星空に願いを[3]
「麻衣ー。晩御飯よ」
お母さんの声が、階段の下から駆け上がって来る。声だけが。
「はぁい」
気のない返事をして、ただPCのモニターをボーッと見つめているだけだった私は、机をパン!と叩くと、ゆっくり立ち上がった。
まだ足の痛みが残る。一歩一歩丁寧に階段を踏みながら、ダイニングテーブルに向かって歩く。
「山なんか行くからよ」
小馬鹿にしているのか、まるで悪態つくかのようなお母さんのひと言に、返す言葉もなく俯いた。
「ほら、カルシウム」
「何よもう。骨折は治ってるんだし…」
少々ずれているかもしれないけど、お母さんの気遣いが垣間見える。
私は少し笑って、サプリメントを飲み込んだ。
「仕事…珍しいわね。持ち帰るなんて」
「うん…」
長い間あまり会話もなかった。何故今こんな風に接してくるのか、その意図も分からない。
もしかしたら、足の痛みを訴えているからなのかもしれない。「山なんか行くから」なんて呆れたような口調で言うけど、それも愛あってのひと言なのかも。
そうは思うのだけど、私もまだまだ大人になりきれていないのか、素直に受け止められずにいる。
「お父さんは?」
「今日も遅くなるって。課長にもなると大変なのね」
どんな仕事をしているのかは知らないし、興味もない。私達が子供の頃から、残業やら接待やらでいつも帰宅は遅く、夕飯の食卓に顔を並べる事も稀だった。
そんなお父さんが口を開けば、「試合はいつだ?」とか、「今、何秒で走れてる?」とか。
お兄ちゃんに対しても、「レギュラーなれたか?」なんて、そんな話ばっかり。
スポーツが好きで、子供に期待を寄せているのはいいんだけど、私達にとってはプレッシャーでしかないし、特に私なんかは陸上競技をさせられてる感を拭えずに、高校2年生の夏まで仕方なく打ち込んできた訳だから…。
ちょっと、いいえ、かなり面倒くさいと感じていた。
そして、私の怪我が原因でお父さんのと仲は切れてしまった。
居ないから、帰って来ないからと言って、別に心配な訳でもなく「ふうん、またか…」なんて思うだけ。
「お母さんは、嫌じゃないの?」
縁あって結婚した人なのだから、愛がない訳ではないはずで。
「そうね。喜ばしい事じゃないけど、悪さ出来る程の甲斐性もない人だから」
長年共に暮らしていると、その程度のレベルに落ち着いてしまうのだろうか。
或いはそうなのかもしれない。恋して燃え上がるのは、きっと結婚するまでなんだろう。
だって、30年もの間ずっと恋と同じ感情を持ち、顔を合わす時をワクワクドキドキしながら待ち侘びるなんて事、出来る訳がない。
それならば、結婚するまでの愛って相当深くなければ、そこから何十年共に過ごしているうちに、きっ冷めてしまうに違いないはず。
「結婚するまでの愛情と、そこからずっと一緒に暮らしていく中で芽生える愛情はね、全く別の物よ」
そうなんだ。じゃあ、お母さんがお父さんと付き合っている間って、やっぱり燃え上がっていたのかしら?
「変な事訊くわね。うふふ…、そうねぇ」
お母さんは、少し上目遣いになって口角を上げた。そこには甘酸っぱい青春時代の思い出がありそう。
私はそんな期待をしたのだけど…。
「燃え上がった人とは続かなかったわ。お母さんね、お父さんと結婚する前に2人の男子と付き合ったのよ。でもね、お父さんに出会った時、何となくよ、この人なら私も自然体で居られるのかなって思ったの」
何言い出すんだか。そんな少し照れたような表情が窺えた。
恋の思い出って、何年経っても甘酸っぱいんだ。
私はお母さんに、少し思い切って話してみようと思った。
「あのね、お母さん。そら君って覚えてる?」
「そら君? あぁ、西山宇宙君ね? バスケ部の、背の高い子ね」
「うん。月曜日に、整形外科で偶然会ったの」
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次回「星空に願いを[4]」
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