友達と呼んだ夏[18]
足速に下る急坂道。舗装なんかされていない、獣道。
一歩一歩足を着ける度に、不安定な地表は、あたしの体を前後左右に傾けたり、ズルズルと足を滑らせる。
それでも、歩く速度は落とさない。落としたくない。
1分1秒でも早く下って、心を落ち着けたい。
麻衣ちゃんは、言ってはいけない事を言ってしまった。それは鋭い刃物のように、あたしの胸の奥に入り込み、そして切り裂くように激しい痛みをもたらした。
だけど麻衣ちゃんが悪いんじゃない。
あの言葉はタブーだけど、ちょっとした悪戯心から声に出てしまったものだ。
あたし達は、それがタブーである事を、初心者である麻衣ちゃんに伝えておくべきだったんだ。
「蛇だ」と言って、落ちている長い枝を投げたあたしに、麻衣ちゃんは仕返しの悪戯を仕掛けただけ。
分かってる。
それは分かってるよ。だけど、「熊」をネタにしたジョークだけは受け止める事が出来なかった。
笑えなかった。
急に起こり出したのだって麻衣ちゃんにとっては意味不明だし、納得いかなかっただろうと思う。
あたしだって、山岳会の先輩メンバーだし登山用品店の店員だ。
麻衣ちゃんは、あたしを頼ってお店に来てくれて、あたしの企画に乗って、今日一緒にこの山を登ったんだ。
楽しい思い出しか出来ないはずなのに、あたしがこんな態度を取っていたら、楽しくなくなってしまう。
そんな事、許されない。
だからあたしは、あたし自身を許せない。
膝がガクガクしてきた。
下りをこんなペースでなんて、本来ならあり得ない。だけど、もっとあり得ないのは今のあたしの不安定な感情。
だから…、
だから、心を整理しなきゃ。
「さっ、行こ。麻衣、歩けそう?」
「はい。歩かなきゃ駄目ですよね」
「そうね…。無理は禁物だけど、歩かなきゃ下山出来ないものね。まだ時間はあるから、休み休み行こう。辛かったらすぐに言って」
私はゆっくり立ち上がった。ユウさんに手を引かれることもなく、自力で。
足の痛みは、思いの他軽度だ。
歩果との喧嘩と、ユウさんからの説教があり、その間にかなりの時間休めたのかと思う。
休んで回復する程度だから、まだ大丈夫。
だからといって油断は出来ない。
急な下り坂。足にかかる負荷を可能な限り軽減して行かなきゃ。
あと少しって言ったところで、今日家に帰れたらいいとか、そういうものじゃない。
自ら下山予定時刻を設定しているのだから、それを過ぎてしまっては多くの人に迷惑をかけてしまう。
慎重に歩けば、悪化は抑えられそうだ。
だけど、もし悪化させてしまえば…と考えると、胸が痛み出す。
あの高校時代の不登校の一件が、脳裏に蘇る。
骨折したから学校に行けなかったんじゃない。骨折した事を根掘り葉掘り訊かれるのが怖くて行けなかったんだ。
ならば、歩く事もままならない状態で出勤すれば、また根掘り葉掘り訊かれてしまうかもしれない。
そんなの耐えられないから、明日1日ゆっくり療養して、月曜日には何食わぬ顔で出勤しなきゃ。
だからせめて、痛みだけでも取らなきゃいけない。
「小股でね。軽く前傾姿勢取って」
登りの大股はひたすら疲れるけど、下りの大股は、膝や足首に大きな負荷をかけてしまう。それは、今の私には命取りだ。
16時までに下山を完了しなきゃいけない。だから、ちゃんと歩かなきゃ。
「休憩しよ」
「はい」
ユウさんの言葉には、素直に従う。山歩きのベテランで知識も豊富だから、反論の余地などない。
足の状態がどうとかより、どうにかなってしまう前に休憩を取る事が大切だと思う。
ユウさんは、私の足の様子を見ながら上手くペースを調節してくれる。
本当は自分のペースで行くのが一番楽なのに、全て私に合わせてくれている。
だから、ユウさんの言う通りにしていれば、もう間もなく下山を完了するはずだ。
もう間もなく…。
「明王院よ。下山完了。麻衣、よく頑張ったわね」
ユウさんのねぎらいの言葉に、リュックとは別の大きな荷物が降りた気がした。
あとは駐車場まで歩いて、ユウさんの車に乗り込めば、自宅に帰れる。
だけど、あともうひとつ気がかりな…。
「お疲れ様っ!」
背後からアニメ声が聞こえて、肩に軽い感触を覚える。
「歩果…」
歩果は、ニッコリ笑って頷いた。
だけど私は見逃さなかった。感情を爆発させてしまった歩果のその目は、泣いたと分かる程に赤くなっていた。
アクセスありがとうございます。
「友達と呼んだ夏」これにて終了です。
次回「星空に願いを[1]」
更新は、X または Instagram にて告知致します。




