「交差する視線」
日常のざわめきが、少しずつ変わり始めていた。
綾人が胸のざわめきに導かれ、学園の地下施設で暴走する能力者と対峙してから数日。事件自体は「設備トラブル」として処理され、表向きには何事もなく日常が戻ったように見えた。
だが、生徒たちの間では妙な噂が飛び交っている。
「火事の時、東棟だったけど、実は西棟の奥の方でも誰かを見たって。」
「またそれ?ポストヒューマンとか言ってるやつだろ。」
「いや、本当らしいよ。校舎の一部が封鎖されたのもそのせいだとか。」
「ポストヒューマン」という言葉が囁かれるたび、綾人の胸は少しざわついた。それは、表面だけでは収まらない何かが学園内で動いていることを告げているようだった。 そもそも、なぜ公安が学校法人内で起こっている出来事とはいえ、ここまで介入、少なくとも事件性のある要件として取り扱わないのかが不思議だった。
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放課後:「接触」
その日の放課後、綾人は学園近くの商店街を歩いていた。何をする事もなかったのだが、前日から定期的に起こる胸のざわめきが日頃強くなる感覚に、何処かにただ足を進めるしかなかった。
「おい、そこの兄ちゃん。」
低く太い声に振り返ると、無骨な中年の男が立っていた。乱暴に羽織った革のジャケット、煙草の香り。そして、その鋭い目—ただの通行人ではないと一目で分かる雰囲気を纏っている。
「どちら様ですか、というか、誰?」
「お前、最近この辺りで起きてる妙な事件に巻き込まれてるだろ。」
「?……誰だよ、おっさん。」
「俺か?俺の名前は、加賀見岳志だ。便利屋だよ。まあ、裏の調査屋みたいなもんだ。」
綾人は訝しげに彼を見つめた。
「俺に何の用だ。って言うかこんなところでこんな話して良いの?」
加賀見は煙草を指で弾き、にやりと笑った。
「こう言うところだから良いんだよ。」
「その上でな、お前が何者かを知りたくてな。」
「は?」
「こっちは依頼で動いてるだけだ。最近、学園周辺でポストヒューマン絡みの事件が増えてる。それを追ってたら、なぜかお前の名前がしょっちゅう浮かび上がってきやがった。」
綾人の胸がざわつく。ポストヒューマン、加賀見の言葉からはっきりと出た言葉。これには虚勢がなく、冷静な確信が込められていた。
「どういうことだ。」
「俺も全部は知らねえ。ただ、お前が"特別"なのは確からしい。興味深いな、坊主。」
加賀見は懐から一枚の古びた地図を取り出した。学園周辺を中心に、いくつか赤い印が付けられている。
「これが何か分かるか?」
綾人は地図に目を落とした。その瞬間、胸のざわめきが強まり、頭の中に断片的なビジョンが浮かび上がった。
「何だ…この地図は…だけど分かる…何かがある。」
「やっぱりな。」
加賀見は満足そうに笑い、地図を折り畳む。
「お前、頭では理解できていねーかも知れないけど、そんじょそこらのただの学生じゃねえぜ。だが、今はそれでいい。お前にはこれからも手を貸してもらう事になるからな。」
「……何を企んでる、って言うかお前は何を知っている!」
「俺の仕事はあくまで「調査」だ。それ以上でも以下でもない。ただ、お前が面白い材料になるのは確かだ。」
そう言って加賀見はその場を立ち去った。綾人は彼の背中を見送りながら、胸のざわめきがさらに強くなっていくのを感じた。
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屋上:リリアンとの会話
翌日。昼休み、綾人はいつものように屋上に向かった。教室の雑踏から逃れるためだ。
しかし、そこには先約、リリアンがいた。
「また君か?」
風に髪をなびかせ、手すりにもたれる彼女は微笑んでいた。
「お前、ホントここが好きなんだな。」
「ええ、静かだから。だけど君が来るのも予想してた上での行動よ。」
「……なんでだよ。」
リリアンは意味深に微笑みながら、遠くを見つめた。
「君、最近落ち着きがないね。周りから見ても分かるくらいよ。」
「別に……そんなことないだろ。」
綾人は否定しながらも、彼女の言葉に胸がざわつく。
「でも、君も感じてるんでしょ?この学校が普通じゃないって。それでその出来事に君が関与してるって。」
その言葉に、綾人はドキリとする。
「お前は何を知ってるんだ?」
リリアンは少し目を細め、一瞬だけ表情を曇らせた。だが、それはほんの刹那のことだった。
「ただ、あなたが気になるの。それだけよ。」
「気になる?どう言う意味でだ?」
「ええ!だって君、普通じゃないもの。」
リリアンの言葉は鋭く、綾人の心に深く刺さった。
「綾人君、君がどんな存在なのか、それを知りたいの。」
「お前……。」
綾人は言葉を詰まらせた。リリアンの瞳には、何か確信めいたものが宿っているように見えた。 こう言うのは苦手だ…。
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エピローグ:それぞれの影
夜。綾人は加賀見から渡された地図を見つめていた。その赤い印の一つ一つに目を向けるたび、胸のざわめきが微かに反応する。
「これは……一体……。」
一方、加賀見は雑居ビルの一室で電話を取っていた。
「ええ、接触は成功しました。坊主はまだ自覚していないようですが、何かを持ってます。」
受話器の向こうで応答を聞きながら、加賀見は机に広げた綾人の資料を見つめる。その視線には何か思惑が感じられた。
「次の指示を待っています。それまでにもう少し探ってみますよ。」
同じ頃、リリアンは夜の学園に立っていた。暗闇の中で月光に照らされた彼女の表情は、昼間の柔らかな笑顔とは違い、冷たい決意が宿っていた。
「……あなたは何を見つけるの、綾人?」
その呟きは夜風に流され、誰にも届くことはなかった。
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