瞼を閉じれば [8]
どこまで行こうか。いや、どこまで行けるんだろう。
小銭が¥300ある。
学校の帰りに買い食いするための、わずかなお金。
たったこれだけで行けるのは、せいぜい8区間。終点の鞍馬には行けない。
電車はとある大学の最寄駅に停まった。
周りに居る学生と思しき面々が、一斉に動き出した。座席に座る人達も立ち上がった。
そしてドア横に居るあたしを取り囲むように集まる。息苦しささえ感じる。
電車のドアが開くと同時に、この人達はあたしの目の前で渦巻くように、電車の外へと流れ出す。
その勢いが怖い。
あたしはその激流に流されないよう、また手すりを両手で掴み、俯いた。
この駅で降りる事は出来なかった。
「次で降りなきゃ」
小声で呟く。
所持金で乗れる区間は、次の二軒茶屋まで。そして、ここで降りたとて、帰りは電車に乗る事なんて出来ない。
―歩けば何とかなるから。
「二軒茶屋、二軒茶屋です」
さっきまでの混雑が嘘のように閑散とした車内。
デジタル音声が、駅に到着する旨を案内する。
「降りなきゃ…」
頭の中で、下車する自分を思い描く。なのに両手が、ガッシリ掴んだ手すりから離れようとしない。
「降りなきゃ…」
同じ言葉を繰り返してみる。だけど、あたしの手は手すりに張り付いたまま。
「降りなきゃ…あぁ……」
そしてドアは閉まった。
走り出した電車。車内には、わずか数名の乗客が居るだけ。さっきまで大学生がひしめき合っていたはずの座席。目の前のそこには、誰も居ない。
体力は充分あるのに、立っているのが辛くなってきた。空席の目立つ車内で立っているのも変だと思い、座席に座る。
窓の外は、徐々に山深く変化していく。
座った途端、淋しさにも似た、それでいて何にも喩えようのない感情が溢れてきた。
今、あたしは悪い事をしている。
学校をサボっているのはもちろんだけど、もっと悪い事を、今、あたしはしてしまっている。
所持金が足りないのを分かっていながら、乗車可能範囲を超えて電車に乗って…。
これは法的に許される事じゃない。
そんな事を思うと、膝に置いた鞄の上で両手を握り締め、顔を上げる事が出来なくなった。
どうしよう。警察に突き出されるんだろうか。
そんな風に思えば思う程、怖くなってきた。
既に事は起こっているのだから、今さら怖がっても仕方がない。もう成り行きに任せるしかないんだ。
手錠をかけられ、パトカーに乗り、警察署へ連れて行かれたら、あとは牢屋に放り込まれるんだろうか。
とても怖い。
「もしもし、お客さん。終点ですよ」
―ハッ!
車掌から声がかかった。
もう逃げられない。
「君、上高? 上高野高校だよね? その制服」
毎日目にする制服姿。
車掌にしてみれば、どこの学校かなんて一目瞭然だ。
「何でこんなとこに来たの? 学校へ行かなきゃダメなんじゃ…」
「警察に突き出してください! あたし、¥300しか持ってないんです」
車掌の言葉を遮って、あたしは叫ぶように声を上げた。
「警察よっ! 警察に…」
取り乱してしまったあたしの声を聞き、駅長さんも駆け付けた。
「落ち着きなさい、ね」
「警察ーっ!!」
涙が溢れ、まともに話せない状態で、「警察、警察」と繰り返すあたしを、駅長さんはゆっくり抱え上げて駅舎の中へと連れて入った。
しばらくして、少し落ち着きを取り戻せた。
駅長さんは、警察を呼んでいないみたいだ。
「とりあえず、ご両親、居るんでしょ? 連絡先…」
「あたし、自分で電話します」
両親と聞いて、思わず駅長さんから顔を背けた。
まだ会話にはなっていないかもしれないけど、あたしはちゃんと電話する相手を定めて連絡先を呼び出し、電話をかけた。
「もしもし…」
電話の向こうのその声を聞くと、また涙が溢れ出した。
今度は、さっきよりも激しく流れた。それが恥ずかしくて、片方の手で顔を覆った。
「あたし…お金ないのに鞍馬まで…電車で来ちゃったの」
その反応は、思った通り冷ややかだった。
「迷惑な……」
ちょっと悪戯のつもりで…。
でもそれを、自分自身で止める事も出来ず…。
登校を拒否してしまうのって、こんな感じなのかなぁ?
なんて、思春期の女の子の不安定な心理状態を考えてみました。
アクセスありがとうございます。
次回、「瞼を閉じれば[9]
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