頂へ[15]
本章最終話です。
尚哉が、亮が、京都ベルグ山岳会パーティが京都へ帰還。
そこに素敵なドラマが。
「何だよ、急に」
「はは…、そうだな」
尚哉は少し口籠った。そして数分の間を置いて、その続きを静かに語った。
「最後に…、いい思い出が出来たよ」
「最後…か」
亮お兄ちゃんは知っていたんだ。あたしと尚哉の約束。近所の妹と盟友との約束を。
「難易度最高峰を制したんだもんな。辞めるにはいいタイミングかもな」
「あぁ…」
上手く言葉が出て来ない。そんな尚哉に、亮お兄ちゃんからその核心を切り出した。
「歩果を…、歩果は俺の妹だ。近所に住んでいるだけなんだけど、可愛い俺の妹。俺が言うのは変かも知れないけど、お前にくれてやるよ。大切に、幸せにしてやってくれ」
尚哉があたしに言った、その約束。
「登山はハイキングレベルに留め、北のとある町で高山植物の研究をしながら、一緒にのんびり暮らそう」
そんな、何にも変えられない大切な約束。
晩夏の夕暮れ時、ベルグ店舗前の駐車場に、1台の車が停まった。
藤野さんが、店のドアを開けた。
「お帰りなさい!」
その声を聞いて、あたしはなりふり構わず猛ダッシュした。
「尚哉ぁーっ!! お帰りーーっ!!!」
堪らず、あたしは尚哉に抱き付いた。
「痛えっ! 痛えよ」
全身筋肉痛のその体に、あたしはガッシリと掴まった。
「痛えって。あはははははは! 歩果、やったよ。俺ら、剱岳を制したよ!」
「うん! やったね!! あたし、信じてた。尚哉と亮お兄ちゃんなら、絶対成功するって!」
瞳に映る全てが滲む。もう堪える必要もない。あたしは泣けるだけ泣くのみだ。
「心配したんだよ…。尚哉、体強くないから…。心配したのよ…」
「ごめん。そうだよな。心配かけたよな」
尚哉はそう言うと、疲れ切った腕であたしをギュッと抱きしめた。
「歩果…ありがとな」
耳元で囁いた、尚哉の声。それは初めて耳にする涙声。
「剱岳を制する」
そう言って、あたしの心配をよそに旅立ったあの日。今なら、その想いが分かる気がする。
だからあたしは、泣きながら声を振り絞って伝えた。
短いけれど、今のあたしが一番伝えたい、そのひと言を。
「おめでとう!」
どこからともなく拍手が湧き起こった。山岳会の人達が、出迎えに来たのだ。
あたしも、尚哉を抱きしめていた手をそっと解き、思いっきり拍手した。
尚哉に、亮お兄ちゃんに、市川さんに、山崎さんに、盛大に拍手を送った。
翌日、尚哉はベルグを訪れ、あたしを…、朝比奈歩果を呼び出した。
大切な話があると。
「なぁ、歩果。一緒に天使に会える町で暮らそう」
大切な話。尚哉はあたしの左手を掴み、薬指を見た。
「今はリングを持ってないけど、これで大丈夫。サイズ確認したからね」
そんな尚哉に、あたしは大きな条件を突き付けた。それはもちろん…、
「もう危険な登山なんてしないって約束して」
尚哉はにっこり笑って星空を見上げた。
あたしも、星空を見上げた。
北の空には、あのM字型の星座が煌々と輝き、あたし達2人を照らしていた。
「俺な、前も言ったかもしれないけど、本格的な登山はこれでお終いにした。ていうか、元々体強くないし。俺は高山植物が好きで山に登り始めたんだ。だから、北の町で高山植物の研究をする。そう言ったよね?」
「うん…」
「今度さぁ、その町に行って、2人で暮らせそうな場所と、そこに建てるログハウスを見に行ってくるよ」
遠く離れた地へ。
あたしの両親には、あたしから尚哉の事を話してはいるけど、1000km以上も離れた地へ行く事、許してもらえるんだろうか。
「帰ったら、正式に挨拶に行くよ。いい土地が見つかれば、その場所と家の図面を持って行くから」
「うん、分かった。でも、慌てないでね。あたしからお父さんとお母さんと、佳代ちゃんにも話しておくからね」
そして尚哉は、再び旅立って行った。
夢を、今度はその主役をあたしこと朝比奈歩果に変えて。
そんな、あたしの大切な人。生田尚哉。
あれから2年。彼は今、どこで何をしているんだろう。
*
歩果はそう語った。
それは、私がそら君を振った次の日の事だった。
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次回「夢の行方[1]」
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