山に魅せられて[26]
さて、山に来て仕事の事なんか考えてるのは時間の無駄だ。
ゆっくり景色を見ながら歩いて約1時間。向かう先に何かが祀られているようなスポットが見える。
「田上さん、山頂だよーっ!」
程なく。
本当に程なくという言葉が当てはまる。
360度大パノラマ。ここが山頂なんだ。
見えていたものは、日本武尊像。
広場にはベンチが並び、山小屋には食事やお土産屋さんもある。
「難易度は初心者向けだから、観光スポット的な扱いかな」
谷山さんはそう言うけど、麓から登山道を歩く人には、結構ハードなんじゃないかなって思う。
何しろ1000mを優に超えるのだから、生半可な気持ちや装備では挑めない。
なのにこんな素敵な風景を、こんなに手軽に楽しめるのだから、私達は感謝しなければいけないんだ。
「それじゃあみなさん、像の前に集まってくださーい」
藤野さんの声かけで、日本武尊像の前に集合。
主役は私なので、私が真ん中に。ちょっぴり不安だけど、私の横に、ごく自然に朝比奈さんが寄り添ってくれた。
もちろん谷山さんも横に居てくれるんだけど、スタッフの1人である朝比奈さんが横に居るだけで、安心感が生まれる。
「ほいっ! 変顔してっ!」
―ぷぷっ!
横で何やってんだか、この子。
朝比奈さんが戯けるから、自然に笑顔になれたじゃない。
ありがとうね。
「ところで、お昼ごはんって…?」
何も持ってこなくていいって言われていた。だから本当に何も持って来ていない。
山小屋で食事が出来るみたいだから、みんなそこで食べるのかと思っていたけど、谷山さんも朝比奈さんも全然そんな素振りを見せない。
いい時間なんだけど、まだ食べないのかな?
2人が何やら話している。
景色を眺めていた私は、少し遅れてついて行く。
「ここにしましょうか」
「はいっ! 見晴らしもバッチリですねっ」
???
2人はリュックを下ろし、中から袋を取り出すと、テーブルに広げた。
「田上さん、作るわよっ!!」
朝比奈さんは何かを組み立てている。
あっ!
それは、そう、お店で見た無骨な道具。ガスコンロだ。
「キャンプ用品としては、ストーブって呼ぶのよ」
「寒い時は暖を取るのにも使う事あるの」
谷山さんは、少し形の違う“ストーブ”を組んで置くと、2人は鍋に水を入れて火にかけた。
「これはコッヘル」
「お鍋じゃなくて?」
「そうよ。まぁ、鍋なんだけどね」
食材はフリーズドライ。カップに開けてお湯を注ぐと、あっという間に美味しい食事になる。
「こんなに手軽に…」
「ね、いいでしょう? こっちのお湯でコーヒーをドリップしますね」
カップは洗わない。
汚れた水は、地に流してはいけないからだ。
谷山さんが、持って来たティッシュに水分を吸わせて拭き上げ、ゴミ袋に入れて口をしっかり縛る。
「山で残していいのは足跡だけよ」
「とっていいのは写真だけ…ねっ」
名言じゃん!
簡単で楽しいクッキング? と、食事を終えた。
この場所は、次に来る人のために速やかに空ける。
「谷山さん…」
「ヤバイね」
え? 何? ヤバイって何?
「田上さん! 山小屋に行くよっ」
「は、は、はいっ」
2人の駆け足に、息を切らしながらついて行く。
さっきまで晴れていた空は、急激に鉛色に変わっていく。
山の天気は変わりやすいと聞いていた。
昨日までの雨模様。
さっきまでの日差しが水蒸気を発生させ、それらが雨雲へと変わったようだ。
山頂に居る皆が山小屋に駆け込む。
その時!
バシィーーーッ!!!
閃光が走ると同時に激しい雷鳴が耳を劈く。
「きゃああああああっ!!!」
室内に悲鳴が響き渡る。
雷鳴より寧ろ、この悲鳴に恐怖を感じる。
私達は、山を下りる事は出来るのだろうか。
そんな不安がよぎる。
そんな中、山崎さんは何故か涼しい顔をしていた。そして私に向かって笑顔で囁いた。
「初参加からいい体験だね」
みんな怖くないの?
何でそんなに落ち着いていられるの?
「もうすぐ止むよ」
穏やかな笑顔で川島さんが言ったが、その通り、窓から見える空はもう青かった。
山の天気は変わりやすい。
これはよく言われる事で、平地に吹く風が山の斜面に当たり、上昇気流となって空気を持ち上げると、そこに雨雲が発生するというメカニズム。登山においては必須の知識です。
本編では、前日までの雨雲の停滞が積乱雲の発生に拍車をかけたという設定です。
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次回、「山に魅せられて[27]」
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