恋をしてみたかったあの頃[3]
家に帰れば、今度は母が驚いた。
まさか陸上部を辞めたいなどと言うとは、思いもよらなかったらしい。
そりゃそうだ。これだけの力を発揮している訳だ。きっと、熱心に打ち込んでると思っていたはずなんだから。
「何で? 何かあったの?」
突然こんな事を言い出すのだから、きっと他の部員と上手くいっていないとか、そんな事を想像したんだろうと思う。
「麻衣…折角の才能がもったいなくない?」
これだ。
別に母が悪いとは思っていないけど、“才能”という漢字2文字に翻弄されてしまっている感は否めない。
俊足=陸上部。そしてその当該人物である私こと麻衣は、オリンピックとは言わないまでも全国大会出場の夢ぐらいは持っているだろう…と。
とんでもない!
そもそもの事を言ってしまえば、私…、
争う事が大嫌いなんだ!!
母は、何で涙ぐむんだろう。
私の事、今まで何も分かってなかったの?
「嫌なら嫌って言ってくれれば良かったのに…」
確かに誰にも言ってないかもしれない。
でもお母さん。私って、「嫌」って言えない人でしょ? それは知ってるでしょ?
今ここで陸上部を辞めたいって言ったのは、もう決死の覚悟よ。
部活の話をする度に曇っていたはずの表情、この胸の内、汲み取って欲しかった。でもそれは甘えに過ぎなかったのね。
「陸上部辞めて、それからはどうしたいの?」
「洋裁とかデザインの勉強…。服飾よ」
「えええっ!?」
そんな大袈裟な。別にそこまで派手に驚かなくてもいいと思う。
やりたい事があるって言うのには、変わりない。それがスポーツからファッションに変わるだけじゃん。
え? やっぱり驚くかしら。
「でもそれね、お父さんにも相談しようね」
母は言う。もちろんそのつもりだ。
単なる趣味じゃなくて、これからの人生の選択になるかもしれないから、話しておくべきだ。
だけど、それは言うまでもなく私の人生。だから否定だけはしないで欲しいとも思う。
「でもね、麻衣。その足の速さは何かに活かせないの?」
な、な、何に活かせと言うの?
「スポーツウェア作るとか…」
あぁ…、もういいわ。
そうこうしているうちに、玄関のドアが開く音がした。父が帰って来たのだ。
母は、「大変! 大変!」と叫びながら玄関へ走って行く。
走る程の距離もないのに、ドタドタと音を立てて。
「いいじゃないか。麻衣が好きなようにすれば…」
母の慌てように呆れ果てたのか、とても面倒くさそうな声が聞こえる。
まぁ、面倒くさいんだろう。
そう思った刹那…、
「なんだってぇぇええ!?」
―おいおい、茶番かよっ!
そんなツッコミもそこそこに、晩御飯も済まないうちから説教が始まった。
説得ではなくて、説教だ。
そして、説教が始まると決まって出て来るこの言葉。
「お兄ちゃんは、大学でも野球頑張ってるぞ」
いえいえ、お兄ちゃんは関係ないし。
私には、3歳違いの兄が居る。
野球が好きで、野球の名門校に入りたいが故、高校1年生から家を出て遠い町へ行ってしまった。
私は兄の事は好きではない。どちらかというと嫌いに近い。
妹の私を女子として見ていないし、度が過ぎる悪戯で怪我させられたし、言葉使いは下品だし、汚れて汗臭いし足も臭い。
そんなだから、余計にスポーツに熱中する人が嫌だったのかもしれない。
なのに兄が私をいじめるから、仕返ししてやろうと追いかけた。
野球少年の兄を何度も何度も追いかけ回し、知らず知らずのうちに脚力が身に付き、それでも追い付かないから体育の先生に走り方を教わった。
そして変に足が速くなったがために、結局私までがスポーツをするハメになってしまったのだ。
もうそんな青春なんて要らない。
私には私の青春があり、夢がある。
自分の人生は、自分で切り拓いていきたいのだ。
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