポラリス……」
それが、私の名前。
しっくりくるような、こないような。不思議な感覚でした。
「ポラリス。こんなに遅くなったけど、伝えたいことがある」
「……はい」
マスターの顔は、結界に阻まれよく見えません。
でも。
「いつも一緒にいてくれて、ありがとう。数千年間の土産話、待ってるから」
――笑っているのは、分かりました。
彼女が言葉を紡ぐと同時に、結界が消失し、彼女の姿がはっきりと見えるようになりました。
彼女の姿は全盛期。二十代前半の頃の肉体へと逆行していました。
彼女の魂はもう此処にはありません。それは分かっていました。
――でも。
「待つのはこっちですよ……ばかますたぁ……」
私は彼女の亡骸に泣き縋ることを、止めることが出来ませんでした。
◆◇◆
王龍歴112年。神と人との大戦が終結してから、およそ百年の年月が経った頃。
大戦に参戦していた十二人の勇者の一人。〈黎明の勇者〉ヴァリィ・ロウ・ガトリアが亡くなったことが発表されました。
享年二百年の時を経て眠った勇者に、世界の人々は黙祷の意を捧げました。
マスターの物語は、終わりを迎えました。
「これからは、私の物語です」
マスターのお気に入り……相棒とも言える斧槍を背に携え、私は歩き出しました。
マスターは土産話を聞かせろと言いました。なら、あの閉じ切った空間にいるより、旅に出て、色々なものを見て、感じて、聞くのがいいと思いましたから。
それに。
「それを楽しむココロを、貰いましたから」
こうして魔法仕掛けのカラクリ人形は、閉じられた舟から降り、世界へと旅立ちました。
旅をする彼女は各地で様々な活躍をしましたが……まあ、それはまたいつか。お話しましょう。そうですね、例えば――――
――いつか、マスターと会えるその日にでも。
戦闘モノ書く予定だったんだけどなぁ……しんみりしちゃった