友達と呼んだ夏[10]
初めて見る「登山届」に、谷山さんはサラサラと必要事項を書き込んでいった。さすが手慣れたものね。
「あ、あれ?」
名前の欄が2人分しかない。3名以上の場合、裏面を利用するというんだけど。
「あたしが年下だから、裏でいいよ」
「私が初心者だから、裏よぉ」
うん、まぁ、どっちでもいいんだけど。
っていうか、私なんて裏でいい人だと思うんだけどな。1人差し置いて表っていうのも気が引けるわ。
歩果ちゃんは、どう捉えてるんだろう。
「何でもいいから、考えすぎっ」
って事か。
「本当はね、ネットでも出来るの。大文字山とか伊吹山は、私とか山岳会で届けを出してるから、麻衣はこんなの見るの初めてでしょ?」
そう。初めて見るわ。
谷山さん、折角だから私にいろいろ教えようとしてくださってるんだ。
仕事でもプライベートでも、本当に気遣いが行き届く人だ。私もこうならなきゃ。
その時…。
歩果ちゃんは、私達とは少し違う面持ちで、届の用紙を見ていた。
気のせいかな? どこか淋しげにも見えたのだけど。
「歩果ちゃんも、もしかして初めてなの?」
そう訊いたのは、不束だったのかもしれない。何故か歩果ちゃんは、力なく「うん」と、縦に首を振った。
谷山さんは、歩果ちゃんの肩を軽くポンと叩いた。
歩果ちゃんは、それに応えるかのように笑顔を作って顔を上げた。
「計画、出来ました?」
山岳会代表で店長の山崎さんが、ひと通り仕事を片付けた後、私達の会議の書類を覗き込んだ。
「これでどうですか?」
谷山さんが山崎さんに、登山届を手渡して見せると、山崎さんはじっくり見て、
「もう少し時間取ってもいいかもね」
と言う。
それは初心者である私の歩行能力が未知なため、ゆとりを持ってという事のよう。
「そしたら…」
計画では、下山を15:00としている。
夏なのだから、日も長い。明るい内に下山するのは必須だけど、予定時刻をもっと遅く、例えば16:00としても良いのでは? と、山崎さんは言った。
初心者だから1時間遅らせる。
これについては、予め考えておく措置なのかもしれない。だけど何となく悔しいと感じてしまう。
「そこが落とし穴よ。初心者さんは、あくまでも初心者さん。無理しないで会長の意見、取り入れよ、ね、麻衣ちゃん」
それはもちろんそうなんだけど…。
「初心者、初心者…って言ってごめんね。だけど、当然だけど田上さんの歩行能力は誰も分からないし、ましてや慣れていなければ、本人でさえもどれだけ歩けるかは分からないでしょう? それとね、ガイドに載ってるのは、休憩を省いた所要時間なんだ。だから、初心者さんこそ無理な計画をしがちなんだよ」
言われなければ納得出来なかった事。
無理のない行程というのは、ただ平地を歩くよりもさらにゆとりを持つ事。
予定より早く下山するのは問題ないけど、遅くなれば、多くの人達に心配や迷惑をかける事になりかねない。
だからと言って遅く設定しすぎるのも駄目で、計画より多少遅れても、日没までには下山を完了していなければならない。
「人を山に合わせるのは駄目で、登山者のレベルに合わせて山を選ぶ事。谷山さんは、そこはよく理解してくれているよ。ただね、思っている以上に時間ってかかるものなんだ」
「そうなんですね。私も、計画はいつも誰かにお願いしてるから、そこは分かってなかったなぁ。山崎さん、ありがとうございます」
ともあれ、登山届も作成したし、これを関係各所に提出すれば…。
「ご家族にも渡した方がいいね。何かあってはいけないけど、何かあった場合には役に立つからね」
確かに。
だけど、家族って聞いて一抹の不安を感じた。
足の怪我以来、家庭が崩壊気味。
お兄ちゃんの失跡、私の登校拒否は、今も家庭内で不和として燻っている。
初心者レベルとはいえ、紛れもないハイキング。この足に後遺症を抱える私。登山届など、両親は受け取ってくれるんだろうか?
アクセスありがとうございます。
次回「友達と呼んだ夏[11]」
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