友達と呼んだ夏[5]
剱岳登山への恐怖。
歩果が聞かされた、脳裏に渦巻くそれを、今回は綴ります。
スポット名と管理事務所の名称は実在。
山小屋は名称を変更しています。
本当はあたし、山なんて大嫌い。
山は楽しい思い出に溢れている。だから大っ嫌い。
だけど、図らずもあたしは、山とは切っても切れない縁になってしまった。
尚哉は、登山家を夢見て青春時代を突っ走ってきた。
何でそんなに山に登りたいのか分からない。高山植物が好きとだけは聞いている。だけど、山は尚哉の青春を通り越して、“生き様”と言えるものにまで成り上がってしまっている。
日本最高峰・富士山…?
違う。尚哉の目指すものは、世界の頂点だと思う。
だからこそ、登山道が整備された富士山ではなくて、難易度日本最高レベルの剱岳なんかに挑むんだ。
そこには、途轍もないリスクが待ち受けているというのに。
「ハァハァ…ハァハァ…」
「どうした? 亮…」
「ちょっと…息苦しくなってきた」
リーダーの山崎直樹さんは、パーティのメンバーである岡崎亮の異変に素早く気付いた。
岡崎亮…。
佳代ちゃんの弟さんだ。
あたしは、佳代ちゃんをお姉ちゃんとして慕うように、亮くんにも「亮お兄ちゃん」と言って甘えていた。
そんな亮お兄ちゃんも、山に魅せられたひとりだった。
「何だ? 酸欠か?」
「いえ、申し訳ないっす。ちょっとだけ休ませてもらって良いですか?」
前剱に向け、別山尾根ルートのガレ場を登る。
2000mを超える標高。既にこの酸素濃度の薄い中を、丸1日過ごしている。
標高2420mに在る室堂からスタートし、2750mの別山乗越まで、所用時間はおよそ3時間。
そこから、剱岳へ向けた最後の山小屋・剱山荘を過ぎると、またガレ場を登る。足を取られながら、標高差350m程もある前剱へと進む中、亮くんは体調不良を訴えた。
その症状は言うまでもなく酸欠。亮お兄ちゃんは道端に座り込み、バックパックから酸素ボンベを取り出した。
高山病?
特に標高の高い山では、低酸素環境に体が順応せず、頭痛や吐き気などの体調不良を起こす事があると聞く。
パーティーの中では若手の亮お兄ちゃんだけど、その若さ故に先輩達を気遣い、通常より運動量が多くなったのが体調不良の原因じゃないか? というのが、のちに医師に問い合わせてみた診断結果だった。
「下りるか…」
「いいえ、ちょっと息が上がっただけです。頭痛とか出てないので、まだ行けるはず…」
「駄目だ。そんな症状が出だしたら、お前の命が危険だ」
その様子を後から見ていた尚哉は、一つの提案をした。
「少し戻ったら、山小屋があったじゃないですか。亮、そこで休ませてもらって、体を慣らそう」
「剱山荘か」
「すまん、尚哉」
「よし分かった。藤野…藤野!?」
山崎さんは、前を行く藤野さんの異変にも気付いたそうだ。
「どうした? 藤野」
「みんなあっ!! すぐに下れえっ!!」
「どうした!?」
「ら、ら…」
「落石か!?」
「はいっ!!」
「「ラクーー!!」」
山崎さんと藤野さんは、大声で落石を知らせる声を上げた。
その声に続き、他のパーティーからも声が上がった。
「亮! すぐに下るぞ!!」
「は、はい…」
―ラクーーー!!!
徐々に地鳴りが発生しだした。本当に危険な状況に陥ってしまったパーティーは、体調の悪い亮お兄ちゃんを引き摺るように山を下り始めた。
「頑張れ! 亮」
「俺は大丈夫だから、みんな先に避難してくれ」
「馬鹿野郎! まだ間に合う。頑張るんだ!!」
足元には、既に小石が転がり落ちて来ていた。もう声を発している暇もない。
亮お兄ちゃんも、僅かな体力を振り絞って立ち上がった。
地鳴りはさらに大きくなり、地表を震わせた。
「うわぁーーーっ!!!」
「危ないーっ!!」
直径1mもあろうかという大岩が、尚哉と亮お兄ちゃんを掠めて落ちて行った。
足がすくんだ。
恐怖のあまり、全身が震えた。
辛くも難を逃れた4人は、尚哉の言った剱山荘に辿り着くと、雷鳥沢のベースキャンプからこのアタックを先導するガイドの筒井さんが、スマートフォンアプリで無事である事を『中部山岳国立公園立山管理事務所』へと伝えた。
「先行する他のパーティーの方が、怪我をしたらしい。今回は…」
「中止ですね。岡崎君と生田君も、残念だけど…」
「はい。また次がありますから」
京都ベルグ山岳会パーティーの、この日の剱岳アタックは、失敗に終わった。
皆、命が繋がっている事を感謝せずにいられなかった。
アクセスありがとうございます。
次回「友達と呼んだ夏[6]」
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