恋をしてみたかったあの頃[11]
チョコレートという名のこの魔法の玉。さらに1つ体に吸収すると、その袋の口を閉じて、私は再びミシンに向かった。
カタカタという音だけが響く部屋。その静かさの中で、ふとよぎる不安。
あの子が、もしあの子が夏休みの間に、本当に太ってしまっていたら…?
何でそんな夢見たのか分からない。元々適当にサイズを決めているだけなのだから、サイズに対する不安は持ち続けてはいる。
着てもらえるのかどうか。
夢の本質は、そこにあるんだろう。センスのなさや出来の悪さを、サイズのせいにして逃げようとしているだけなんだ。
「余計な事を考えるから、前に進まないのっ!」
そう声に出して自分に言い聞かせ、目の前の華やかな生地に糸を通していく。
巷では、既に夏休みも終わっていると言う。なのに私は、自宅療養という名目の下に学校を休んでいる。
行きたくないんじゃない。この足さえ何とかなれば。
そんな風に、自分自身に対して強がってみたりするけど、正直なところ、学校の賑やかさから逃れ、この部屋でのんびりと、やりたい事をやっている今が愛おしかったりもする。
「麻衣。戸田先生、来てるわよ」
階段の下から、母親の声が聞こえる。そっとドアを開け、壁に隠れて覗き込むように、玄関に目をやる。
「何で? 担任でもないのに」
「そこはアンタ…」
失礼な事を! とでも言いたかったのだろう。でも母親は、言葉をそこで切った。
陸上部顧問の戸田先生。
夏休み明け初日から休んでいる私を心配して、わざわざ来てくれたと言うけど…。
「いいわ。部屋に来てもらって」
少し疑問符が付くものの、せっかく来てくれたし、この際はっきり言いたい事を話そう。
そう思って身構えた。
「麻衣、開けるわよ」
「どうぞ」
部屋のドアが開いた。
ミシンに向かっていた私は、椅子を回転させてドアの方に目をやった。
「田上…」
その刹那、とても悲しげな声が聞こえたと思う。いえ、悲しげなのか?
戸田先生は、私の顔と私の足とミシンを、何度も何度も三角形を描くように繰り返し見た。
情報量が多かったのだろうか。先生は言葉を失っていた。
「先生…、私…」
自分でも何を言おうとしたのか分からない。
ただ、目頭が熱くなった。
「もう…」
「走ら…ないのか?」
辛いリハビリをして、苦しいトレーニングに耐えていけば、きっとまた走れる。
怪我をする前の状態に戻るかどうかは別にして、またいい成績を残す事は出来るだろう。
先生は、そう言いたかったのだと思う。
「走り…ません」
「そうか…」
少し言葉を飲み込んだあと、先生はゆっくり話し始めた。
「何を選択するかは、自分自身で決める。それでいいんだよ。先生はね、最初から知っていたんだ。田上が陸上をやめたいって事。だけど、周りの期待が大き過ぎたから…」
それも分かっている。だけど…、
「言えなかったんだね。期待に応えなきゃなんて思って。こんな怪我までしなきゃ、誰も許してくれない環境があったのは事実だよ。すまなかった。先生の指導力のなさが、田上を苦しめてたんだ」
そうじゃない。そうじゃないの。先生が悪いのでもなくて、お母さんが悪いのでもなくて…。
「言えましたよ。辞めるって事は」
「そうだね。言い辛い環境だったと思うけど、確かに言えたね」
そんな短い会話を交わすと、また私はミシンに向かった。
「服。作りたかった服、作ってるんです」
「速報うか。頑張れ」
「先生…」
「ん?」
「私、学校行きますから。明日は無理でも、来週には行きたい」
「あぁ…待ってるよ」
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