山に魅せられて[6]
麻衣のショッピングは続きます。
登山ウェアについての解説があります。
少々盛っているところもないではないですが、興味ある方はご参考に。
靴は決まった。
でもそれだけじゃダメよね。山で必要性のある物。他に何が要るんだろう?
「リュックは出来れば買っておきたいものですね」
「え、あ、リュックならあるんだけど…」
「今背負ってる物ですか? それじゃ、ちょっと厳しいと思うんですけど?」
今背負ってるやつ…。
雑貨屋さんで買った、ファッション性重視の物。
デザインが大好き。でも、どれぐらいの容量があるのかもわからない。
「夏の日帰り低山なら小さくていいけど、春秋は防寒着とか持った方がいいので」
防寒着って?
いやいや、私ってそんな寒い時期には…?
などという心の呟きを遮って、朝比奈さんは真剣な目を私に向けて言った。
「あのね、田上さん。防寒着を舐めちゃダメですよ」
ドキッとした。
防寒着を舐めてるんじゃない。きっと私は、山を舐めてるんだ。
それは、朝比奈さんの目を見れば、言葉を聞けば、分かってくる。
「山の気温ってね、100m上がると1℃近く下がるんですよ。銀閣寺辺りと大文字山の山頂は350mぐらい標高差があるの。例えば市内で20℃あったとして、山頂では17℃ぐらい。20℃と17℃の服装の違い、考えてみて?」
17℃なら薄手の上着を羽織るぐらいだろうか。だけど、我慢できないこともないと思うんだけど…。
だけど、山のプロが言うのには、絶対的理由があって。
「汗、かきますよね? 山頂まで上り坂歩いて。その汗が滲みた下着は段々冷たくなってきて、体を冷やすんです。そこに風が吹いたら、どうなります? 風が通る通らないで、体感は全然違うんですよ」
ふと高校時代の体育の授業を思い出した。
冬、決まり事のように持久走なるカリキュラムが組まれている。
準備体操なんて寒くて体が震える程だけど、実技即ち走り出すと、体は温まり、全身に汗が溢れ出す。
だけど、走っているうちにほてりは感じなくなり、ジャージに滲みた汗は徐々に冷やされていく。
それを冷たいとか寒いとか感じた訳じゃないけど、授業が終わってもグラウンドに居ると、本当に寒い。
これを私達は、当たり前の事として感じ、そういうものだと捉えていた。
そこに対策なんて、考えもしなかった。
「同じ原理ですよ。20℃っていう気温は低くはないけど、かいた汗が冷めてきた時には気温は3℃下がってるんですもの」
なるほど同じだ。
朝比奈さんの言う事は、凄く納得出来る。
こんなところまで意識しておかないと、とても辛い目にあってしまうかもしれない。
でもちょっと待って…?
「上着持ってても、汗かいたインナーは…」
「着替えます? 山で。キャハハハ!」
―は、恥ずかしい! そんな事出来る訳ないじゃん!!
朝比奈さんは、笑いながら棚に並ぶTシャツを取り出した。
「そこでですね…」
「速乾性素材のインナー???」
「ええ。今はどのメーカーからもいろんなの出てるし、ファーストファッションのブランドでも速乾性素材ありますよ」
「あの、あれですよね? エア…」
それなら私、夏場は愛用している。というか、外せない逸品だと思っている。
だけど朝比奈さんにかかれば、ひと言で斬られてしまう。
「でもあれは接触冷感でしょ? 肌に触れたらヒンヤリするじゃないですか。でも例えばこれなら、体冷やさずに汗だけを放出してサラッとしてるんですよ。ほら、触ってみてください」
―え!?
何だかドキッとした。
いやだ私、何考えてんの? 朝比奈さんに触れるんじゃなくて、手に持ってる服を触ればいいんじゃない。
朝比奈さん、そう言ってるじゃん。
だけど手渡されたその時、私の手と朝比奈さんの手がそっと触れた。
柔らかくて、速乾性素材インナーよりサラッとしてる気がした。
なぜ? 少し気が遠くなった。
今まで感じた事のない触感。
自分だって女子なのだから、同じような手をしててもおかしくはない。
なのにこの違いは何?
自分のそれと他人のそれは、こんなにも感覚が違うの?
得体の知れぬ感情。何か先入観みたいなものが、そう思わせるの?
ホント何考えてんの、私……。
アクセスありがとうございます。
次回、「山に魅せられて[7]
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