山に魅せられて[5]
「今度ね、職場のみんなと大文字山に行く事になったの」
「珍しいじゃないですか。そんな近場で」
「うん。初心者さんも居るし、そうね、コミュニケーションが目的かな。それでキツいとこ行っても…」
「あははは! それどころじゃなくなりますね」
朝比奈さんと谷山先輩は、そんな話をしていたのだって。
まさかまさか!
朝比奈さんと谷山先輩、繋がっていたのね。
それは私にとって、都合が良いのか悪いのか。谷山先輩は、他人の事をペラペラ喋る人じゃないと思うし、だったらきっと、朝比奈さんがいろいろ訊いてくる内に私の名前も出たのだろう。
兎に角私、朝比奈さん目線で見れば「まさかぁ! 谷山さんって、あの田上さんと同じ職場なのぉ!?」ってとこだろう。
「まず、ちゃんと持っておきたいのは“靴”ですよ」
「ですよね。でも、登山靴っていっぱいありますよね? 何がどう違うのか…」
「だからぁ、ショップにアドバイザーが居るんですよ」
朝比奈さんは、自分の鼻の辺りを指さして自信たっぷりにそう言った。
ここに来れば、山やアウトドアの事を一から十まで教えてもらえる。
あのイケオジ・市川さんはじめ、山のエキスパートが何人も居るのだから、的確なアドバイスで自分の1足を手に入れる事が出来るんだ。
この人も、私と同い年か少し年下かもしれない感じだけど、お客様にアドバイス出来る程の経験値と知識を持っているのね。
「あ、あの…もしかして朝比奈さんも、険しい山とか行かれるんですか?」
何だこの質問は?
朝比奈さんは、一瞬困った表情をした…と思う。
思うだけだ。本当に困ったのかは分からない。でも、間違いなく言葉には詰まった…はず。
「あ、あ…私は…そんな険しい山は無理です。でも、蓼科山って分かります? 長野県の…」
知らない。
私なんて、全くの素人。初級にも至らないのだから、どこにどんな山があるかなんて分かりっこない。
「い、いえ、初耳で」
「長野県の真ん中ら辺かなぁ。女神が住むって言われてるんですよ! 私みたいな…キャッハハハ!」
返しに困る。
確かに女神のような美しい容姿をしている。それだけに、余計に言葉を返せない。
ただ、これほどまでに素敵な容姿を持ちながら、彼女の話し方や笑い方は少女のようだ。
もっと言うなら、声もアニメチック。
悪い意味じゃなく、逆に癒されたりする。
おまけに小柄ときた。世の男性達って、弱いだろうなぁ、こんな子には。
「じゃあ、靴選びましょうか。足、見せてもらっていいですか?」
急に仕事し出す。
そのテンポについて行けない私だけど、朝比奈さんと話すのってとても楽しい。
きっと私とは全く違うスタンスで生きているのだろうけど、それ故に? いいえ、彼女が醸し出す雰囲気と、彼女から放たれる空気感が私を包み込んだ瞬間、何を考える間もなく私は彼女…朝比奈歩果に惹かれ始めている。
そこに理由なんかなくて……。
「田上さん? 田上さん!?」
「え? あ、はいっ!」
「もうやだぁ。何ボーっとしてたんですか? エヘヘ。まずはこの靴履いてみて下さい」
朝比奈さんが手にしている靴。
サイズしか言っていないのに、彼女はすぐに1足の靴を持ってきて言った。
「え? これ…」
「この店ではね、これを標準としてて、これを履いてもらって合わない部分を修正していくんです」
「靴を? 修正???」
「ええ。例えば幅が狭いってお感じなら、もう少し幅の広いモデルに代えてみたりとか」
そういう事か。
凄く分かりやすい。これは確かに合理的だわ。
「どうです?」
「もっと可愛い色のってないですか?」
「この際色は関係なーし! 足に合う事が第一条件ですよっ」
はい、ご尤も。
こんな私だから、新しい靴を買ってもすぐに履かなくなる事が多いんだわ。
「よく言われるのは、親指から土踏まずの…この辺にかけての幅なんです。ここが合わなかったら、大きいと靴の中で足が安定しません。逆に小さいと、足が痛くなります。少々キツくても街歩きは出来るけど、山では致命的なんですよ」
朝比奈さんは、私の足をなぞるように指先を滑らせた。触れてはいないのに、くすぐったい気がして笑いそうになった。
だけど、言っている事は確かにそうだと思う。私だってアパレル業界の人だ。直接靴には携わっていないけど、知識はインプットしてきたから。
「足の甲から足首の辺り、もう少し締まった方がいいかも。指の付け根はいい感じかな」
「かしこまりました〜。ではこちらでいかがです?」
「色が…」
「何ですとっ!?」
―あはははははは!
靴選び、苦労されてる方も多いんじゃないでしょうか。
実は私こと日多喜瑠璃もそうで、長さは普通なのに若干外反母趾の傾向があるようで、仕方なく大きめの靴を履いています。
選び方については、歩果の説明が皆様の靴選びの参考になれば幸いです。
アクセスありがとうございます。
次回、「山に魅せられて[6]
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